兄弟愛は速度を超える ~振り回される弁当箱を添えて~
夜桜くらは
兄弟愛は速度を超える
兄には三分以内にやらなければならないことがあった。駅に向かった弟に、弁当箱を届けるのだ。
弟は余裕を持って家を早めに出た。だから既に駅に着いているはずだ。
電車の到着時刻まで、残り3分。この家から駅までの距離、750m。そうなると、兄は時速何km/hで走ればいいのか? 自転車のスピードだ。
兄が漕ぐ自転車の速度をXとすると、
X=250
分速250m/m。
時速にすると、
250×
──15km/hだ。
自転車の平均速度がそのくらいだから、余裕だ。兄は弁当箱を自転車の前かごに載せ、ペダルを踏んだ。
兄は走る。弟のため、走る。忘れ物に気をつけろとあれほど言っておいたのに、弁当箱を忘れるなんて。
弟を恨む気持ちも、兄としての愛情があればこそだ。弟が高校生になってからは、あまり会話もできないでいるが。今日だって、忘れ物がないか聞くぐらいしかできなかった。それでも、兄は弟を大事に思っているのだ。
兄は走る。弟が弁当箱を忘れたことに気付いて、悲しまないようにと。余裕を持って渡せるようにと。
だが、家から150mほど進んだところで信号に捕まった。この時間ロスは痛い。
兄は青になった瞬間、全力でペダルを踏んだ。残り2分。間に合わせるには?
家から駅まで750m、兄が進んだ距離は150m。
残りの距離をX、兄が漕ぐ自転車の速度をYとすると、
X=600
残りは600m。
Y=300
分速300m/m。
時速にすると、
300×
──18km/hだ。
電動アシスト自転車なら、これくらいは出せる。兄は、速度を上げた。
兄は走る。弟のために、その思いを力に変えて。
兄は走る。弟のため、その愛情を動力に変えて。
兄は走る。走る。走る。
──が、兄が駅まであと350mという地点まで来たとき、思わぬ事態が兄を襲った。
前方、路地から飛び出す野良猫。兄は急ブレーキをかける。間一髪のところで衝突は避けたが、弁当箱が空を飛んだ。
路地から飛び出した野良猫は──いや、猫という動物は、その俊敏さと柔軟な体を利用して兄の自転車の前かごにすっぽりと収まった。
空に舞う、弟の弁当箱。弁当は重力に従い、地面に落ちる──が、その直前で、兄がなんとか受け止めた! そして弁当箱は前かごに収められる。
兄は走る。野良猫と弁当箱を前かごに乗せて。残り1分。行けるか?
駅まで残り350m、時間は残り1分。
兄が漕ぐ自転車の速度をXとすると、
X=350
分速350m/m
時速にすると、
350×
──21km/h!
クロスバイクでもないとなかなか厳しい速度だ。それでも兄は出せる力を全て振り絞ってペダルを踏んだ。
兄は走る。弟のため、走る。前かごに収まった野良猫にも、その思いが伝わったのだろうか。再び弁当箱が飛ばないようにと、その前足と尻尾でしっかりと押さえている。
兄は走る。走る。走る。
間に合ってくれ。間に合ってくれ。
残り50m、駅には人が多い。そして──電車到着まで、残り10秒。兄は、ラストスパートをかけた。
兄は走る。弟のため、走る。弁当箱が飛ばぬようにと押さえている猫にも感謝しながら。その思いを力に変え、ペダルを踏み込む足に込めて。
そして、兄は駅にたどり着いた。自転車を降り、前かごの中の弁当箱を手に取る。残り1秒、ギリギリだ!
兄は走った。改札へと。
ホームへ滑り込んでくる電車が見えた。
弟は、運良く改札から見える位置にいた。兄は弟に向かって叫んだ。弟はその声に驚き振り返る。
そして再び、弁当箱は空を舞った。
紺色の包みは、綺麗な放物線を描いて、ホームに佇む弟の元へ。
弟がそれを手にしたのを見届けて、兄は満足げに微笑んだ。弟は苦笑いを浮かべた。
そして弟を乗せた電車は、風のようなスピードで駅を出て行った。
兄は駐輪場へ向かう。自転車の近くには、あの野良猫が待っていた。
さて、帰ろうか。兄は思う。帰りはゆっくり、
兄弟愛は速度を超える ~振り回される弁当箱を添えて~ 夜桜くらは @corone2121
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