36、天狗の真相(3)



「羽菜、ぼくはどうしても君をあきらめたくなかった。千尋丸が気乗りしないなら、やるしかない状況を作り出してやろうと考えたよ。そこで君の仲良し、花梨に目をつけた。彼女の夢に野分進の墨絵を忍び込ませ、君が彼女のステッキで飛ぶイメージを持たせた」


 花梨。そうだ、花梨。彼女は今どこにいるのだろう。怪我はしていないだろうか。今一人で何を思っているのだろう。


 ――もう前みたいに仲良くしてくれないかもしれない。


 そして自分も、今まで通りに接することはできないかもしれない。


 ――なんか、疲れたな。もう何も考えたくない。


 しかし天狗は饒舌だった。


「彼女は期待通りに動いてくれたよ。彼女の媒体を使った君は暴走し、ぼくはそれを視て千尋丸に報告しに行った。『魔女が境を越えた。森に落ちるぞ!』ってね。こちらも期待通り、彼はすぐさま君を助けに行って君と交流し、ぼくの意図を理解した。彼も心が揺れたようだね。君をどうするか、本気で迷ったようだ」


 風が吹いた。羽菜の体が押されるほど強い風だった。千里の髪がすべて後ろに流れ、白い面が露わになった。左目は深淵のような黒で、一切の光を拒絶していた。


「ね、千尋丸は言ったんだろう、『恋什郎れんじゅうろうに気をつけろ』って。『千里に気をつけろ』とは言わなかった。おかしいよね? ぼくを本名で呼ぶ奴は少ないのに。……わかるかい、あいつは君を試したんだよ。あいつも君が御神体を視ることができるか知りたかったんだ」


 ――つまり千尋丸もあたしを入山させようかどうしようか、チラチラ頭によぎっていたんですよ、と。何こいつ、あたしをへこませたいの?


 短時間にいろいろなことが起こりすぎて頭がパンクしそうだ。連れ去られた瑞希おば、まる、、たま、、の真相、壊れた花梨との友情、千尋丸の真意。……真意?


 ――これは千里の主観が入った話だ。全部真に受けちゃいけないんだ。こいつが今やっていることは、あたしのことを陥れようとするあのおばさんとおんなじだ。千尋丸から直接話を聞かなくちゃ。だってこう捉えることもできない? 千尋丸はあたしを危険から遠ざけたかったの。千尋丸は――。


「でも」


 声に出したのは六花だった。するとまた風が吹いた。重い空気を吹き飛ばすような、下から上へと昇っていく風だった。


「でも、千尋丸は瑞希おばさんだけを連れて行った。羽菜に情が移ったんだね」


 羽菜の目に涙が盛り上がった。


 ――千尋丸は、いつだってあたしの話をきちんと聞いて、あたしの魂が折れたり曲がったりしないよう導こうとしてくれていた。甘ったれのあたしが誰かの言いなりにならず、自分の意思で生きていくために!


「情……ね。それなんだよね。意外だった。花の時はやり遂げたくせに……」


 千里は組んでいた足を解いてぶらぶらさせた。


「打ち合わせでは、瑞希と羽菜と、両方連れて行く予定だったんだ。でも結果はこれだ。ま、そんな気はしていたんだけどさあ。きっと瑞希は御神体を視認できない。ぼくらの声も聞こえない。あーあ、いったいどうするつもりなんだろうね。羽菜も連れて行けば役割分担できたのに。羽菜が道を開いて、瑞希がお山に入って。ほら、最高のカタチで一件落着」


「ふざけんな!」


 叫ぶような怒鳴り声が後ろで響いた。山側の木の陰から花梨が足音高く飛び出して来た。


「わたしの、わたしの母さんを、よくも……!」

「あれ、怒るんだ」


 意外だね、と千里は笑った。


「君はお母さんのことが嫌いなんだと思ってた」

「母さんを返せ!」

「話を聞いてたんだよね? なら無理だってわかるよね」

「じゃあ自分で探しに行く!」

「花梨!」


 六花と二人で花梨を押さえた。花梨は信じられないくらいの力で暴れた。


「放せ! わたしの母さんなんだから! わたしの母さんなんだから!」

「無駄だよう」


 千里はこの状況を楽しんでいた。


「御神体までは、天狗の導きなくしてたどり着けないよ」


 花梨は動きを止めると、下から千里を睨み上げた。


「じゃあ、あんたを痛めつければ案内してくれるんだよね」


 そこでこれまでひと言も発さなかった薄墨が口を開いた。


「あくまで道を開かせるだけなんじゃねえの、千尋丸は。視えない聞こえない奴を使ってどうやるのかはわからないけど」


 千里は大仰に空を仰いだ。


「あいつの考えていることはわからん。……羽菜、千尋丸は何か君に言っていたかい?」

「……瑞希おばさんは返すから待っていろって」


 花梨が「えっ」と小さい声を上げた。


「じゃ、そういうことだ。薄墨丸、ぼくらは御神体へ向かってみようか。君たちは大人しく屋敷に入って、言われた通り待っていなさい」

「千里、薄墨……!」


 天狗は自由だ。どいつもこいつも人の心をかき乱して弄び、他に興味が移ればさっと立ち去る。


 残されたできそこないの魔女三人は赤みが差し始めた空を呆然と見上げ、長いことヒグラシのを聴き続けていた。


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