30、会いに行こうよ



「会いに行こうよ」


 花梨は目をキラキラ輝かせて言った。花梨に話したのは失敗だったと、羽菜は己の自制心の弱さを悔いた。


 千年杉の下、制服姿でただ蝉の声だけを聞き続けてはや四日、羽菜は積もり積もってあふれ出した不安と苦しさに我慢が大気圏を突破、一時間待ったところで屋敷に戻り、燃え尽きる隕石のような勢いで花梨にこれまでの一切合切を打ち明けた。


「行くしかないじゃん、そんなの。わたしのステッキに乗せたげるから、今すぐ行こう!」

「待って待って、待ってってば!」


 羽菜の腕をぐいぐい引っ張る花梨に、羽菜は全体重をかけて抵抗した。廊下がすべる!

 花梨は羽菜の手を解放すると、くねくね体をくねらせた。


「はーあ、ショックだなあ。ああ、ショックだなあ」

「なんで花梨がショックなの。どう考えたってそれはあたしのほうでしょ」

「仲良しだと思っていた又従姉妹に爆弾級の秘密があったなんて、ショックだなあ」


 う、と羽菜は目をそらした。


「千尋丸との約束だったから……」

「それならそれを貫き通せばいいのにね」

「えっ、辛辣!」

「あんた、一人で練習したいからほっといてって言ったじゃん」

「言いました」

「嘘じゃん」

「ごめんなさい……」

「この二週間、あたしがどれだけ寂しい思いをしたか……とくと思い知れ!」


 羽菜の頬をトルコアイスにしようと伸びてくる凶暴な手から身を捩って逃れ、縁側の日に焼けた柱を挟んで攻防する――が、それも数秒のことで、運動神経抜群の花梨から逃げることなど不可能だった。


「はい、わたしの勝ち! 観念して愛しの天狗さまに会いに……羽菜?」

「うう、ううう……」


 腕の中で涙をこぼし始めた羽菜を、花梨はよしよしと抱きしめた――お互い暑かったのですぐに離れた。


「あたし、千尋丸にフラれたのかなあ?」

「聞きに行こうよ」

「でも最後に会った時の千尋丸、なんか変だった。なんでかなあ?」

「聞きに行こうよ」

「会ってもらえなかったらどうしよう」

「わかった。四十秒で支度しな」

「空中海賊?」


 花梨は某アニメ映画の女海賊にも引けを取らぬ強引さで羽菜を引きずり、とうとう玄関までやって来た。


「花梨さん、あたしが言うのもなんだけど、掟は守るためにあるんだよ!」

「本当に説得力ないね。破ったところでばれなきゃ平気っていう例を、まさかあんたが作るなんてね。ちょうど大人たちはいないし、今がチャンスだ、あきらめな」


 祖母と風花ふうかおばは天尻あまじり神社の例大祭の手伝いに出かけていて留守である。片付けまで手伝うらしく、今夜の帰りは遅くなる。


「でも瑞希おばさんはいるじゃん」


 そう、嬉しいことに今日は瑞希おばが屋敷に来ている。もうすぐ来るお盆のために、親族が寝泊まりする離れの掃除をしに来てくれたのだ。羽菜と花梨も今日は朝からそれを手伝っていた。


「あの人がいたところで何もできないよ」


 花梨の言い方にカチンときて口を返そうとしたところで、背後から新たに声がした。


「私もいるけど」


 花梨は苦い顔で迎え撃つ。


「あれま、六花りっかちゃん。お祭りのお手伝いは?」

「私は本格的な手伝いは不参加。受験生だから。それで? 羽菜の片想いの天狗に会いに行くって?」

「めっちゃ聞いてんじゃん」

「聞いたんじゃないよ、知ってたの。羽菜が千年杉の裏で天狗に抱き上げられて飛んでいくのを毎日見てた」


 羽菜は思わず悲鳴のような声を上げてうずくまった。まさかそんな、あれを人に見られていたなんて。恥ずかしすぎて穴があったら飛び込んで蓋をしたい。そのまま生き仏になってもいい。


 六花は手首から髪ゴムを抜き取ると、肩で切りそろえた黒髪を後ろできっちり一つに結わえた。


「五時までに帰るからね」

「えっ、六花も行くの?」


 花梨はあからさまに不服そうだ。


「黙っていた私も同罪だと思うから。それと、次代の当主として天狗にもの申してやりたいっていうのもある。向こうだって今さら天野といざこざを起こしたくないだろうし、ちょうどいいから協定をもう一度見直したいなって」

「ヒューッ、肝が据わってるぅ。羽菜にもちょっと分けてあげてよ」

「羽菜はじゅうぶん度胸があるでしょ」


 嫌味がきつい。



 各々準備があるので玄関で待ち合わせにした。羽菜は携帯リュックが膨れるくらい物を詰め込んできたが、一番乗りで待っていた花梨はポシェット程度の軽装だった。


「えっ、羽菜、荷物多くない? 何をそんなに入れてきたの?」


 羽菜はリュックを開け、パンパンになった原因を取り出した。


「何このでっかい下駄」

「千尋丸がくれたの」


 花梨は「そっかそっか」と理解者らしく鷹揚にうなずいた。


「そうだよね、大事だよね」

「うん、傷つけられたらこれで報復しろって……」

「やばあ」


 六花はまだ来ない。外は今日も炎天下、どぎつい光と影のコントラストから目を背け、羽菜は花梨のTシャツの袖を引いた。


「ね、本当に瑞希おばさんに一言も言わないで行くの? せめて『いってきます』くらいは……」

「そんなに気になる? 羽菜ってうちの母さんのこと大好きだもんね」

「何それ。そういう話をしてるんじゃ……」


「台所に置き手紙を残してきたよ。『三人で山に行ってきます』って」


 六花が廊下から現れて言った。「余計なことを……」とつぶやく花梨を無視し、六花は外に出ると倉庫から熊手を引きずってきた。


「羽菜ー」


 花梨が呼ぶ。当然のようにステッキの後ろを空けて待っている。羽菜は先ほどの花梨のひどい発言――瑞希おばへの態度を思い、六花のほうへ近づいた。


「今日は六花の熊手に乗せて」


 その時の花梨の表情は見ていない。

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