20、天狗の家(2)



「――なんだか最近、千尋丸がうきうき、、、、しているからなんだ」

うきうき、、、、している」


 羽菜は真顔で繰り返した。千里はそれに穏やかに首肯する。


「不審に思ってこの二人に尋ねたら、千尋丸が魔女にちょっかいを出したと聞いた。烏珠彦ぬばたまひこの機嫌がものすごく悪い日があったから、それかとぼくは納得した。だがそのことで大天狗さまにお灸を据えられたはずの千尋丸が、なぜか毎日ご機嫌だ。ピンときたよ。こりゃあ会いに行っているぞ、ってね」


 ――烏珠彦? 烏珠彦が正しい名前?


 薄墨や野分のように烏珠も三文字だったのか。千尋丸はそのまま呼ばれているが、こっちは〈丸〉を取ったら呼びづらいので納得だ。


 ――千尋丸が言っていた天狗の名前は何だっけ。たしか、れんじゅうろう……? あだ名は〈れん〉かな。気をつけておこう。


 千里はズ、とひとくち熱い茶をすすり、話を続けた。


「千尋丸に気づかれずに探るにはどうしたらいいか。……ぼくにはね、千里眼があるんだよ。地図が手もとにあって、尚且つ結界が張られていなければ、どこでも透かし視ることができる。距離によって鮮明度は変わるけどね。ぼくは千尋丸とあなたを視た。ずうっと視ていたよ。なんだか二人で楽しそうだったね。それであなたに興味が湧いて……あれ、寒い? 鳥肌が立っているよ」


 お前のことを監視していたぞ――そう言われてゾッとしない者などいるのだろうか。


 羽菜が無言で机の木目を凝視していると、ふいに肩に何かが触れた。ヒッと軽く飛び上がれば、パサッと畳に何かが落ちた。背後に立つ薄墨が目をぱちくりさせて拾い上げ、丁寧に羽菜の肩にかけ直す。香が香る黒い着物であった。


「なあ羽菜、顔色悪いよ。やっぱり無理させちゃったのかな。魔力が安定していないんだもんな」

「車が一番穏やかに境界を越えられると思ったが、失敗だったか」


 野分まで申し訳なさそうな顔をする。千里が座布団を追加で二枚持ってきた。


「少し横になりなよ。そのうち楽になるよ」

「え、いや、あの、大丈夫……」

「無理しない、無理しない」


 千里はひょろひょろの痩躯のわりに強い力で羽菜の尻の下から座布団を抜き取り、床の間の前に三枚並べた。仕方ない――羽菜は野生の小動物のように警戒しながらもそこに横になり、大きな着物を被って鼻先までひっぱり上げた。千尋丸とは違う香りに彼がここにいればと思い、笛の存在を思い出す。用心深く着物の下で右手を動かし、首の赤い紐に指を絡める。いつでも吹けるようにしておこう。


「眠くなったら、そのまま寝てもいいよ」


 それから千里はこうささやいた。


「もちろん、話を聞いていてもいいんだよ」


 千里が席に戻ると、天狗たちは煎餅をかじりながら、だらだらおしゃべりし始めた。


「千尋丸にばれたら何が起きるかなあ」


 薄墨が湯飲みをふうふう吹いて言う。


「あいつ、開放されるのは夕方頃だろ?」


 野分がうなずいた。


「最近の自然坊じねんぼうさまは千尋丸を離そうとしないからな。もっと遅いかもしれないな」

「実際、ご容態はどうなんだろうね」


 千里の問いに野分は唸った。


「老人らしく普段から腰痛だの偏頭痛だのと言っているからな。今年はスギ花粉も凄まじかったからそれの疲労が今頃来たかとも思ったが、お山を守る大天狗ともあろうお方がこうまで寝込むとなると……」

「千尋丸は何も話さないんだろう?」

「ああ。愚痴は言っているがな。『あのジジイ、毎度々々呼び出しやがって』とか」

「烏珠彦は最近呼ばれていないみたいだね」

「そこだ」


 と、野分は指でトントン台を叩いた。


「烏珠はお気に入りの一人だろう。なぜ急に遠ざける?」

「大天狗さまの御心のみぞ知る、だね。まあ、烏珠彦より千尋丸をそばに置きたいと思うお気持ちはわかるよ」

「烏珠は面白くないだろうな」

「二人とも上の者に媚びる性格ではないけれど、こんなにあからさまじゃあね。千尋丸は煩わしく思っているだろうけど」

「ああ見えて、あいつは大天狗さまの言うことには逆らわないからな。五百年前のあの時だって……」

「待て、野分進」


 千里の制止とともに、三人の視線が羽菜へと注がれる気配がした。羽菜はぐっと瞼に力を込めた。


 ――さっきの千里のあれは、こっそり話を聞いていろってことだよね。


 誰かの衣擦れの音が近づいてくる。羽菜は今にも破裂しそうな心臓の音を聴きながら寝たふりを決め込んだ。


 至近距離で薄墨が言う。


「寝てるよ。なんか瞼固そう。即寝しちゃうくらい疲れてたんだなあ」


 薄墨はそろりそろりと席まで後ずさりした。


「でもさ、千尋丸と烏珠って仲いいよな。水と油ってわけでもないじゃん。たまに二人で飲みに行ったりしてるぜ。それに――」



 昔、同じ女を好きになったんだろ?



 その一言に羽菜は固そうと言われた瞼を震わせた。


 ――へえ、千尋丸って人を好きになったりするんだ。ふうん。……どんな女性なんだろう。


 相手をからかうのが好きだから、きっとからかいがいのある、反応の可愛らしい人だろう。烏珠も同時に好きになったのなら、従順でおしとやかだったに違いない。大和撫子ってやつだ。これは強い。


「五百年前なんて、しょっちゅう二人でつるんで女の所に出かけていたな」


 思い出して野分がため息を落とした。千里がヒッヒッと笑う。


「お互いを出し抜こうとして一緒になっていたんだよ、あれは」


 バリンと激しく煎餅を噛み砕き、薄墨がもごもご言った。


「いいよなあ。当時は人をからかい放題だったんだろ。女にも声をかけまくれるんだろ。いいよなあ……。なあ、そいつさ、そんなにいい女だったのか?」

「そこに寝ている娘の顔を見てみなよ」


 不意打ちに羽菜はまたピクッと瞼を震わせた。千里は羽菜を起こしたいのか、そのまま聞かせておきたいのか、どっちなんだ。


「似ているんだよ、彼女。五百年前のその女性にね」


 ドキン、危うく目を開きそうになった。


「似てるって、羽菜が? マジかよ、千里」

「そう――〈はな〉。名前まで同じとなるとねえ……」

「重ねているのかもしれないな」


 野分の声は固かった。羽菜の心もカチンコチンに固まってしまった気がした。


「なあなあ、おいらにもわかるように話してくれよ。もしかして、五百年前の女の名前、〈はな〉っていうのか?」


 少しの沈黙の後、千里は「そうだよ」とやわらかな声音で告げた。


「天野家初代当主みつ、、の姉、はな。強大な力を持つ魔女だった」

「なんだって? それって、あの――」

「そう。……お山に入った娘だよ」


 ごくり、誰かが喉を鳴らす音が響いた。おそらく薄墨だろうが、羽菜は一瞬、自分が鳴らしたのかと思った。


 ――初代さまのお姉さんって、天狗に拐かされたっていう……。でも待って、初代さまの名前はみつ、、だっけ? 違わない……?


 誰かに促されるまでもなく、千里は怪談の如く雰囲気たっぷりに話し始めた。


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