7、飛行練習(2)



「乗って!」


 花梨は左側に空きを作って待っている。羽菜はうなずいて花梨の後ろに回り、その手を取ってステッキの上に両足を乗せた。

 二人でぎゅっと手を繋ぐ。花梨の魔力のお陰でバランスを崩すことはない。細いステッキの上に女子高生が横並びに立つ光景は、もし誰かに見られたらどんなに滑稽に映るだろう。


「羽菜ってば笑ってるの? 余裕じゃん。それならもう上がっていいよね」

「うん」


 少しずつ、少しずつ高度を増していく。感覚としてはエレベーターが近いだろうか。それよりもっと自然で浮遊感もない。宇宙に行ったらこんな感じじゃないか――以前母にそう話してみたら、


「魔力を使っている本人は、内臓から手足から髪の先から、全部風になった気分なんだよ」


 と、ためらうように教えてくれた。


 山の木々の樹齢はどれくらいのものなのか。百年、二百年、もしかしたら千年以上生きているのか。木々も空に憧れて、こんなに高く伸びたのだろうか。

 木々の中ほどまで到達した時、花梨が「よぉし!」と急に腹に力を入れた。


「ねえ羽菜、不思議だよね。こうしていると、もやもやした気持ちなんて全部吹っ飛んじゃう!」


 花梨はいきなりフリーフォール並みに上昇の速度を上げた。羽菜は甲高い悲鳴を響かせて花梨の腕に抱きついた。


「怖い怖い怖い!」

「あんたの悲鳴のほうが怖い! ほら、目を開けて見てみなよ。綺麗だからさ!」


 おそるおそる、瞼を持ち上げる。

 青い。青の真ん中に落っこちたかのようだ。眼下には緑、黄緑、深緑。数多の緑色が視界いっぱいに飛び込んで来る。


「良いでしょ?」

「うん、すごい!」


 得意げな花梨の髪色が地上にいた時よりも明るくきらめく。たしかに髪色と魔力の増減は関係なさそうだ。


 空に上がって三分もしないうちに花梨が言った。


「さ、降りようか。日焼け止め効いてる気がしないもん」

「えー! もう少し飛んでいようよ」

「それは自分で、ね!」


 急降下。エレベーターが壊れて落下するとおそらくこんな感じだ。瞬く間に地上に戻され、羽菜はよろよろと地面に手をついた。


「よし、やってみよう!」


 何のダメージも負っていない花梨が憎たらしいほど爽やかな笑顔でステッキを差し出した。目の前のそれと鬼教官とを交互に見比べ、羽菜はこめかみに暑さからではない汗をかく。


「あのう、花梨先生、質問です」

「はい、羽菜さん」

「他魔女の魔道具は、その持ち主なしに触れてはいけない決まりだったかと……」


 にんまり笑みを深めると、先生はしっかり点頭した。


「そうですね!」

「だめじゃん!」


 逃げようと後ずさる羽菜を絶対に逃がすものかと、花梨は目を爛々とさせてにじり寄る。


「実験だよ! 羽菜は魔女のできそこないみたいなもんだしさ、やってみてよ。ね、お願い!」

「今できそこないって言った?」


 ステッキで行く手を阻まれ、羽菜はあっさり捕まった。


「やだー! 怖いー!」

「羽菜さあ、ふつうの道具じゃだめだったじゃん。今までどんな物で試したんだっけ?」

「うう、箒……定番だし。それから自転車。お母さんは自転車だし、あたしもそうかもって。あ、キックボードもやってみた。あとはフラフープとか、バランスボールとか、団扇うちわとか……、あと……あ……」

「あと?」

「……フライパンとか」

「ぶふっ」


 花梨が吹いた。


「ふ、フライパン……。パンはパンでも飛べるパン……」

「笑うな!」


 こぶしを振り上げる羽菜からひょいと距離を取り、花梨は悪巧みしている時の顔をした。


「なるほどね。自転車って、自分のだよね? お母さんの自転車でやったことは?」

「まさか! あるわけないよ! たとえ親子でも禁止は禁止でしょ」

「うん。……でもさ、その禁止を試してみない?」

「試すって、もし何か起こったら――」


 花梨はチッチッと人差し指一本で羽菜の不安を遮った。


「あのね、羽菜はまだ魔力を発現させていないでしょ? ということは、なんらかのショックが必要だと思うんだよね。魔女が他人の媒体に触れるのは御法度、でも羽菜はまだ魔女じゃない。眠っている羽菜の魔力に何かしら働きかけることができれば上出来だって思わない? 何か起こるならむしろ万々歳! 羽菜はちゃんと魔女なんだっていう証明になるんだよ!」


 なるほど、一理ある。花梨は揺れる羽菜の心をさらに揺さぶる。


「それにさっきも言ったけど、持ち主のわたしでもステッキを握るだけじゃ浮くことしかできないんだから、羽菜だったら絶対にいきなり空高くなんて上がらないよ。大丈夫。とにかくやってみよう!」


 羽菜は頭の片隅でしきりに鳴る警鐘に気づかぬふりをして、戸惑いながらも首を縦に振った。


 花梨に導かれて中央に立つ。ステッキを差し出された時はやっぱり少し躊躇したが、意を決して手に取った。


 ――あたしってほんとに馬鹿だ。でもたぶんこれが最後の賭けになる。これでだめなら、もう完全にあきらめよう。もしかしたら、もしかしたら……なんて淡い期待をするのも今日でおしまい。今度こそ、けりをつけるんだ!


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