06 エピローグ

 ある意味当然の話だが、父親たちの懸命な捜索に反して、「出奔したスルヴァーナ伯の次男ヨハンネス」の行方はわからなかった。

 結果、スルヴァーナ家は、政略結婚の代りに少なからぬ金銭を対価として、モンガー子爵家とよしみを通じ、さらなる財政難に喘ぐこととなる。


 その皺寄せは、家内の雇用に直結し、使用人複数名の解雇リストラが断行された。

 職制資格上、(メイドとしては比較的)高給取りである、アンネとハンナにも、その波は及び、どちらかが伯爵家を辞めざるを得なくなる。

 当初は、ハンナをこの屋敷に残すためにアンネが自ら辞職を願いでるつもりだったのだが、当のハンナ本人が、それに待ったをかけた。


 「アンネさんはメイド長なのですから、この家を取り仕切る義務があるでしょう」

 「しかし、ハンナさん──いえ、ヨハ…」


 言いかけたアンネの唇に指を当てて、ハンナはその続きを言わせない。


 「むしろ、わたくしとしては、いい機会だと思っているのですよ。

 この窮屈な屋敷から飛び出して、新たな落ち着く場所を見出すための」


 籠の鳥な存在だった彼女のそういう気持ちは、確かに(母代わりとも言える)アンネにも理解はできた。


 「──わかりました。もうこれからは、わたしが支えてあげられませんが、どうかお元気で」

 「ええ、アンネさんも。今まで本当にお世話になりました」


 こうして、ハンナはスルヴァーナ伯爵家を辞め、メイドとして働けるどこか別の場所を探すことになった。


 幸いにして、若くして上級侍女の職制を持つ優秀なメイドで、伯爵家が持たせてくれた(=アンネが書いた)紹介状もベタ褒めに近いものだったので、ほどなくしてハンナは、とある領主系子爵リバーシア家が王都に持つ屋敷に勤めることができた。


 上級侍女の職制に恥じない高いメイドとしての技能を持ち、穏やかで物腰も柔らかく、どこか気品がある印象を与えるハンナは、主人側からも重用され、使用人達からも一目置かれることとなる。


 スルヴァーナ家にいた頃同様、メイド長の補佐をしつつ、13歳の長女アガーテ嬢付侍女の役目もしっかりこなすハンナ。


 上と下に男兄弟しかいなかったアガーテは、歳の近いハンナを姉のように慕い、頼りにするようになり、ハンナの側も令嬢に真摯に仕え、(主従の分はわきまえつつ)可愛がり甘やかした。


 結果、子爵夫妻からの信頼も得て、年に一度、4ヵ月ほどリバーシア一家が領地に戻る際も随伴ともを命じられる。


 北にあるその領地でハンナは、子爵配下の陪臣騎士タスラムに見染められることになった。

 家事万能なことは言うまでもなく、やや地味めだが整った容貌、女らしく成長した肢体、都育ちで洗練された仕草、慎ましくも優しい性格──などの、数々の美点を備えているのだから、純朴な田舎青年がコロッといくのも無理はない。


 3月に及ぶ騎士タスラムの情熱的な求愛アタックの結果、ついにハンナは陥落したものの、それを指して“チョロい”などというそしりは該当しないだろう。

 むしろ、恋愛関連に未熟(というか恋愛経験ゼロ)だったのに、そこまで熟考したのは立派だと言える。

 恋人となったタスラムは、誠実かつハンナにベタ惚れ状態で、そうなると彼女としても悪い気はしなかった。


 4ヵ月が過ぎ、子爵家が王都に帰る際、主たるリバーシア子爵の許しを得て、タスラムも本人の希望通り護衛担当として子爵一家に同行することとなった。

 その後の一年(正確には8ヵ月)間の王都暮らしのあいだにも、彼はハンナとの精神的・肉体的距離をグイグイと詰めるのに努め──翌年に帰郷した際、周囲に冷やかされつつ、ふたりはついに婚儀を挙げることとなった。


 単なる雇われ人から正式な「家臣の妻」となったハンナは、それまで以上に熱心に主家の家内をメイドとして支え、それに応じて主家からの信頼も篤くなっていく。


 令嬢が王都の貴族学院を卒業するまでは王都の屋敷に勤めたが、彼女が卒業して許婚の元に嫁いだ後は、夫と共に領地じもとに戻り、日中は屋敷でメイドとして働きつつ、日暮れと共に夫の家に帰る形となる。


 家庭では、夫やその家族とも円満な関係を築き、一男二女の子宝に恵まれ、使用人としては、主家の長男の子の乳母ナニーを任されるほどの信任を得た。


 下位貴族に仕えるメイドとしては理想的な幸福を得た彼女ハンナだが、そんな彼女の口癖は、「どんな閉塞状況であっても、あきらめなけれけば──そして策を講じれば、抜け出す道は必ずあるものです」だったという。


-おしまい-

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