糸海、手足ができる

井中ましら

第1話

 糸海には三分以内にやらなければならないことがあった。

「助けてやれ」とボスの命令が今しがた下ったせいだ。

「どうして?」と聞くと「見込みがあるから」と言う。

 彼等の背後には、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れが迫っていた。

 居合わせたのは偶然で、未熟なほうが罠にかかった。それだけのこと。

 あの群れが逃げ続ける彼等を補足するまでの時間が、良くて三分。悪ければもっと短い。

「特別報酬は出る?」と聞くと「出ると思うか?」と聞き返された。つまり無償。糸海の嫌いなタダ働きだ。

「やる気でないなぁ」と、逃げる彼等を眺めながら糸海はぼやいた。任務ではない以上、罰則はない。が、報酬分配の権利を持つボスの心証は悪くなる。分け前が減るのは宜しくない。

「奴等から取立てるのは禁止しない」とボスが言う。

「それって」「身元は押さえた。お前の手足として鍛えろ」「了解、やる気でた」

 糸海は組織の下っ端だ。末端のいつ切り捨てられてもおかしくない飛沫みたいな存在。手足ができるということは、自分のミスを全部擦り付けて切り捨てることが可能な部下ができるということ。

「頑張るよ」

 命令が下ってから糸海のやる気がでたここまで、約一分は経過していた。

 遁走している彼等の背後にはバッファロー社の保守が全方向から自社システムを破壊しながら侵入者を追い詰めていた。

 バッファロー社のシステムは緩い。この噂は流れて久しいが、侵入に成功した者はいない。その答えはここにある。入口だけが緩く見えるだけで、奥が深い。調子に乗って深入りすれば必ず補足される。

「殿が使えそうなだけで、あとはクズ。捨てていい?」「ダメだ」

 逃走しながら補足の網を断ち切っている殿以外、糸海の琴線には響かなかったが、ボスの命令は絶対だ。

「遮断、反転」

 文句を言いながらも打込んでいた特殊言語を画面に叩き込む。任務中は内容を口にしながら作業するのが規則だ。

 状況を人間に例えるのなら見えていたはずの犯人が突然消え、自分達で破壊しながら進んできたシステムの崩壊に巻き込まれそうになって焦っている警備員達、と言ったところだろう。侵入者達は突然見知らぬ空間に隔離され、戸惑っているはず。

「これでいい?」「上出来だ」

 珍しくボスが褒めた。と思ったら「抜いた保守情報は別途提出するように」と言われた。こっそりやったのに何故バレた。恨めしそうにボスを睨むと「手足の身元情報と交換だ」と。本当に世知辛い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

糸海、手足ができる 井中ましら @inakazaru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ