19、天狗の家(1)
一際背の高い木に作られた、見るからにへんてこな家の先に車が寄せられた。存在を隠すように蔦に覆われ、土や枯葉まみれの黒い瓦屋根も傾いだ戸口も、今にも崩れ落ちそうだ。
「着いたぞ。ほれ」
くちばしが出た薄墨が両手を広げた。
「降ろしてやるから、来い」
「あ、ええっと、いいです、自分で……」
「飛び降りるのか? いいけど、枝の上に立てるか?」
羽菜は下を見た――見てしまった。羽菜の体重を支え切れそうな太さの枝がない。地面が遠くてめまいがした。あれだ、小さい頃に見たサーカスだ。見上げる側のくせにサーカス員の目線を想像して泣いたのを思い出す。
「お願いします……」
「よしよし」
薄墨は満足げにうなずくと、羽菜の脇に手を差し入れて楽に持ち上げた。千尋丸も最初にこれをしたが、天狗は高い高いがデフォルトなのか。
「動くなよ、安全な所まで……ほら、着いた」
薄墨は羽菜を抱えたまま
へたり込む羽菜の横に野分が立った。指に挟んだ紙を懐に押し込んでいる。あっと思って羽菜が振り返ると、乗ってきた車は消えていた。薄墨がにこにこしながら羽菜を立たせようと手を差し伸べた。くちばしが消え、可愛らしいアヒル口がある。羽菜はありがたくその手を取った。
閉まったままの戸を見つめ、野分が首を傾げた。
「千里はいないのか?」
「いるさ」
家の中からひ弱な声がした。
「ずいぶんお早いお着きだね……」
ガタガタと音を立てて木戸が横に引かれ、黒い着物の痩身の男がゆらりと現れる。ゆるくウェーブした長い髪が顔の左半分を覆っていて、井戸やテレビから出てきたらきっと様になると羽菜は思った。
「来るのが視えたから、あわててお湯を沸かしていたのだよ。こんなに早いとは思わなくてね」
「あまりごねられなかったんだ」
「聞き分けがいいんだね。そういう娘は嫌いじゃない」
千里と呼ばれた天狗が羽菜に向けて微笑んだ。笑うと陰影が濃くなって不気味さがいや増し、羽菜は無意識に後退りした。うっかり落ちないよう薄墨が背を支えてくれた。
「入りなよ。沸かし立てで熱々なのを淹れられるぜ」
正直遠慮したいと思ったが、千里とは真反対に無邪気な笑みの薄墨に背中を押され、勇気を出して中に足を踏み入れた。
木と土でできた家は、外見同様、室内もずいぶんへんてこりんな造りであった。
まず目の前に伸びる廊下がくねくね蛇行している。そのくねくねをまっすぐに見せたかったのか、へこんだ部分を隠すように、紐とじの古い書物やら巻物やらが腰の高さまで乱雑に積まれる。天井板も斜めだし、本物の木の枝が貫通している所もあった。
廊下がそんなふうなのでどんな奇天烈な部屋に通されるのかと思いきや、客間は案外ふつうの和室であった。普段焚いているのか壁に染みついたお香が夏の緑の匂いと混じりあい、浮ついた羽菜の心をなだめ静める。軒下に吊るされた鉄の風鈴が芯の通った音を涼しげに鳴らし、縁側の向こうには竹垣で囲われた小さな日本庭園があり、しっとりとした苔の絨毯に古そうな石灯籠、そのそばの池には白地に赤と黒の錦鯉が二匹、絶えず水面に波紋を作る。
「どうして池があるんだろう?」
「何も珍しくはないだろう」
答えたのは野分である。
「天野の屋敷にも立派なのがあるじゃないか。……そうか、君、普段は都会住まいだな? 流行りの高層マンションってやつか」
「うちは一軒家です。そうじゃなくて、ここは木の上でしょ。百歩譲って庭はあっても、池は……」
そこへ千里が茶と菓子をのせた盆を持ってきた。
「ぼくの神通力だよ。野分進や薄墨丸だって、自分の家は神通力で面白おかしくしているよ。あなたのよく知る千尋丸の住処なんてあんまり滅茶苦茶だから、ぼくは行かないことにしているんだ」
出されたお茶は湯飲みを持っただけでも相当熱かった。この暑い日に熱すぎるお茶を淹れるなんて、二十代に見えるこの天狗は見た目に反して相当なおじいちゃんに違いない――待てよ、若いと言われる薄墨ですら八十五だ。うん、おじいちゃん確定だ。
「今日あなたに来てもらったのは他でもない――」
ドキッとした。やはり何か別の理由があるのだ。
「――なんだか最近、千尋丸が
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