【6】天狗と魔女

34、天狗の真相(1)



 ザアアアー……



 雨だ。土砂降りの雨。


 ――あたし、お昼寝してるんだっけ。


 この感覚はそれに近かった。暑苦しい部屋で背中にびっしょり寝汗をかいて、短い夢を見た時のような。


 羽菜はなは目を開けた。


 暗い。そして薄寒い。足の下がゴツゴツしていて歩きづらい。湿った匂いとあまり動きのない空気。


 ――洞窟?


 だんだんと目が慣れてきて、自分がどこにいるかわかった。


 昔遠足で行ったことのある鍾乳洞の五倍くらいはある洞窟だ。天井に頭がぶつかることもない。


 羽菜は一人洞窟を歩んでいった。夢特有の「当然行くのはこっちだろう」という確信があった。


 やがて先に光が見えた。近づけばその光に両目を刺し貫かれた。天井が遥か上になり、奥行きもぐっと開けて広がった。


 湖だ。広大な湖が太陽のように眩い光を発している。湖の中央には緑とオレンジの小島があった。湖の影響か、オレンジ色の花まで輝きを放ち、咲き誇っていた。


 羽菜は湖岸に立つと制服のまま湖に入った。水深が腰丈だったので歩いて小島に上がった。夢なので濡れなかった。


 草丈が太ももまである草花をかき分けながら中央まで登る。大した広さはないように見えたが、実際は体育館くらいあった。


 辺りを見渡していると、どこからか若い女の声がした。



 ――ヒオウギ。



 ヒオウギ――檜扇ひおうぎ。オレンジ色の花の名前。

 羽菜は改めて小島を見渡した。




 花はすべて枯れていた。







「――羽菜、羽菜!」


 視界がぼやぼやと揺れている。アブラゼミやミンミンゼミや、ツクツクボウシの鳴き声がやかましい。そこを「羽菜、羽菜」と少女の声が突き破る。知らない女の声ではない、よく知る声――焦点を合わせると、汗だくの六花りっかの顔が目の前にあった。


「六花って汗かくんだね……」

「何馬鹿なこと言ってんの! ねえ、大丈夫? 何があったの?」

「洞窟の花が枯れてた……」

「何? 洞窟? なんのこと?」

「檜扇の花が……」


 そこで一気に覚醒して飛び起きた。


瑞希みずきおばさん!」

「ちょっと、羽菜……」

「瑞希おばさんが! 六花、おばさんが連れて行かれた!」

「どういうこと? 聞くからゆっくり、ゆっくり落ち着いて話して」


 その時、頭上で大きな羽ばたきが聞こえた。


「洞窟に檜扇か。それは興味深いね」


 杉の枝に千里せんりが腰かけていた。羽菜は意識を失う前と同じ場所に倒れていたことにショックを受けた。


 ――千尋丸せんじんまる、あたしをそのまま置いていったんだ。


 千里とは反対の枝に薄墨うすずみがいた。薄墨は浮かない顔で口を結んでいる。


 ――あれ? 野分のわきがいない……。


「千尋丸は瑞希だけ連れて行ったか。ま、そうなる気はしていたよ」


 千里は優雅に足を組んだ。


「さて、どこから話そうか。聞きたいだろ? 今自分の身に何が起こっているか」


 どこからかヒグラシの鳴き声が響いてきた。空はまだ明るいが夕刻に近づいているらしい。

 カナカナカナカナ……をBGMに、千里は顔の左半分を覆う長い髪をそよがせた。


「時系列通りがいいかな。それでは話そう。遡ること五百年前、天野の――」

「瑞希おばさんが連れ去られたっていうのは本当? なんのために?」


 千里は仮面のような笑顔を六花に向けた。


「人の話は遮るなって、お母さんに教わらなかったかな? 君は捕らえられても解放されても自分の知りたいことばかりキャンキャン騒いで、しつけのなっていない小型犬のようだね。こうまでしつこく足もとにじゃれつかれては、ぼくもうっかり蹴り飛ばしてしまうかもしれないよ」

「天狗は人に危害らしい危害を加えられない」


 六花も挑発するような笑みを相手に投げた。


「次代当主の私が知らないとでも?」

「えっ、そうなの?」


 羽菜が聞くと、六花は力強く肯定した。


「そうだよ。天尻山の天狗は神族だから。天尻神社の神使でもあるのに今日の祭りに参加しないで、こいつらはこんな所で何をしているんだろうね」

「これも神使の務めなんだよ」


 千里は口だけ笑みの形を残して、目をギラギラ光らせた。


「いいぜ。まずはお山の現状を語ろうか。君たちも気づいているだろうけど、お山に溜まった穢れがかなり限界に近づいている。地鳴りが頻発しているのはそのせいだよ。三、四百年に一度、我々天狗がお山に入ることでそれを抑えてきたんだけどね、最後にその儀式を行った時は天狗ではなく人が――天野の魔女が入山したんだ。おそらくそれが原因で今問題が起きていてね。誰一人として御神体に入れなくなってしまったんだよ」


 千里は組んだ足の上に片肘ついて娘二人を見下ろした。


「二百年前から天狗はこれについて調査し、議論を交わしてきた。しかし何一つわからない。お山に人を入れたのは間違いだったと大天狗・自然坊も頭を抱えたよ。それでね、これは彼女と同じ天野の魔女に道を開いてもらうしかないと考えたんだ」


 千里の人差し指が羽菜と六花の上を行ったり来たりする。


「だがここでまた問題が浮上した。現代の魔女は極端に魔力が低い。天狗の代わりになれた娘とは天と地ほどの差があるため、攫ってきたところで道は開かれないだろう。ではなぜ現代の魔女は弱いのか……。これもずいぶん調べたんだがね、わからなかったよ」


 千里の指が羽菜の上で止まった。


「――君の母上と瑞希に出会うまでは」


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