28、甘ったれの苦しみ(2)



「そのおばがひどい態度をとるのはなぜだと思う」


 大きな手がしゃがめと合図するのでそれに従う。後頭部に温かな感触が伝わった。


「……あたしのことが嫌いだから」

「なぜ嫌いなんだと思う」

「力がないから」

「なぜ力がないと嫌うんだろうな」


 羽菜は唸った。


 ――あたしがやられていることは差別だ。どうして差別されるの? それは……たとえばあたしのことが怖いから。自分と同じ人間のほうが理解しやすいから。ストレスがかからないから……あっ……。


「……安心したいから? 一族で力がないのは男だけだから、秘密を話さないことで遠ざけておけるのに、女で飛べない者が秘密を知っていることが怖い……?」


 千尋丸は褒めるように羽菜の頭をぽんぽん叩いた。


「それはあるだろうな。絶滅が危惧される天野の魔女を未来に繋げていくために、異分子を排除しようという本能が働くのかもしれん」

「やられる側はたまったもんじゃないよ……」

「そうだな。……ふむ」


 千尋丸は横向きになって空いている片手で頭を支えた。日曜日のお父さんポーズ。もう一方の手は羽菜の短い髪をいじって遊んでいる。


「しかし……そうか。敷居に足を引っかけたか。表玄関のやつだな」

「そう。あれ結構足上げなきゃ跨げないからね」


 ざまあみろ、とはさすがに口にしなかったが、千尋丸は珍しくクスクス笑った。同じことを思ったのかな――そう思うと心がほかほかした。


「千尋丸って、話を聞くのがうまいよね」

「そうか? 興味があるだけだ」

「馬鹿にはするけど、頭ごなしに否定したりしないし」

「それぞれ考え方があるからな。まずは聞いてからだ」

「それ、すごく優しいなって思う。ありがとう」


 天狗はガバッと身を起こした。


「なんだなんだ、しおらしいな。もう一回強めに風を吹かせとくか」

「友だちにさ」


 羽菜は天狗の揶揄を無視して続けた。


「こんなふうに話を聞いてもらうとさ、『あんたは考えすぎ』って言われるんだ。千尋丸はそれも言わないね」


 天狗は自分の左隣を指し示した。羽菜はそこに腰かけた。


「思考を止めるな、羽菜。感情で生きることは他の動物にもできる。広く深く考えることにより新しい世界を開くのは人の特権だ。だが考えすぎても根に持つな。魂の質を下げるな」


 羽菜はちらと上目遣いした。


「どうしても許せない時は?」

「そうだな……、そういう時はこう思うんだ」



 強面天狗は不敵に笑った。



「言ってろ。自分は先に行く。――ってな」



 ――言ってろ。自分は先に行く……。



 気に入った。



「皆、自分の世界で生きている。やべえ奴が接してきたら極力間に線引きして、真正面から相対さないことだ。違う世界で生きろ。できれば縁を切れたらいいんだが、無理なら避けろ。避けても向こうから線を越えて来て、どうしようもなく腹が立ったら、今みたいに誰かに泣いてぶちまけろ。だがそれで友だちを失うようなことにはなるなよ。全部を受け止めてもらおうなんて思うな、ほどほどにやれ。穢れを相手に移すのは良いことじゃない」


「ずっともやもやが消えなかったら?」

「山に来い。海でもいい。川でも湖でも、天然要塞みたいな岩場でも。でっかい場所に行って、でっかい存在に受け止めてもらえ」

「そのせいでその場所に穢れが溜まっても?」

「いいんだよ。そのためにおれたちみたいな存在があるんだからな。感謝だけ忘れないでくれたらそれでいい」


 羽菜はふーっと息を吐いて山の匂いを吸い込んだ。暑さに山も汗をかいているかのような、湿った熱の匂いがした。大きな生の匂いだった。


 ――感情を制御して、大人になれってことかなあ。さすがは五百年以上生きてる烏天狗、悟りを開いていらっしゃる。


「ちなみに」


 と、天狗はそれまでの真面目な顔を崩してニヒルに笑んだ。


「何度も線の内側で挑発されるようなら――許す、やり返せ。当然だ。現代人は死を身近に感じづらいから安易に他人を傷つけようとする。報復が難しい世の中だから他人を甘く見る。そういう輩には常に死が共にあるということをわからせておくのも悪くなかろう。やり方を教えてやろうか」

「やばあ」


 千尋丸は脇に転がっていた二枚歯の高下駄を拾い上げて両手に持ち、強度を確かめるみたいに裏同士をカンカン打ち合わせた。

 今日の羽菜の飛行練習道具。千尋丸の足のサイズだが鼻緒だけ羽菜のために細い物に付け替えたという。いつも通り何の反応もなかったそれは早々に羽菜に忘れ去られていたが、なるほど凶器として使えると――いやいや、そんな。


 千尋丸が下駄を押しつけてきた。土が落とされて綺麗になっていた。


「意外だったな」

「何が?」


 羽菜は下駄を抱いたまま相手を胡乱な目つきで仰ぎ見た。


「恵まれて何不自由なく育った箱入り娘だと思っていたが、お前さんにはお前さんなりの悩みがあった。甘ったれだが、しっかり生きている」

「え……うん、ありがとう……」

「生意気に見えるのは、そのちんちくりんな見た目のせいでもありそうだ」

「平均身長よりちょっと低いくらいで、ふつうだと思いますけど!」


 ガキに見える。これは由々しき問題だ。


 ――恋愛対象じゃないってことじゃん!


 年相応に見えるようにするにはどうしたらいいか――あ。


「……じゃあさ、そんなに言うならさ、今度高校の制服を着てくるよ。自分で言うのもなんだけど、可愛いよ。たぶん」


 千尋丸は吟味するように顎にこぶしを当てた。


「制服のスカートって、ちょっと強い風を吹かせればパンツ見えそうだよな」

「セクハラ!」


 さっそく下駄が役に立った。


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