43、再会
夜の瀑布は自ら白く発光して、永遠に続く雪崩のようだった。
岩場に降り立つとさっそく千尋丸を呼んだ。
「千尋丸!」
羽菜の声は滝の轟音に飲み込まれて響かなかったが、相手は聞き逃さなかった。
光の飛沫をまんべんなく浴びて白く浮かび上がった周囲の木々が一斉に左右に暴れ、上空から白をバックに、表情の見えぬ大男が翼をめいっぱい広げて降りてきた。
「千尋丸」
「来るなって言ったろうが……」
男はその辺の小石なら転がせそうな威力のため息を落とした。
「誰に連れてきてもらった」
「烏珠の風」
「あのド阿呆が……」
羽菜は自然と表情が険しくなった。
「瑞希おばさんは? 怪我してないよね?」
「この付近に休める場所があってな、今はそこで仮眠をとっている」
そこで千尋丸は「ん?」と言って、羽菜の足もとを指差した。
「なんでそれ履いてんだ」
「あたしの魔道具だから」
「魔道具?」
「そう」
羽菜はステッキを握り直した。
「千尋丸のくれた下駄が、あたしの媒体」
ふわっとその場で浮き上がる。目線を千尋丸と同じ高さにそろえる。天狗は驚いているようだったが、背景の白が強すぎてその表情はわからなかった。
――ああ、残念。どんな顔するかなって楽しみにしてたのに。
羽菜は再び地に降りた。
「あたしにはいろいろ聞く権利があると思うんだけど、どう?」
千尋丸は唸り、ドカッとその場に胡坐をかくと片手で顔を覆った。
「……」
「話してくれる?」
羽菜は千尋丸の目前まで来てしゃがみ、顔を覗き込んだ。
「全部話してくれるなら、できる限り手伝うよ」
でも、と心と口調を強くする。
「あたしはお山には入らない。あたしはこれからも生きていく。瑞希おばさんもそう。朝には帰してもらう」
それからぽつりとつけ足した。
「……花さんの代わりになってもいいって言ったのに、ごめんね」
千尋丸が顔から手を外した。お互いの顔がよく見えた。男前は凜々しい眉を持ち上げ、ぐっと中央に寄せた。
「お前さんがどんなふうに話を聞いたか知らんが、おれはお前さんをあいつのようにしようなどとは微塵も考えとらん。だからそんなことを言うな」
「あー、そういう意味で言ったんじゃなかったんだけど……」
「じゃあどういう意味だ」
「千尋丸は、その……花さんのことが恋しいだろうから、その代わりにしてもいいよっていう……」
天狗は「はあ?」と声量を上げた。
「おれがあの女を? なんだそれは」
今度は羽菜が眉を上げ、寄せた。
「えっ、……違うの?」
「誰だそんなことを言った奴は。……いや待て、わかる」
「千里」
「だろうな……」
「あと烏珠」
千尋丸は両手で頭を抱え、「はあああ……」と、前かがみになった。
「あの馬鹿共、何度言えば……」
羽菜は目の前に来た頭頂部を人差し指でぐりぐり押した。
「おい、やめろ」
「千尋丸ってさ、人の話はすごく聞いてくれるけどさ、自分の話はあんまりしないね。それでたくさん誤解を作ってそう」
言いながら、六花の涙を思い出した。
「それってつらくない?」
千尋丸は胡座の上に右手で頬杖をついた。
「どうでもいい。それにおれは必要なことは話している」
「あたしには何も話してない」
「お前さんにとって必要ないと判断したからだ。それに言っただろう、線引きだ。おれは天狗で、お前さんは人だ。知ることが必ずしも良い道に繋がるとは限らない」
羽菜は膝に乗せた自分の両手に視線を落とした。爪が皮膚に食い込んだ。
「片足突っ込んでるあたしを置いて、何も知らない瑞希おばさんを攫ったくせに」
言葉が震えた。
「千里はそれを情だと言った。あたしは……嬉しい反面、それって最低じゃないのって思ってる。だって今、誰も幸せになってない。不安で苦しい夜を過ごしてる。千尋丸は天狗だから達観しているのかもしれないけれど、あたしたちは人間だから……!」
心に引っ張られて落ちた頭に、のしっとさらに重しが加わった。その拍子に雫が一粒落ちて手の甲をすべり落ちた。
「……悪かった」
「それは何に対しての謝罪?」
「ガキだと思って甘く見過ぎていた。お前さんは下手したら自ら山に入ると言いかねんと思っていた。……あの娘に似ているからじゃない、逆だ。彼女は欲される人の世から逃れたくてあの道を選んだが、お前さんは自らの価値を作るために飛び込みそうに見えたのだ」
「そんなに馬鹿じゃない」
「口車に乗せられて天狗の里に入っただろうが。好奇心は猫を殺すぞ。どうだ、ぐうの音も出まい」
「……ぐう……」
「出すな」
羽菜は負けてなるものかと顎を上げた。
「でもあれは、千尋丸もあたしのことを試したじゃない」
「試したな。それについては言い逃れしない。千里の好きにさせて感情をなだめる目的があった」
――千里。そうだ、それも聞きたかった。
「ねえ、千里ってなんなの? さっきあたしのことを攫おうとしてきて、烏珠が助けてくれたんだよ」
千尋丸は空を見上げた。
「……もうすぐ日が変わるな。今宵は祭りだ、ほとんどの天狗が寝ずに社に詰めている。ちと長話をしても問題なかろう」
「千里と薄墨は神社に行ってないよ。たぶん野分も」
「はあ……。まったく、しょうがない奴らだ」
千尋丸は呆れ顔で笑った。
「だがいい、気にするな。……そうだな、話の入りはそこからにしようか。おれのカラス――センと花、そして烏珠の話だ」
滝の音に混じって木々がざわめいた。羽菜は後ろの暗い森をちらっと確認した。
「……うん、わかった。聞かせて。洗いざらい全部」
そうしてやっと聞くことができた千尋丸の真相と真意は、羽菜が抱いていた想像と少々異なっていた。
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