第3話 ︎︎出てよ俺のバッファロー

 俺がど田舎の辺境においやられてから数週間が経った。


 タウルス高原には本当に何もなかった。辛うじて開拓民の集落があって、その中に俺の新しい住居があった。その住居も街の屋敷のようにしっかり造られたものではなく、どう見ても山小屋に毛が生えたようなものでしかなかった。


「エリク坊ちゃん、今日はフロンティアさんのところからウサギを頂きましたよ。シチューにしましょうか」


 街からはメイドのミネルバが俺の供として同行していた。彼女は昔うちのハウスキーパーも務めていたということで、母からかなりの信頼を得ていた。出立の日、母は涙を流して俺を見送った。俺も情がないわけではなかったが、毎度毎度過保護に接してくる母親が鬱陶しくて仕方なかった。


 そういうわけで、俺はまあまあ悠々自適に暮らしている。ミネルバの作った料理を食べ、開拓事業の計画書に判を押す。既に開拓団の方であらかた承認されているものを改めて精読する必要もなかった。なんとなく読んで、開墾事業にいくらかかるとかどのくらいまでの予定だとかを把握しておけばいい。俺の仕事はヴァインバード家の判を押す、それだけだ。


「ああ、ミニーの作ったシチューは大好きだ」


 俺は気のない返事をして窓から空を見上げる。タウルス高原の空は果てしなく青く、この開拓にも果てが無い。つまり、俺は永久に街には戻れないのだ。


 その夜、食卓に立派なウサギの煮込みが出てきた。荒れ地が多く、まだ畑が少ない高原では食料の確保が難しかった。開拓団総出で麓の街に買い出しに行くのも骨の折れる仕事だった。俺は部屋にいるだけでウサギにありつくことができる。貴族の特権だな。


「このウサギはフロンティアさんの息子さんが仕留めたそうですよ」


 ウサギの肉を食べているとミネルバがにこにこと話しかけてきた。フロンティアさんとは開拓団の団長で、ひげを蓄えた立派な男の人だ。初めて会ったときに握手をしたのだが、その男らしいごつごつした手に俺は気後れしてしまった。一日中部屋の中に籠もっていた俺の手と比べてしまい、この厳しい大地に俺は歓迎されていないのではないかと勝手に自己嫌悪に陥っていた。


「へえ、そうなんだ」


 何度か開拓団の家に招待されたけれど、やっぱり俺には馴染めなかった。協力して住むとか共同で仕事をするとか、そういうのにどうしても抵抗がある。酒を飲まされそうになって慌てて断ると、何故か笑われた。そういう雰囲気が俺は大嫌いだ。


 それに、やっぱり向こうは「貴族のお坊ちゃん」だと俺のことを思っているに違いない。鍬も鋤も、その他の畑仕事の道具も持ったことのない俺が開拓なんて全くおかしな話だ。ただ名目として開拓事業主の親父の代理として座っていればいいのだ。


「さあさあ、今晩はこれから風が強くなります。はやめにおやすみください」


 ミネルバに言われるまま、俺は床に入る。このタウルス高原の環境は厳しく、時折嵐のような風が吹き荒れる。これがこの開拓で1番の難関であった。


(こんな嵐では並の家畜は飼えない……せいぜい屋内における鶏や馬だけだ。高原に住める羊や山羊がいればいいのだけど……)


 そんなことを考えながら眠りに落ちる。最近は開拓のことを俺も考えている。別に考えたいことでもないけど、他にすることもないから仕方がない。


***


 嵐の翌日はいい天気だったが、俺はまた身体の調子が悪くなった。


「エリク坊ちゃんは気にせずお休みになっていてくださいな、あとはこのミニーめが全部片付けてしまいますから」


 ミネルバは見た目は細身の大人しそうな女性だが、その内情は豪快で、その上とんでもない合理主義だ。ハウスキーパー時代はビシビシとメイドたちを統率していたのを思い出す。


 そう言われても、俺にだってプライドがある。このまま役立たずでいるわけにもいかない。


「俺だって何か役に立つところを見せたいんだけどな……」


 ベッドから降りて窓辺に座る。タウルス高原の大地は俺を見つめている。きっと俺を無能だと嘲笑っているに違いない。


『右手をこう突き出して、心の中でバッファローを思い浮かべながらこう言うの』


 ふと俺は転生時にそんな約束があったのを思い出した。幼い頃、転生時の記憶が戻ったときに一度試してみたけどプロテクトとやらでバッファローは出てこなかった。


「だけど、今なら……」


 少なくとも、一応身体だけは一人前になったので簡単に踏み潰されることもない。俺は右手を前に出して、バッファローを思い浮かべる。とりあえず試してみよう。出来れば子供のバッファローがいい。


「バッファローさん、バッファローさん、おいでください」


 言い終わった瞬間、俺の右手に形容しがたい衝撃が走った。


「ブモー!!!」


 そして同時に、俺の目の前に子供のバッファローが出現した。


「え、なに、マジ!? バッファロー!? いやバイソン!?」


 俺の中のバッファローは茶色い毛がもこもこしている奴だった。そいつの小さめの奴が俺の目の前で鳴いている。


「なんですか、何の騒ぎですか坊ちゃん……なんですかこの牛は!? どこから来たんですか!!??」


 バッファローの鳴き声と俺の悲鳴を聞いてかけつけたミネルバが仰天する。そりゃそうだ、いきなり部屋に見たこともない子牛が現れたのだから。


「……マジだ、マジで俺、バッファロー召喚した……」


 感動している俺に子バッファローは近づいてきて、俺をべろべろ舐めてきた。やっぱり獣は臭かった。

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