32、〈花〉の理由(2)



「恥を知れ!」

 

「愚かで高慢な娘だ――貴様のような女が天野に名を連ねているとは、花もさぞや嘆かわしかろう。ならば教えてやる。貴様らが後生大事に抱えている〈花〉の一字は、初代みつ、、の姉、花の媒体だ」


 烏珠は娘たちが聞き漏らすことのないよう、一言一句に力を込めた。


「〈花〉という字そのものが媒体なのだ。みつ、、はお山の犠牲となった姉を思い、いつか自分の子孫が同じ目に遭うことのないよう、自ら子孫に呪いをかけた。『娘が生まれれば名前に〈花〉を入れるように』――これにより娘たちは生まれながらにして花の媒体を使い、内部で反発して魔力を削られ続ける。貴様らは、飛行能力は娘時分の限定的なお楽しみのように考えておったであろう。だが本来なら年齢の制限などなく、魔力の続く限りどんなに年老いても飛べたはずなのだ。

 すべては初代が仕組んだこと。正しい方法が失われた今、貴様らが飛べているのは初代の姉、花の媒体を拒絶する力のお陰であり、そのために貴様らの魔力は底が見えている。これをできそこないと呼ばずして何と言う。そんなことも知らず他を軽んじるとは、傲岸不遜にも程がある」


 そこで花梨にきつい目を向ける。


「……何を呆ける? 貴様とてよくわかっておったであろう。魔力が己から抜け落ちていく感覚に気づかぬほどとんま、、、でもあるまい」


 花梨はこぼれ落ちんばかりに目を見開くと、怯えたように羽菜を振り返った。

 羽菜は目が合う前に視線を逸らした。かすかに息を呑む音が聞こえた気がした。


 次の瞬間、花梨はものすごい速さで天野の屋敷に向かって飛んでいた。


「花梨!」


 六花は急いで熊手を返し花梨の後を追おうとしたが、烏珠の追撃のほうが早かった。


 翼から放たれた凶暴な風が逃げる花梨の背を打った。花梨はステッキもろとも屋敷のほうへ吹っ飛ばされた。


「花梨ー!」


 烏珠が二人の行く手を阻んだ。


「待て」

「通してください」


 羽菜は毅然として烏珠を睨みつけた。怒りで声が震えた。


「通さぬ。貴様にはまだ言うべきことが――」

「あたしにはありません!」


 叫び、首にかけている笛を引っ張り出した。


 千尋丸からこれを受け取ってから、言われた通り毎日肌身離さず身につけていた。本気で千尋丸に会いたいのなら、危険を冒さずこれを吹けばよかったのだ。ただ会いたいというだけで吹くことをためらった結果がこれだ。花梨と六花を危険に晒し傷つけ、今も目の前には烏珠が立ちはだかっている。これはじゅうぶん緊急事態だ。


「よせ、やめろ!」


 烏珠が叫ぶと同時、羽菜は笛に息を吹き込んだ。

 やはり音は鳴らなかったが、望む相手にはしっかり届いた。



「……烏珠よ、お前は救いようのない阿呆だな」



 暴風と共に現れた千尋丸は羽菜と六花を背後に隠し、烏珠と対峙した。


「まったく、困ったものだ。もうぼくらも、かばうことはできないよ」


 千尋丸の横に並び現れたのは千里せんりである。その後ろに野分のわきと、落ち着かない様子の薄墨うすずみもいる。この三人まで来るのは予想外で、なぜか背筋がゾッとした羽菜は、前の六花のシャツの背を掴んだ――と思った。掴んだはずが、逆に遠退いていた。


「……え?」


 羽菜は六花を見ていた。六花も驚いた顔で羽菜を見ていた。羽菜は六花から離れ、千尋丸の硬い腕の中にいた。


 千尋丸はやけに静かに言った。


恋什れんじゅう、任せた」

「承知したよ」

「待て、千尋丸!」


 烏珠のひび割れた叫びがブツンと途切れ、無意識に閉じていた瞼を押し上げると、そこには羽菜と千尋丸しかいなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る