31、〈花〉の理由(1)



 空に上がると一分後には三人とも深く後悔していた。太陽光から「悪いことは言わないから引き返せ!」とでも言われているかのようだ。


 六花を選んだものの、飛行中に会話はない。熊手に横向きに座り、羽菜は前の華奢な肩を見続けている。


 羽菜は昔から六花が苦手だ。会話はないのに羽菜をじっと見つめてくるところが、同情か排除かを語るそのまなざしが、すぐにも逃げ出したいほど嫌だった。


 しかし今は聞いてみたいことがある。


「ねえ、六花。六花はどうしてあたしが千尋丸と会うのを止めなかったの?」


 六花は少しだけ顔をこちらに向けた。


「それで羽菜が飛べるならいいと思ったから。今まで飛べなかったのは、魔女のやり方が羽菜に合っていなかっただけかもしれないでしょ。人はみんな違うから、方法だってその数あってもおかしくないし」

「でも掟破りだよ」

「花梨じゃないけど、こんな穴だらけの掟に素直に従う気になれないの。いつか自分たちの娘に今自分が抱いている疑問をそっくりそのままぶつけられたら、なんて説明する? 私は当主として魔女を束ねなければならないのに」


 だから、と六花は続ける。


「羽菜に魔力が発現しない件は昔から興味深かった。それが花梨の無茶に触発されて発現したって聞いたとき、飛ぶ条件は名前の〈花〉だけじゃないかもしれないと思った。でもどうしたらいいかわからないし、天狗がうまいこと力を引き出してくれるなら願ったり叶ったりだなって。……ごめんね、危険だってわかっていたのに、私は羽菜を止めなかった。自分の探究心を満たすためにね。結局私も花梨と一緒」


「六花も……」


 これを言うのに、羽菜は不思議といつもの苦しさを感じなかった。


「あたしをかわいそうだと思ってた?」


 六花の答えは明瞭だった。


「まさか。それってすっごく失礼じゃない?」


 今が飛行中でよかった。後ろにいるから顔を見られないし、潤んだ瞳も風でどんどん乾いていく。


 ――あたしはやっぱり臆病者だ。勝手に六花を悪く思って、避けていた。魔女だからって差別していたのはあたしのほう。ああ、千尋丸。話を聞くのは大事だね。


「ねえ!」


 斜め後ろから割って入るように声が飛んできた。


「二人で何を話してんの?」

「別に大した話じゃないよ」


 六花はにべもない。花梨はターゲットを羽菜へと変えた。


「羽菜ぁ、わたし太陽にも今のこの状況にも焦げちゃいそうだから、こっちに来なよ」


 花梨らしい言い方だ。ユーモアがあるというのはまったくずるい。つい吹き出して、笑顔を向けたくなる。


「無理に決まってるでしょ、サーカスじゃないんだからさ!」


 そう返した直後、羽菜は不意に息が止まりそうになった。


 ――空気が重い。何かいる!


「ねえ待って、何か――」

「死にに来たのか、魔女の小娘ども」


 凍てついた声が前の数倍も恐ろしい。羽菜は歯が鳴るのを耐えて前方を見た――翼を広げた烏珠ぬばたまが仁王立ちでこちらを睥睨していた。


「烏珠さん、あの、あたしたち……」

「仲間まで連れて来るとは……そこまで愚かだとは思わなんだ。お前たちのすぐ目の前は境界線だ。言い逃れはできんぞ」


 烏珠の怒気で辺りはピリピリと静電気のような音を立てている。六花と花梨も背筋を凍らせて微動だにしない。それくらい烏珠から発せられる覇気が凄まじい。


 ――あたしのせいだ。あたしが二人を守らないと!


「千尋丸に会いたいんです。本当にそれだけなんです。ちょっとでいいので、呼んで来てもらえませんか」

「あやつは貴様のことで大天狗さまからお叱りを受けた。二度と会うことはない」

「……お叱りを……」


 嫌われたわけではなかった、その事実が羽菜に勇気を与えた。

 羽菜は先ほどより声に力を込めた。


「あたし、もうすぐ帰るんです。千尋丸はあたしの飛行の師匠せんせいなんです。このまま飛べないにしたって、ちゃんとお礼とお別れを――」

「貴様は飛べぬ」


 唇の紫はその動きを際立たせるのに適していた。


「あやつに騙されておるのだ。魔女が飛ぶには特別な方法が必要で、天野の初代であるもみじ――否、みつ、、はそれを子孫に伝えなかった。どんなに頑張ったところで、貴様が自らの力で空を駆けることはない」


 この人は何を言っているのだろう、というのが最初に思ったことだった。飛ぶには特別な方法がいる? それが伝えられていない? ではなぜ花梨や六花は飛べるのだ。〈花〉の一字が鍵であることは明白だ。それをなぜ烏珠は――。


「だったらどうしてわたしたちは飛べるのよ。知ったような口を利かないで!」


 さすが、食ってかかったのは花梨である。恐怖の呪縛から解かれれば無鉄砲で右に出る者はない。だが烏天狗から見れば所詮は小娘だ、烏珠は一笑に付した。


「哀れなことだ、できそこないの魔女」


 花梨は顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。


「わたしの名前には〈花〉が入ってる! 侮辱すんな!」


 その声は大空に吸い込まれてすぐに消えたが、その前に一人を打ち据えていった。

 羽菜はあまりの衝撃と驚愕に頭が痺れ、息が止まって血の気が引いた。


 ――花梨……やっぱり。やっぱりそんなふうに思っていたんだね。


 いつも「羽菜には魔女の血が流れているからあきらめないで」と、飛ぶ練習に付き合ってくれた花梨。瑞希おばに対しては心無い言葉をかけても、それが羽菜に向けられることは決してなかった。


 ――でも、そんな気はしてた。ずっとそうじゃないかって思ってた。本当は他の魔女と同じで、花梨もあたしのことを――。


 目の前がぼやけて吐く息が震える。今はそれどころではない、しっかりしなければ。

 そう考えれば考えるほど、羽菜の心と体はどんどん重く沈んでいく。空にいることが不思議なくらいに、深く、重く――。



「恥を知れ!」



 ビリビリと空気を切り裂く怒号が響き渡った。美形の烏天狗は般若の形相になっていた。


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