後篇

 やっとのことで当代のK0次郎こじろうが目当てのものを探り当てたらしい。黄色い歓声とともに取りだした物を掲げ、恒星からの光にあてていた。


 それは細長い金属製の物体。銀色に光るそれは、穴が開いているところといい、フルートに近い。少女はそれを縦に持っていた。


「なんだそれは」


「笛なのじゃ」


「笛?」


「そ。仲間を呼んで、アンタなんかけっちょんけっちょんにしてやるのじゃ!」


「あ、ずるいぞ。俺は仲間なんかいないってのに」


「知るもんか。アンタはご先祖を寄ってたかって殴ったらしいのじゃ」


「…………」


「ほれみろ、ホントのことだから何も言えないのじゃね!」


「まあそうなんだが、時にK0次郎よ」


「なによ、命乞いしたって――」


「この猛毒の大気の中でどのように吹くつもりなんだ?」


 少女の言葉が止んだ。ピンクの宇宙服が大理石にでもなってしまったかのように硬直。笛を吹くことができないかもしれないということを想定してなかったかのように。


 だがそれは束の間のこと。


 少女は高笑いを浮かべた。


「バカね、アイテムは『使用』できるのじゃ!!」


 途端、笛の音が高らかに鳴り響いた。少女は笛に口をつけてすらいない。その顔は、七色のコーティングがなされたヘルメットに覆われていた。


 木の叉を通り抜ける風の音のような、皿屋敷に出没する怨霊のような低くくぐもった笛の音は、小さいながらも暴風のような偏西風に乗って、惑星全土へと広がっていく。


 不意に地面が揺れる。地震か、隕石でも激突したのか。


 いや違う、何か巨大生物が、群れをなし地面を揺らし足音を轟かせながら、ムサシの方へとやってこようとしているのだ。


 現れたのは、バッファロー。


 アメリカ人が移住した惑星でよく見かけるあれだ。ふさふさの体毛に覆われた顔、毛から飛び出し天をつらぬくように鋭角を描く角、地を駆けるのに特化した短い脚……。


 ウシ科バイソン属のやつがどうしてこんなところに。西部劇から飛び出してきたような濁流が、ムサシめがけて突進する。


 切ろうと思えば、できた。


 だが、ムサシはそうしなかった。ホトケを、そして仏教を信仰している彼にとって、命は大切なものである。できることならば、無駄な殺生はしたくなかった。


 飛びのいた彼は、長い刀を器用に動かし、空を駆ける。


 着陸したムサシは、地平線の彼方に立つピンクの宇宙服を睨んだ。


 その様は、天の川に分かたれてしまった彦星と織姫のよう。もっとも、茶色い天の川は彦星役のムサシに敵意を示していたし、そもそも彦星と織姫は戦いの最中だった。


「おいっ、銃だけでなく仲間まで――」


「知らないもんね、そのウシたちに轢かれて死んじまえっ!」


 ぴゅーっと笛の音が鳴る。


 バッファローたちはつぶらな瞳をムサシへと向け、ゆっくりと歩く。そこにはどことなく、気力というものが感じられない。銀河の中心で判を押すだけの仕事に飽きてしまったサラリーマンのようである。


 やる気がない。これなら、彼らに守られている少女を一閃することだって――。


 その時、どっごんと鳴りひびいた。


 天高く打ち上げられた弾丸は、惑星を、宇宙に広がるダークマターでさえも白くするほど輝いた。ヘルメットによって守られているムサシはいいとして、バッファローたちはそうではない。


 閃光弾の何百倍もの光を浴びた彼らは半狂乱になり、光とは真逆の方向――ムサシのいる方へ駆け出した。


 その勢い、その形相といったら、必死そのもの。彼らは、ちっぽけな剣豪のことなど意識すらしていない。


 ただ、逃げる。


 轟音を鳴らし、ビックバンのような光から少しでも離れるべく。


 ムサシは低い体勢を取る。いつでも動き出せるように。


 そんな彼の前では、水たまりに過ぎなかったバッファローが大きくなってくる。銀河大将軍から発せられた生類憐みの令とか、無駄な殺生とか言っている場合ではない。


 石つぶてに足を取られた茶色いモフモフが無数に空を飛び出す。ショットガンから放たれた散弾のような彼らは、舞い上がった土塊を原子一個一個にまで分解し、仲間をハンバーグにしながらそれでも脱兎のごとく走り続けている。


 水の中で不規則に揺れる花粉のようだとムサシは思った。


 これでは避けるに避けられない。


「――しょうがない」


 ムサシはもぐもぐと念仏を唱える。仏教を信仰しているとはいえ、すべてを覚えているというわけではない。というか、仏教の教えを紐解いた書は、何十世紀も前に散り散りになってしまっている。ミヤモト家に存在するのは、家宝の五輪書くらい。あとはメモがいくつか。


「なむさん!」


 意味も分からず発した言葉とともに、ムサシは腰の剣を抜く。


 そして、次の瞬間には納刀している。はたからは、手元をわずかに上下したようにしか見えなかった。だが、そうではない。


 超ウルトラハイスピードカメラがあったとすれば、100メートルの刀を両手に持ったムサシが、超「光速」で大太刀を振るうさまが見れたことだろう。


 光をも切り裂く一閃は、何度も何度も繰り返された。


 特殊か一般かあるいはそのどちらでもない理論によって、空間が三枚おろしになる。アジの開きのようにペラペラの空間には隙間が生じ、その中へとバッファローたちは消えていった。あと、いくつかの空気とエントロピーも一緒に。


 それが、刹那よりも素早く起きたことのすべてである。


「なっ……!?」


「驚いて言葉も出ないようだな」


「うるさいうるさいっ。かくなる上は、この銃のリミッターを解除して――」


 何か小細工される前に、ムサシの体は動き出している。


 トンッ。


 一歩踏み出しただけで、少女の目の前にたどり着く。宇宙戦艦800隻を跳び越したこともある彼にとって、こんなことは朝飯前。


「それは別の人の十八番じゃないのっ」


「細かいことはいいっこなし。お前だって、銃を使ってるだろ」


「ワタシはGUN龍がんりゅうだから許されてるのよっ!?」


 ムサシは肩をすくめ――銃口の先から逃れる。


 耳元を駆けめぐるエネルギー。直撃していたら、データごと宇宙から消失していたに違いない。


 あわあわと震える少女を一瞥した彼は、無骨な柄に手を伸ばし刀を振るう。


 その直前。


「私は女の子だよっ! JKだよ~!!」


 悲痛な叫び声が、ムサシの体をぴたりと止めた。毎日、あやふやなお経を唱えながら素振りを行っている彼とて、人間である。男である。髪も剃っていない、ただの仏教に傾倒しているだけの剣士だ。性欲がないといえば嘘になる。


 しかも、そのかわいらしい声はムサシの孫の声によく似ていたのは悲劇であった。庇護欲とともにサディスティックなものさえ感じてしまいそうになるその声は甘く、聖者にしか見えぬというサキュバスのように脳をマヒさせ、シワの一本一本をほぐしていったのだ。


 透明になったヘルメットごしに見えたのは――。


 ひげ面のおっさんだった。


 ――それが少女の、いや無量大数+n代目GUN龍K0次郎がんりゅうこじろうの狙いであったことは言うまでもなかった。


「隙あり!」


 小さな体躯がしゃがんだかと思えば、ランドセル直結型ビーム砲が光を光を放ち、宿敵の体を消し飛ばした。


 なんとも締まらない幕切れであった。

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ギャラクシー巌流島の戦い 藤原くう @erevestakiba

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