41、烏珠彦(2)
「皮肉なものだ。結局、最後までそばにいたのは千尋丸だ。俺は牢の中で悔いた。己を呪った。牢から出された後は千尋丸を糾弾したが……それは間違っているとわかっていた。すべて俺が悪いのだ。取り返しが……つかない。許されたくて……せめて彼女の妹の助けになろうと考えた。
『私はこれから
やわらかな風が羽菜の短い髪を揺らした。優しい風だった。
「俺は俺の風に命じ、魔女に関するすべてを見張ってきた。だが二百年ほど前、御神体に問題が生じ……洞窟への道が開かなくなり、俺は……俺こそが道を開き、花と同じ場所で眠りにつくことを願った。そちらに詰めることが増え、天野をおろそかにした。その結果がこれだ。お山を鎮めるためでなく、人の女を求めて入山しようなど、お山が許すわけもなかろうに……。千尋丸にはそれで幾度も叱られた。天狗本来の心を取り戻せと……。だが此度ばかりは、俺もあいつにもの申してやりたいと思っている」
烏珠は顔から腕をどかし、羽菜を見た。
「あいつは中途半端にお前を巻き込み、お前の心をかき乱したろう。それでもまだ心惹かれるのか」
「……」
「おい、お前はどう思――」
「お前って言わないで」
「貴様」
「きっ……さまは、いいや。なんか新鮮」
羽菜は考えた。浮かぶ言葉や気持ちは断片的で、混ぜご飯の中から具材をすべて見つけ出して調理法を答えろと言われたみたいだと思った。答えるのに少々時間が必要だった。
――頭の中を整理しろ。
違う、と羽菜は唇を噛んだ。
――違う、あたしはいろいろ理屈をつけて御神体に行きたがってる。あたしは千尋丸にむかついてるんだ。だってなんで話してくれなかったの? ふつうにあたしに説明して、協力を仰げばいいじゃない。そしたら誰も傷つかずに済んだんじゃないの? あたしじゃなくて瑞希おばさんを選んだのはあたしに対する裏切りだし、あたしは性格が悪いから、巻き込まれただけのおばさんにもめちゃくちゃ嫉妬しちゃってる。だって二人で御神体に粘ってたって、何? だめならいったんおばさんを帰して、あたしのことを呼んでくれてもいいんじゃない? ……あ、屋敷で待ってろってそういうこと? 本当は出番あった? ううん、たぶんないでしょ、絶対ないでしょ!
羽菜の表情をじっと観察していたらしい――目が合うと、烏珠はふんとそっぽを向いた。
「天野の魔女はどいつもこいつも向こう見ずで気が強い。そういう血だな」
風が横から羽菜を押した。
「行け。俺は動けぬ。風で案内はしてやるから、自力で飛べ」
「あのう、ご存知かと思いますが、あたしは飛べなくてですね……」
烏珠はもぞもぞ動いて左半身を持ち上げ、大儀そうに腰の後ろの帯に挿した長い棒を引き抜いた。
「あっ、花梨のステッキ?」
「あの娘に伝えておけ。相手に物を渡す時は力加減を考えろ、と」
烏珠は小さく笑った。
「まったく……。天野の魔女を見ている時は、退屈だけはしなかったな……」
「そりゃどうも……」
羽菜は両手に持ったステッキを見て途方に暮れた。
「でもさ、あたしまた暴走しちゃうだろうし。烏珠が動けないのはわかるんだけど、そこをなんとか、もうちょっとだけ頑張ってもらえないかなあ、なんて。……あれ、烏珠? ……烏珠?」
いつの間にか目を閉じた烏珠の、真珠のように白い面を照らす月の光が、よりいっそう強さを増した気がする。
どこからともなく、黒いアゲハ蝶や大きな青い蝶が集まってきて、烏珠の体や顔や、黒い絹のような髪にひらひら止まった。――動かなくなった胸の上で、蝶は安らかに止まり続けた。
音はなく色だけが賑やかなその光景に、肌が粟立った。
「……え? うそ、うそうそうそ! い、今ふつうにしゃべってたじゃん! 待ってよ、天狗って死ぬ? 死なないよね? ねえ烏珠! 烏珠!」
揺さぶれば蝶は一斉に空へと舞ったが、花びらのようにひらりひらりと戻ってくると、微笑みさえ浮かべているように見える烏天狗に接吻をした。
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