出来心
あべせい
出来心
紳士服の量販店で。
「もう少し、明るいのが欲しいンだけれど……」
「ご主人さまがお召しでしょうか?」
「わたし、結婚しているように見える?」
「いいえ。お若いのに、落ち着きがおありなので、ついご結婚されている方かと……」
「あなた、お上手ね。カレシにプレゼントするの」
「そんな幸せな男性がおられるンですか。うらやましいです」
「あなた、って、ホント。女性の心をくすぐるのね。紳士服の店員なンか、やめてしまったら?」
「ここをやめたら、行くところがありません」
「わたしがお世話してあげる、と言っても?」
「あなたのカレシに叱られます」
「あなたに乗り換えようかな」
「ご冗談でしょう」
「冗談でなかったら?」
「そういう話は軽々しくなさっては困ります」
「そう? わたし、このお店に来るの、3度目よ。覚えてないでしょう」
「い、いいえ」
「あなたって、ウソがつけないのね。すぐバレる」
「すいません。いつも忙しくしていて……」
「そうは見えなかったけれど、まァいいわ。最初に来たのは10日前。2度目は、3日前。そして、きょう。もちろん、あなたとお話するのは、きょうが初めてよ」
「お声を掛けていただき、ありがとうございます」
「わたしがスーツを選んでいても、ちっとも話し掛けてくれなかった。でしょう?」
「それは……、店員から話しかけられるのがお好きでないお客さまもおられるものですから」
「さっき、わたしが近寄ったとき、あなた、避けるように向こうの売り場に行ってしまったでしょう」
「そうでしたか。上司に呼ばれることが多くて。失礼しました」
「だから、わたし、あなたを追いかけて、そばに掛かっていたスーツを手にとって、『このお洋服、サイズはどうなっているの?』って、どうでもいいことを聞いたの」
「どうでもいいこと、ですか」
「どうでもいいことよ。本当に聞きたいことは、『あなたのスーツのサイズは?』よ」
「わたしのスーツのサイズですか」
「そォ……」
「A5ですが……」
「そうだと思ったけれど、一応ね。で、好きな色は?」
「お客さま、どうして、ですか。わたしの好きな色って」
「決まっているじゃない。あなたにプレゼントしたいの」
「待ってください。ここはそういうお店ではありません」
「どういうお店?」
「それは……」
「あなた、決まったひとがいるのね。ごめんなさい、失礼なことを言って……」
立ち去ろうとすると、
「お待ちください」
お客、振り返った。
「ぼく、こういう経験がないので……(左右に視線を走らせ)あと1時間で仕事が終わります。このお店の北側の通りを西へ500メートルほど行ったところに、『つぼや』というお店があります。そこで、お話させていただければ……」
「それ、って、デート?」
「そういうつもりでは……」
「携帯で話しても、突っ込んだ話はできない。わたし、待っている。西に500メートルね。わたし、愉麻。あなたは、名札は伊戸申路さん、いいお名前。マスクがいい男性って、名前もステキ。すっぽかしちゃ、いやよ」
「はい……」
8時50分。「つぽや」店内。
愉麻が入ってくる。
女性店員が迎え、
「いらっしゃいませ。ご新規、1名さま、ご案内しま~す!」
「こちら、つぼやさん?」
「はい」
「居酒屋とは知らなかった。わたしは、つぼやというから、陶器のお店かと思ったわ」
「はァ?」
「そんなことないか。冗談よ。あなた、かわいいわね。年はいくつ?」
「お店の規則で、言えません」
「仕方ないわね。連れが先に来ているンだけれど。いるいる!」
店員の脇をすり抜けると、つまらなそうにつきだしを摘んでいる伊戸申路のテーブルへ。
「申ちゃん、ごめんなさい。待ったでしょ?」
「愉麻さん。もう来られないンじゃないかと思っていたところです」
「そんな勇気はないわ。田舎の叔父が急に出てきたの。それで、マンションに案内して、デリバリーのお寿司をとって、やっと出てきたところ」
「長居できないですね」
「どうして?」
「叔父さんは、何か、大切な用事があって、出て来られたのでしょうから」
「何か頼みごとがあるような口ぶりだったけれど、いいの。あの叔父、前々から勝手な人だから。今夜は、飲みましょう。店員さん、注文!」
2人はその後2時間近く、大いに飲み食べた。
「愉麻さん、大丈夫ですか?」
「なに?」
「このお店、そろそろ閉店みたいです」
愉麻、ガバッと顔を上げる。
「たいへん。わたし、帰らなきゃ。妹が心配しているわ」
「愉麻さん、妹さんがいるンですか?」
「かわいいわよ。学生時代、ミスキャンパスにも選ばれた、び、美形。紹介してあげるゥ……」
再び、テーブルに突っ伏す。
20分後、あるホテルの一室。
愉麻、ベッドに倒れている。
「愉麻さん、しっかりしてくださいよ」
愉麻、むっくりと顔をあげ、
「ウーム……ここは、どこ?……」
「ホテルです」
「ホテル!? あなた、わたしにヘンなこと、したでしょ!」
「待ってください。ぼくは、まだ……」
「まだ、ってなにヨ。するつもり!」
「そうじゃないです。ここに来たのは、愉麻さんが言ったから……」
「なに、わたしがなにを言ったの?」
「池袋の北口から、線路沿いに3分ほど行ったところにある、『タ』の付くホテルに連れて行ってとおっしゃいました」
「このホテルは?」
「だから、『ホテル夕月』です」
「何号室?」
「この部屋は、『204号室』です。これも、愉麻さんが、『空いていたら204ね』とおっしゃいました。幸い、空いていたので、ここに……」
「どうしてそんなことを言ったのかしら? このホテルは初めてなのに……」
「ここはビジネスホテルでしょう。いかがわしいホテルじゃないです。ゆっくり休んでください」
「ちょっと待って。電話をするから」
愉麻、携帯を出してダイヤルをプッシュする。しかし、呼び出し音が聞こえると、すぐに携帯を切る。
「妹は出かけているンだったわ」
「?……ぼくは、これで」
「伊戸さん、何か、忘れていない?」
「エッ」
「結婚の約束」
「結婚!? なんのことですか」
「約束は守らないといけないわ」
「愉麻さん、あなたと何も約束はしていません。まして、結婚なんか」
「結婚の約束は一度もしたことがない、ってこと?」
「……」
「このホテルに来たことは?」
「……」
「これにも答えないの? 答えられないの?」
「来たことはあります」
「この部屋は?」
「……利用したことはあります」
「だれと?」
「そんなことまで答えなければいけないンですか。知り合ったばかりのあなたに」
「覚えているのね。一緒に、この部屋のベッドで過ごした相手のことも」
「あなた、どなたですか!」
「あなた、わたしの顔に見覚えはない?」
「見覚え、って……きょう、お会いしたばかりでしょう」
「よく見なさい。この顔を。穴の開くほど、見なさい。さァ……」
愉麻、顔を伊戸の前に、身を乗り出す。
「そんなことを言われても……美人の顔は忘れないのですが……、そういえば、だれかに、似て、似て、似ている気が……」
「あなた、何人ここに連れこんだの?」
「連れこんだ、って! キミは、いったい……」
「あなた、この指輪に記憶はある?」
愉麻、ポケットから指輪を取り出し、薬指にはめる。
「指輪……プラチナのようだけれど、プラチナじゃない。銀だな、安いゆび、わ……キミは!」
「ようやく、記憶が戻ったようね。3ヵ月前のことを思い出すのに、こんなに時間がかかるのね。あなたにとっては、遠い過去ってわけ」
「キミ……」
「そうよ、わたしは、夕美果の姉の愉麻よ」
「夕美果は、いまどうしている?」
「あなたにだまされて、いまは、死ぬことばかり考えている」
「騙してなんか、いない。ぼくは……」
「ぼく、じゃないでしょ」
「おれは、だまされそうになったンだ」
「なにをバカ言ってンの」
「本当だ。夕美果に金を要求されたンだ。だから、こいつはふつうの女じゃない、おれと同じ種類の人間だと気がついた」
「そんなこと……いま、ここに夕美果が来るから。ウソはほどほどにしておいたほうがいい」
「夕美果が来るのか。キミはおれをハメたってことか」
「そうよ。そうでなければ、なんであんたみたいな男と。夕美果がお金を要求したって、どういうことよ」
「『お姉さんが、事故で入院したから、お金を貸して欲しい』って。お姉さん、ってキミのことだろう。事故で入院したことがあるのか?」
「ないわ……」
「夕美果のことが本当に好きになってしまい、一緒になろうと言った。すると、いきなりの金だ。こいつは、ダメだと思って、あきらめたンだ。こんな女にかかわりあっていたら、ロクなことにならない、って」
「夕美果はそんな女じゃない。丸の内の小さいけれど、貿易会社のOLをしている。ふつうのマジメな子よ……」
そのとき、かすかなノック音とともに、
「お姉さん、わたし……」
「来たわ。夕美果よ」
愉麻、ドアを開ける。愉麻より若くて美しい夕美果が現れる。
「夕美果」
伊戸、立ちあがる。
「お久しぶりね。申路さん」
「夕美果、おれがキミをだました、って。お姉さんが」
「わたしと一緒になりたい、って言ったじゃない。それきり、わたしの前から姿を消して。わたし、傷ついたわ」
「キミは、お姉さんが入院したから、お金を用立てて欲しいといったね。でも、それはウソだった。いま愉麻さんから、聞いたよ」
「それは、あなたを試したの。わたしのために本気になってくれるひとか、どうか、って」
「試した!? キミは、おれがどういう人間か、最初からわかっていたンじゃないのか」
「紳士服の量販店に勤めているけれど、垢抜けた洋服の着こなしや、ハキハキとした言葉遣いが、ほかの店員さんとは明らかに違った。若い女性とみると、連れの男性がいても近付いて、話しかける。商品を勧めるンじゃなくて、女性の洋服や、センスを誉めちぎる。そして、隙を見て、女性に電話番号を書いたメモを手渡し、勤務後、落ち合って食事する。最初と2度目のデートは、あなたがお金を出すけれど、3度目からは一切お金は出さない」
「それがおれのやり方だ」
「わたし、あなたにだまされた会社の同僚から詳しく聞いてから、あなたの職場に行ったの。同僚の敵討ちにね」
「おれは、どんな女にも、結婚しようと言ったことはない。結婚はおれにとって禁句だ。結婚を口にするから、罪になる。女性も傷がつく」
「『一緒にいたい』というのは、結婚のことじゃない、っていうの」
「一緒にいたい、というのは、同棲のこともあるが、ふだん2人で一緒にいようというだけで、結婚には結びつかない。女は、自分に都合のいいように解釈して、勝手に勘違いする」
「わたしも勘違いした、って」
「こんなことは恥ずかしいから言いたくなかったが、おれは、キミだけには、しなくてもいいことをしてしまった」
「?……」
「キミ名義の預金通帳が作ってある。これがそのカードだ」
伊戸、銀行のキャッシュカードを取り出す。
「銀行口座は、身分証明がないと作れないでしょ」
「ネットバンクだよ。キミの免許証のコピーがあれば簡単に作れる」
「わたしに黙って免許証をコピーしていたの?」
「キミがホテルのベッドで寝ている間に、免許証を借りた。キミが年齢、その他、偽っていないか、確かめる必要があったから。これはキミのカードだ。使っていいよ」
夕美果、受取り、
「暗唱番号は?」
「キミの誕生日の、前後に、ゼロを加えた数字だ」
「わたし、あなたのこと、誤解していたの?」
「夕美果、なに言っているの。ここに何しにきたのよ! 職場の同僚の敵討ちでしょ。ミイラとりがミイラになってどうするの!」
「姉さんは黙っていて。わたしの大事なときなンだから」
「キミは、おれのために、お金を使ったことがあったか?」
「それは……ない」
「それなのに、おれは恨まれているのか?」
「だけど、一緒になりたいって言ったから。わたし、ふたりのためにマンションを借りて、新しい家財道具も運び入れて、同居する準備をしていた……」
「キミに、それだけのお金を使わせたことになるのか」
「夕美果、そのカードが本物かどうか、まず確かめるべきよ」
「そうだけれど、この時間じゃ、できないわ。明日の朝まで待たないと……」
「なに言ってンの。ネットバンクなら、24時間、コンビニで使える。わたしがこれから、ここにくる途中にあったコンビニに行って確かめてくるから、貸しなさいよ」
夕美果の返事を待たず、カードを奪い取った。
「夕美果、ここで待っているのよ」
愉麻、外へ。
10分後。愉麻が険しい表情で戻ってくる。
部屋に入るなり、
「夕美果、そんな男、信用しちゃ、ダメよ! あれ!?」
部屋の中はもぬけの空。
「夕美果、どこに行ったの! そうだ」
携帯を出し、夕美果の番号をプッシュ。
「もしもし、夕美果! どこにいるの」
「お姉さん。カードは本物だけれど、預金は千円しかなかったって、でしょう。カレから聞いたわ」
「そんなつまらない男にいつまでかかわっているの。早く、帰って来なさい」
「そんなこといっても。いま、結婚式……」
「エッ、ケッコン!」
「といっても、24時間営業のレンタル衣装屋で、ウエディングドレスとタキシードを借りて、これから結婚式の写真を撮るの」
「そんなことをしてどうすンの」
「この写真をネットで流せば、もう、だれもこのひとのこと、相手にしないでしょ」
「それで、どうするの」
「もちろん、わたしが2人のために新しく借りたマンションでこれから一緒に暮らすわ」
「あなた、本当にそれでいいの。だまされているのよ」
「申ちゃん、いま住んでいるアパートを引き払う、って」
「その男には、そのほうが都合がいいからでしょ。悪いことは言わないから、すぐに別れなさい!」
「別れてもいいけど、おなかの赤ちゃんはどうなるの?」
「エッ!? あなた、同僚の敵討ちはどうするの。そんなことで、同僚にどう言い訳するつもり」
「申ちゃんが、同僚をだましたのは、ほんの出来心だって」
「出来心、って? その男の出来心は、あんたのおなかの赤ちゃんよ!」
(了)
出来心 あべせい @abesei
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