23、里案内(2)



「さて、誰が背負う? 途中交代もありだよ」


 ぎょっとして千里を見た。背負う――?


「おいらやるよ!」


 薄墨が元気よく手を挙げた。


「彼女くらいなら私も問題ない」


 野分も小さく挙手をした。


「ぼくは見ての通りひ弱なもんでね、二人に譲るよ」


 千里はどうぞどうぞと身を引いた。


「ちょっと待って!」


 羽菜はあわてて遮った。


「あたし、おんぶされて行くんですか? まさかずっと? 里を見ている間中?」


 天狗たちは一様にきょとんとしたが、薄墨がキンキン笑い声を響かせた。


「あったりまえじゃん! 他にどうやって回るんだよ?」

「さっきの車は?」

「小回りが利かねえよ」

「じゃあ、じゃあ……、え、ていうか、徒歩じゃないの?」


 この中ではわりとまともな野分にすがるようなまなざしを送ると、その向こうから千里がにやにやしながら人差し指をくるくる回した。


「天狗の里は、こう……ね、立体的に広がっている。この家だって木の上にあるし、ここに来る途中もそういう家をたくさん見ただろう? それを徒歩だけで回ろうなんて、どだい無理な話だよ」


 それでも羽菜はうんと言わなかった。千尋丸以外の天狗に運んでもらうのはどうしても抵抗があった。

 やがて千里が降参とばかりに両手を上げた。


「そんなに嫌ならいいよ。他に案がないわけじゃないからね。これはあなたの運動能力次第になるが……」


 そうして左の翼に手を伸ばすと、そこからつやつやと黒い羽根を一枚抜き取り、羽菜の前に差し出した。


「持っていてもいいし、服のどこかに仕込んでもいい。肌身離さずにいれば、風を味方につけられる。あなたには魔女の血が流れているのだから、風との相性は悪くないはずだ」

「……ええっと、つまり?」

「つまりね、これを持っていれば、高く飛び跳ねて木から木へ、楽々と移ることができるようになるんだよ」


 羽菜は羽根を受け取ると左手に持った。千里に似て細身で、光にかざすと緑がかった黒に虹が見えた。「……きれい」羽菜のつぶやきに千里は目を細めた。


 千里の言った通り、これには運動神経が必要だった。羽菜が一歩強く踏み出せば体は風に舞い上がり、そのまま飛ばされてしまうといった具合で、なかなか思う所に着地できない。宇宙飛行士は地球の外でこんなにままならない歩行をしているのかと、羽菜は心から彼らに敬意を抱いた。


 それでもなんとか制御ができるようになると、一度地を蹴っただけで木のてっぺんまで行けるというのは最高に楽しかった。


 実際に足を踏み入れた天狗の里はあまりに非現実的で、まるで映画のロケ地のようだった。羽菜は興奮が足の裏から頭のてっぺんを突き抜けて、それだけで空へと高く飛べる気がした。帰りたい気持ちもそれと一緒にどこかへ行った。


 店もあった。下駄屋、着物屋、雑貨屋などの生活必需品、八百屋、魚屋、肉屋まである。食事処や飲み屋が数軒固まった場所からは煮物や焼き魚の良い匂いがした。


 特に興味深いと思ったのは、下から建物を見上げるとそれらがスーッと消えてしまうことだ。聞けば万が一の侵入者対策なのだと言う。


 羽菜はすっかり打ち解けた薄墨に、目についたものを片っ端から質問していった。


「どうして枝の上にあるの?」

「烏天狗だからさ。逆に山伏の天狗は山肌に沿って集落を作っているんだぜ」

「どうやって建物が乗っかっているの?」

「里自体に術がかかっているんだよ」


「天狗って家族構成どうなってるの? 女天狗は? 子どもとかいるの?」

「いない。その辺はあんま話しちゃいけないことになってんだ、ごめんな」


「お店がいっぱいあるけど、品物はどこから仕入れているの? 誰がお店をやってるの?」

「おいらたち天狗や妖相手に卸す業者がいるんだよ。店もそういう奴らがやってる」

「人?」

「いんや」

「妖怪?」

「それも違う。名前なんかねえよ。不思議かもしんねえけど、この世には名前のないものがたくさんあるんだ」

「名前がないと不便じゃないの? 呼ぶ時どうするの?」

「不便に感じたことはないなあ。なんでもかんでも名前があるほうが、おいらには不便に感じるよ。縛られていないほうが自由だろ」


 そうだろうか。名称で括られていたほうが楽ではないか。でも薄墨にはそれがわからないようで、天狗と人とではやはり考え方が違うんだなと思った。


「羽菜はさあ、なんで飛べないんだ? こんなに風の扱いが上手いのに」


 今度は薄墨が質問した。羽菜が答えようとすると、悠々と空中を歩いていた千里がそれを奪った。


「名前に〈花〉という字がないからだよ」

「なんでそれがないと魔力が使えないんだろうな」

「使えないわけではないよ。魔力の蓋が開きさえすれば、羽菜は誰よりも強い魔法を使うことができるだろう。しきたりには必ず意味がある。だがむしろそこから外れたほうがよい場合もあるんだよ」


 千里の言い方に含みを感じた。


 ――この人、何か知ってる……?


 少し上を行く千里を見上げると、向こうもこちらを見下ろしてきた。髪で片目の隠れた天狗は思考の読めない笑みを右頬に張りつけている。羽菜は先に目をそらした。


 ――この人は、怖い。


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