第9話 家族ってなんだっけ

 マリベルと結婚して、俺の人生は恐ろしいほどにうまく回り始めた。村の人口が増え、麓の街との行き来が増えたために山道の整備をすることになった。立派な道が出来れば、大型の馬車で物資が大量に運べるようになる。これはヴァインバード家の事業として、俺が全面的に指揮することになってしまった。


「ええ、でも道路工事なんかやったことないよ」

「大丈夫ですよ、エリク様は座っていてばいいですから」


 父の斡旋した現場監督長は笑うが、もちろんそんなことはない。国に提出する事業計画書や図面の作成、工期に合う人夫の確保、村での滞在場所の建設の計画などやることは無限にあった。開拓団長のランドさんと常に話し合い、様々なことを調整しているうちに月日はあっという間に過ぎていく。


「それでは、今日はこのくらいで」


 その日も事業計画の打ち合わせをして、ランドさんの家を出ようとすると呼び止められた。


「いいかい、困ったことがあったら何でもすぐに頼ってくれよ。もう他人ではないんだから」

「……はい」


 ランドさんから謎の義父アピールを受け、家に帰るとマリベルがミネルバと料理をしている。


「お帰りなさい。今日は珍しくお魚が手に入ったから香草焼きにしてみたの」


 麓の街との往来が活発になって、それまで手に入らなかったものも容易に手に入るようになってきた。魚そのものもしばらく目にしたことがなかった。


「マリベル様はお魚でも本当に上手に料理なさるんですよ」


 ミネルバがほくほくと夕餉の準備をしている。


「父が森林監察官だったとき、よく兄と川に魚を釣りに行ったんです」

「まあまあ、そこでお料理を?」

「はい、その時は、母と一緒に」


 マリベルは少し寂しそうな顔をした。ルディとマリベルの母親、ランドさんの奥さんは病気で亡くなっていた。塞ぎがちになっていた兄妹を見かねて、ちょうど開拓の話が持ち上がったところでランドさんは開拓団長に立候補したのだった。


「そうですか。こんな立派なお嬢様に育ってお母様も大変喜ばれていますよ」


 何故かミネルバが異様に喜んでいる。相変わらず女のお喋りというのはよくわからない。


(母親か……俺の母親……アマンダのほうじゃなくて、えっと、名前は……)


 俺は転生前の母親のことを思い出そうとした。しかし、すぐには思い出せないほど前世の記憶は薄れていた。


(そもそも、俺は転生前に何をやっていたんだろう……?)


 確か、交通事故で死んだのは覚えていた。道を歩いていて、そこに事故を起こした車が突っ込んできた。たまたま俺はそこを歩いていたから、轢かれたのだ。


(たしか、俺は新聞配達か何かをしていたんだよな……でも、なんで?)


 ぼんやり前世を思い出そうとしながら、俺は食卓につく。マリベルの作った魚の香草焼きがおいしそうだ。


「いただきます」


 食前の祈りを済ませて、魚を口に入れた瞬間に俺の中の記憶がぶわっと吹き上がってきた。


(おかあさん……)


 思い出した、俺の母親のこと。男に騙されて俺を1人で生んで、1人で育ててくれた。でも働き過ぎてうつ病になって、仕事がなくなって家で寝ているだけになって、俺は大学に行かないことを決めて新聞配達とスーパーの品出しと夜間の交通整理のバイトしてたんだった。


 昔から家は貧乏でろくに友達ができなかった。流行っている玩具は家にないし、旅行に行った記憶もない。勘当でもされていたのか、祖父母というものに会った記憶もなかった。


 それでも料理が上手な母親だった。たまの休みに手の込んだ料理を作ってくれるのが俺は楽しみだった。白身の魚にあり合わせのスパイスを掛けて焼いたものが俺は好きで、休みの度に俺は母の料理をねだった。それが俺と母の大事な時間だった。


「旦那様、どうなさいましたか?」


 急に涙を流し始めた俺をミネルバが不思議そうに覗き込む。


「お口に合いませんでしたか……?」


 マリベルがこわごわと俺に尋ねる。


「違う、あまりにも、おいしくて……」


 俺は必死に誤魔化す。


「泣くほどおいしいなんて、またお魚が手に入ったら作りますね」


 マリベルがにっこりと笑う。それから俺はよくわからない間に食事を平らげ、牛の様子を見てくると適当なことを言って外に出た。


 タウルス高原の空は高い。零れ落ちそうな星空を見ているうちに、自分のふがいなさが骨身に染みてくる。


「俺は、俺は何をやってるんだ……?」


 俺が死んで、母さんは何を思ったんだろうか。俺という金食い虫の疫病神がいなくなってせいせいしたんだろうか。それとも、やっぱり母親っていうのは子供が死ぬと悲しいんだろうか。ただでさえ悲しいことばかりだったのに、俺がいなくなって1人で生きていけるんだろうか。


 俺はバカだ。


 いつだって自分のことばっかり。遠慮をしているわけじゃない。ただ、他人が怖かったから流されるままに生きてきただけだ。前世も、まだ今のエリクになっても俺は甘ったれのお坊ちゃんなんだ。


「俺だって、みんなを幸せにしないといけないんだ」


 その足で牛舎に向かう。並んだバッファローたちを見て、俺は決意を新たにした。


「見てろよ、俺が今にお前らで世界中の人間をあっと言わせる。そしてタウルス高原の開拓の偉業を世間に轟かせるんだからな」


 そのために、俺はまず幸せにしないといけない人たちのことを思う。妻のマリベル、開拓の友のルディとランドさん、こんなところまで俺に着いてきてくれたミネルバやヴァインバード家の面々。そして開拓事業のために集まってくれたたくさんの人々。


「そのためにも、俺が出来ることは長毛種の開発だ」


 長毛種の開発を決めてから、なるべく毛の長いバッファローだけを掛け合わせている。もちろん品種改良なんて一朝一夕でできるものではない。それでも少しずつ、事業は前進している。俺は次第に毛が長くなっているように感じるバッファローを眺めて、家に戻った。


***


 翌年、俺とマリベルの間に娘が誕生した。娘というのは死ぬほどかわいい。俺がこれからマリベルと娘、そして開拓の村を守っていかなければならない。


 バッファローで俺が世界をあっと言わせる、その日まで。

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