45、兄弟喧嘩



「なんか花さんのイメージが違った」


 聞いている最中いろいろ思ったが、最初に口から出たのはそれだった。


「どんなだと思ってたんだ」

「烏珠が百合の花って言っていたから、おしとやかなんだろうなって……」

「百合ぃ? 百合は百合でも黒百合だ、あれは」


 千尋丸が相手を気安く貶すのは親しい証拠だ。たしかに「いやよいやよも……」に見えなくもない。


「なんで烏珠や千里……ううん、恋什郎にもこの話をしなかったの?」


 足の真下を流れる川の不思議な発光を見下ろしながら羽菜は問う。

 地べたに座ると冷えたので、話の途中から宙に浮いて聞いていた。千尋丸は岩場に尻をつけたままそんな羽菜を眺めている。


「あの娘に口止めされていた部分が大きい。今もおれはお前さんにすべてを話していない。あいつらに話したのはおれとあの娘の関係についてだな。おれたちが想い合っていないことなんかはずっと言い続けているんだが、奴らちっとも信じねえ」

「うーん……なんでだと思う?」

「そのほうが奴らにとって都合が良かったんだろうよ。どんなに言葉を尽くしたって、自分にとって聞きたいように聞かれちまうなら、こっちはお手上げだ」

「どういうこと……?」


 千尋丸の顔に川面の揺らぎが映ってゆらゆら揺れた。


「まず烏珠はな、いずれ自分が入山してそばにいられなくなることがわかっていたから片想いのままでありたかったし、娘にはおれのほうを好いてもらいたかった。そうすれば後ろ髪を引かれなくて済むし、おれに女を譲った形で格好良く去れるだろう。それが実は娘の思い人は自分のほうで、自分の代わりに入山したなんて、耐えられるか? 娘の最後に付き添ったのはおれだし、憎む対象があったほうがよかったんだよ」


 直後、背後の森がざわついた。


「ああ、そうだな……!」


 茂みがガサガサ音を立て、黒い影が這い出してきた。


 ――烏珠……! まだ出てくるには早いって!


 羽菜は急いで烏珠のほうへと飛んだ。


 下駄で飛んだ時、風に導かれた先は烏珠の死体――ではなく、あれは意識を失っていただけで、目覚めて体を起こした烏珠の所だった。彼が弱っていることは変わらず、羽菜が一緒に連れてきて森に隠した。


 烏珠は千尋丸に突進しようと何歩か進んで足をもつれさせ、倒れ込みそうになったところで羽菜の体当たりに救われた――が、恨めしげに、


「……力加減がなっていないのは貴様もか……」

「むしろ間に合ったことを褒めてほしい」


 前方がいきなり暗くなった。羽菜は強い力で横に引かれて二三歩よろめき、烏珠は風に自由をからめとられて宙に浮いた。


「千尋丸! 烏珠はあたしを助けてくれたせいで弱っているから、優しく……!」

「わかっている。森に身を潜めて話を聞いていたこともな。……道が開いたら飛び込むつもりだったか? 自暴自棄も大概に――」

「一発、殴らせろ、千尋丸……!」


 烏珠が声を絞り出した。


「そこの娘に謝れ。貴様がやっていることは昔の俺と同じだ。離れがたさから中途半端に情報を与え、娘のほうから行動を起こさせた。それがどんな結末を辿るか、想像できなかったとは言わせんぞ……!

 俺とて天狗だ、色恋ばかりが頭にあるわけではない! 近頃の地鳴りは危険だ、なんとしてでも俺がお山に入らねばならんのだ。お前が花と最後に何をしたのか知らんが、それが原因で道が開かぬのではないか。お前は現状打破の見当がついていて、それには魔女の力が必要だった。だが迂闊に娘を引き入れて、他の天狗たちによって娘がお山に囚われることを危惧した――もし自分が牢に繋がれたら、とな――昔の俺のように! すべて一人でやれば良いと考えたのは俺のようになりたくないからだ! そうだろう、千尋丸!」


「最後らへんは違うが、大方そうだ」


 千尋丸は低く答えた。烏珠はさらに怒りを爆発させるかと思いきや、苦し気に、とぎれとぎれに心を吐き出した。


「千尋丸よ、なにゆえ俺を頼らない。なにゆえそこの娘を信じない。臆病者め、甘ったれは貴様のほうだ。いずれ大天狗になる男が独りよがりになるな。花との約束で言えぬ部分があったにしても、何かこう、うまく……別の方法で、伝える、手段が……」


 烏珠は過呼吸になったように言葉を発せなくなった。烏珠を覆う風が解かれ、ドサッと地に落とされて忙しく咳をした。

 千尋丸は大股で近づき、倒れたその背に片手を添えた。


「お前、こんなになるほどやり合ったのか。相手は野分か? 羽菜を守ってくれたこと、感謝する。しかし困った弟だ。話を聞かんくせに、ちゃんと話せと兄に説教か」

「え、弟……? 兄……?」


 羽菜がそっと近づいて問うと、千尋丸はやわらかく微笑わらった。


「おれとこいつは兄弟カラスなんだ。同じ場所で卵が見つかり数日違いで孵化し、同時期に自然坊によって育てられた。おれは大天狗を継ぎ、烏珠はお山の浄化の役目を担うよう言われた」


 大きな手のひらでゆっくりと烏珠の背をさする。


「烏珠よ、お前の言う通りだ。おれは少々臆病風に吹かれていた。というのも、洞窟の中の様子に不安があったからだ。おれはあの娘の最後に付き添い願いを叶えたが、それがもし呪いに変じているのだとしたら、羽菜を守れるかわからんと思った。他の天狗も、おれ自身も毒される可能性を考えた。

 言えればよかったんだが……最も口止めされている部分に触れてしまうことになるからな。あいつ、念には念をと呪詛めいたことまでしやがって。そんなに知られたくない内容かね。おれにはわからん」


 魔女の直感は急に働く。


「……檜扇ひおうぎ?」


 羽菜はつぶやき、驚いた。無意識に口からこぼれ落ちていた。直感というより、言わされたかのような――。


「千尋丸、檜扇の花が関係ある?」

「……なぜそれを」


 千尋丸は驚愕に眉毛を逆立てている――興奮と、期待。


「夢を見たの。洞窟の中を一人で歩く夢。光る湖、中央に浮かぶオレンジ色の小島、登って周囲を見渡せば花がすべて枯れている……」

「それだ」


 千尋丸が立ち上がった。


「それだ。花が枯れているんだ」


 そう言って滝のほうへずんずん歩いて行く。


「待って、どうするの?」


 ピタリと大男の足が止まり、しゃがみ込んだ。


「……そんで、それだよなあ……」

「檜扇だと……?」


 羽菜の隣で半身を起こした烏珠が放心したように繰り返した。


「檜扇……檜扇だと……」

「烏珠? 檜扇がどうかした?」

「檜扇は……種にも名がついている」

「……どんな?」


 烏珠の両目から滝のような涙があふれた。



「……ヌバタマ……」



 刹那、夜空の色が深くなった。月が雲に隠されたのだ。すぐにまた月が出ると、これまでよりさらに煌々と辺りを照らし始めた。


「それがあいつの最後の願いだ」


 千尋丸が戻ってきて言った。


「あいつは入山する時に檜扇を持ち込みたいと言った。ようやく明かせた。羽菜のお陰だな」


 いずれ大天狗となる烏天狗は大きく翼を広げ、羽菜の前に片膝をついた。

 黒い羽根が数枚上から舞い落ちる中、天狗は羽菜に頭を下げた。


「力を貸してくれ。その夢を見た羽菜ならきっと道を開ける」


 羽菜は目の前に落ちてきた羽根を拾い上げ、胸に抱いて返事とした。


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