翌る日、断頭台には蛆が湧いた。
匿名希望
プロローグ
それは唐突に終わりを迎えた。
奥行きのある広い部屋であるにもかかわらず、びっしりと張り詰めた空気はどこか困惑を孕んでいる。
カンカンカン、という踏切の音みたいな不協和音がいっぱいに響き渡り、辺りは証言台に立つ少年を誇張するかのように白く白く、どんどん明るくなる。
何事かと、傍聴席に座る5人の男女は、裁判員席の真ん中に座る私の方を見る。
そう。
ここは法廷なのだ。
「今の、全部嘘」
少年は鈍く微笑んだ。
その掠れた言葉を掻き消すように、不協和音は大きくなる。
私____"裁判長"は、その音を脳内に響かせながら、きっとおかしいほどに呆然とした表情を浮かべているだろう。
「誰も、悪くないはずなのに…」
私は重ねた両手を震わせながら、恐る恐る傍聴席に座る一人の青年に目を向けた。
青年は顔を伏せ、現実を見たくないとでも言うふうに頭を左右にふるふると振っている。
私だって、こんな任が無ければ青年と同じように、それかそれ以上に暴れ回っているだろう。
こんなことになるなんて、思いもしなかったから。
部屋の壁が苦しげな音を立てる。
これは私が招いた結果だ。そうだとしても、こうなるなんて誰も聞いていない。
少年は呟いた。
「どうしてこうなったんだろうな」
途端、少年の背後の壁から飛び出した刃がいとも容易く彼の首を飛ばした。
【プロローグ】
「お、目ェ覚めた?」
ぼんやりとする意識の中で、最初に聞こえたのは関西訛りのハスキーな少女の声だった。
聞いたことのない声だ。スピーカーや録音機から流されたような音ではなく、明らかな肉声。
「おーい、この子起きたでー!」
意識が覚醒するにつれ、ツンとした独特の…新品の車の中みたいな臭いが鼻をつく。
うっすら目を開けると、思っていた以上に部屋は暗く、数人の人間の気配を感じた。
人々がひそひそと話すのが聞こえる。その小さな声ですら壁に反響し、私の耳に届いてくる。
どうやらこの場所は天井が高く、嫌なほど静かみたいだ。
「聞こえる?」
先ほど話しかけてきた少女が、少しかがみ込んで座っている私と目線を合わせてくる。
その少女はふやけたように肌が白く、この暗い部屋の中では一つの灯りのように見えた。
「聞こえ、てる…」
ぼんやりと私が答えると、少女はにっこりと笑う。しかし、その笑顔はどこかぎこちなく見えた。
「ほんならよかったわ」
そう言い、少女は立ち上がると人の声がする方へ歩いて行く。
目が慣れてきた私は、薄く開いていた目をぱっちりと開け、部屋をぐるりと見渡した。
「…ここどこ?」
私の声に、人々の会話の声が止まる。
そういえば、先程からどうしてか関西弁の少女以外…というかその少女も最低限しか近づいてこなかったが、人々は皆、何故か私の方に来ようとしない。私に話しかけてくる人も、もちろん居ない。
ひそひそ声が聞こえる中、微妙に暇で気まずい空気が空間を支配していく。
「……ねぇ…」
私は思わず言葉をこぼしてしまう。
「私、どこか変?」
人が居るはずなのに関われないというもどかしさに耐えきれず、そう聞いた時だった。
轟音が鳴り響く。
「うわっ!」
「何!?」
人々が口々に悲鳴を上げる。
すると突然、部屋がぱっと薄明るくなり、あたりの様子が難なく伺えるようになった。
そこでようやく、私は事の不可解さに気づく。
部屋の端から端にかけて、私達を取り囲むように大量の椅子が並べられている。
それだけではない。
私は、他の人々よりも一段高いところにいた。
木製の長テーブルの1番真ん中に、私は座っていた。
ここはまるで…
「…法廷」
「ねぇ、君が僕らを裁くの?」
鼻にかかった青年の声が耳を突く。
ハッとして下を見下ろすと、そこには小さな柵のようなものを中心に6人の男女が居た。
皆、警戒心と不安が入り混じったような揺れる瞳でこちらを眺めてくる。
……彼らは、何者だろうか。
「私達は裁かれる側って聞いたんだ。そして、お前は裁く側の人間」
和装の若い女性が私に静かに語りかける。
裁かれるもの、裁く側。
ということは___
「裁判……?」
私がそう呟くと同時、突然、天井が「ヴヴヴヴ」と奇怪な音を立て始めた。
天井を見上げると、眩しい光に照らされる中、何か黒い物体が私の後ろに降りてこようとしている。
「な、なにあれ……」
"裁かれる側"の一人がそう声を漏らした。
徐々に降りてくるそれは学校の黒板くらいの大きさがあり、この法廷の壁一面の3/2を占領してしまうほどだった。
下降する音が壁に反響し、ぐわんぐわんと気持ち悪い音を立てている。
それはゆっくりと降り、私が座る椅子のすれすれの位置で止まった。
「…モニター?」
私が訝しげにそう言うと、それに誘われたようにそのモニターの画面はパチっと明るくなった。
目がチカチカする。
だが、私はそんなことよりもその画面に表示されたものに目を引かれた。
写っているものを確認すると、咄嗟に私はモニターから目を離して小さな柵…証言台の周りに立つ6人に目を向けた。
6人は、突然自分達の方を向いた私のことなど気にかけず、モニターに釘付けになっている。
私はまた、ゆっくりと視線を戻す。
モニターに表示されていたのは、紛れもない目の前の6人の顔写真だった。
【茶髪の少年】
01
【金髪青目の青年】
02
【オッドアイの少女】
03
【緑黄色の男性】
04
【和服の女性】
05
【白衣姿の淑女】
06
顔写真と名前の他に、○○日後という謎の数字も記されている。
私はもう一度モニターから目を離し、みんなの方を振り返る。
唯一話しかけてきてくれた【オッドアイの少女】がルリカ。そして、裁かれる側と裁く側の話をした【和服の女性】が与太子。
他の面々とは、ほとんど会話をしていない。
そう思いながら彼らを眺めていると、見られていることに気づいた【白衣姿の淑女】ノアが、気のいい笑顔を私に向けた。
「裁判官ちゃん、キミの名前は?」
自分の名前を自分から名乗るのはなんだか久しぶりな気がして、私は少し新鮮な気持ちになる。
「…」
暫し沈黙が落ちる。
ようやく私は口を開いた。
「…
「だと思うって何だい。自分の名前だろ?」
ノアがからかうように言ってくる。
「んだよ、結構普通の女子なのな。アンタ」
【茶髪の少年】キョラのその言葉により、張り詰めていた空気がふっと軽くなるのを感じた。
先ほどまでと違い、私を見る6人の目から警戒の二文字は消えていた。
「ねぇ、私そっち行っていい?」
6人は赤べこのように同時に頷いた。
私は少し微笑ましく思いながら椅子を立つ。
そんな私を見て、気が緩んだらしい【緑黄色の男性】ロイは、少し呆れたようにため息をついた。
「ま、そんなカッコしてたら近寄りがたくもあるよね」
じゃらり、とチェーンのようなものが擦れる音が足元から聞こえた。
私は咄嗟に自分の体を見下ろす。
そして、ぞっとした。
「な…なんで私こんなの着てるの…」
それはれっきとした軍服だった。
靴からはチェーンが垂れており、長さからして歩くたびに床を擦るだろう。
その音によって、威圧感はあるのだろうが。
「知らなかったのか。結構似合ってるけどね」
ノアがそう言った、瞬間。
ヴヴっと、なにやら私の胸元が振動し始めた。
「わっ!おっと、えっ、わっ」
手を滑らせながら、私は胸元をまさぐる。
何も見つからない。
「っ〜…もう!」
何もないことに不安を覚え始めた私は、力任せに胸元のボタンを外し、ばっと開けた。
そのことに、男性陣__主にロイとキョラ__は叫び声を上げる。
「どわっ!!」
「はい、見ない見ない」
先ほどから一言も話さなかった【金髪青目の青年】コースケが、すっとキョラとロイの目を隠す。コースケ自身も目を瞑っているので、これで男性陣に私のハレンチな姿を見られることはなさそうだ。
「トキコちゃん…躊躇いねぇな……」
ノアの呟きが聞こえた気がしたが、涼しい顔で無視をしておく。
私は服の中を漁り続ける。
ふと、何か震え続けているものが指に当たった。
「あった!」
急いでそれを取り出し、服のボタンを素早く閉める。
それを確認したルリカが、コースケの肩を叩いて「目ェ開けてええで」と囁く。
そのやりとりを見て、私は自分が握ったものに目を向けた。
それはずっしりと重く、普通の生活をしていればこんなものを持つことはなかっただろう。
手の中で振動し続けているそれは、トランシーバーだった。
「こんなものが……」
私が呟いた、その時だった。
『やぁっと気づいたかクソガキィ!!!!』
トランシーバーを思わず放り出してしまう。
ガシャん、という重く乾いた金属音が静まり返った法廷に響いた。
『うおっ!乱暴するなよ!!』
トランシーバーはガタガタと床で暴れ回る。
皆はそれを、畏怖が混じった哀れむ目で見つめた。
「こんなもの服の中に入れちゃダメだよ、トキコさん」
ロイが淡々と言う。私だって、入れたくて入れていたわけではない。
トランシーバーから聞こえてきたのは、若い男の声だった。
『おいクソガキ。聞こえてんのか、裁判官のメスだよ』
どうやら、先程から『クソガキ』と言っていたのは私のことだったらしい。
少し腹が立ったが、そんな感情より強い「不安」と「好奇心」が私の口を動かした。
「な、何」
私が返事をすると、トランシーバーは振動を止めた。苛立ちが収まりでもしたのだろうか。
『……俺を拾え』
言葉に従い、私はトランシーバーを震える手で拾う。トランシーバーはブブッと一度振動した。
『おい、裁判官と被告人ども。よく聞けよ』
辺りがしんと静まりかえる。
『ここは罪を判決する場所だ。それはお前らにもアナウンスで伝えた』
私は聞いていない。おそらく、与太子が言っていた「裁かれる側と言われた」というのはこのアナウンスのことなのだろう。
『つまり、お前らには罪があるということだ』
6人は目を見開き、お互いの顔を見合わせた。
罪なんか犯したの?という顔ではない。
「きみ達も?」という、確認を求める表情。
『おいクソガキ』
トランシーバー越しに、男は私に言った。
『この6人は、みんな人殺しだ』
私は目を見開いて彼らを見つめる。
その瞬間、六人の顔からは全く同じ感情が伺えた。
"拒絶"
「殺した…の」
恐る恐るそう聞く。6人はぴくりと耳を動かしたが、ちらりとも私の方を見ようとしなかった。
「ねえ、教えて」
私はそう言うが、皆目を背けたままだ。
しかし、その中でも一人だけ、私の問いかけに答えてくれる少女が居た。
「……そうでもせんと、ルリが死んどった」
ルリカだった。
「ルリは悪くない…正当防衛」
その小さな喘鳴に動かされたのか、ルリカの言葉を聞いた残りの5人はぽつりぽつりと話し始めた。
キョラは言う。
「僕は快楽殺人鬼だ。家族のためだったはずなんだけどな」
与太子は言う。
「私は生きたかった。でも、自分がしたことが間違っているのは痛いほど分かっている」
ロイは言う。
「…未来を誓うためだったからね」
ノアは言う。
「この世は駄目だったんだ。神がいるなら、僕に手を差し伸べてくれたってよかっただろ」
コースケは言う。
「……全部キョラ様のためです」
その言葉に、私は反応してしまった。
「キョラのため?」
コースケはこくりと頷く。
この青年とあの少年の間には、どんな繋がりがあるのだろうか。そう聞こうとしたが、その問いはトランシーバーの男の言葉によりかき消された。
『今からこの場所についての説明をする。よく聞いとけよ』
全員がこちらを見たので、私は裁判員席の机の上にトランシーバーを置いた。
『ここは法廷だ。この部屋の外には、最低限生活が出来るぐらいの設備が施されてる。部屋は一人一つあるから安心しろ』
男は淡々と話し続ける。
『さっきも言った通り、ここは罪を判決する場所だ。一週間に一回、裁判を行う。そこで、裁判官のガキにはその被告人の「有罪」「無罪」「分からない」を決めてもらう』
「……分からない?」
普通の裁判は、有罪と無罪、その二つしか存在しないはずだ。
『あぁ、その時がくれば分かるさ。この被告人達の中にも、俺様が「分からない」って思った奴は居るからよ』
6人の顔をゆっくり見渡す。
全員、善の要素が残っていそうな顔つきだ。まあ、実際顔を見ただけで判決ができるなら、困ったことにはならないのだが。
『最初に裁判が行われるのは来週。トップバッターは被告人番号01のキョラと02のコースケだ』
コースケは「そうですか」と興味なさげに言ってのける。男に不快感を示しているのか、端正な顔をぐにゃりと歪ませて。
しかし、私は少し違和感を覚えた。
「なんでキョラとコースケは同じ日に裁判するの?」
その問いに、トランシーバーの男は面倒臭そうに答える。
『後にわかるさ』
一週間に一回裁判、それを5回となれば、少なくともここには一ヶ月以上居なければならないことになる。
「てかさ、お前誰」
キョラのよく通る声が聞こえた。
トランシーバーは一度振動し、面倒くさそうに答えた。
『
「変な名前。様とかつけたくないんだけど」
『文句言うな』
【トランシーバーの男】マワリヤサマは不満げに震える。苛立ったキョラは、それを蹴ろうとするが寸前でコースケに手を引っ張られ止められる。
「ダメです。約束したでしょ」
そう言われ、キョラはため息を一つ。そして、緩く彼の手を振り払った。
「いつの話だよ」
と言って。
トランシーバーはガタガタと面白そうに震える。彼はどこからこの部屋の状況を見ているのだろうか。
『じゃ、話の続きだ』
マワリヤサマは告げる。
『裁判の時、被告人の話は最低限しか聞かないこととする』
私は、そして皆も、耳を疑った。
「どうして?彼らの話を聞かないと判決はできないでしょ」
『オメーは素直そうだからな。嘘とかつかれても信じちまうだろ』
うっ、と図星だった私は口をつぐむ。それを良しとしたのか、マワリヤサマはぺらぺらと説明し続ける。
『おい被告人ども。"カセットテープ"は持ってるか?』
被告人たちは自分たちの足元を見る。
しかし、証言台が邪魔をしているせいで私には何も見えなかった。
「何があるの?出てきて」
そう言うと、6人は目を見合わせあった後、何かを引きずる音を立てながら歩いてくる。
1番初めに出てきた与太子の足には、カセットのようなものが鎖で繋がれていた。
「これのことだろ」
トランシーバーは返事をするように震えた。
皆は、与太子に続くように前に出てくる。与太子と同じように、皆の足首には鎖が繋がっていた。
それを見ていると、突然、「わっ」というコースケの驚いたような短い声が聞こえた。
ばっと皆がそちらを振り返る。
コースケは転びそうになり、よろめいたところを身長の高いルリカに受け止められたようだ。
それを確認した瞬間、先ほどまでの生意気を疑うような、キョラの心配を孕んだ声が耳を掠った。
「ご、ごめんコースケ。大丈夫?」
困り眉で謝るキョラに、コースケはふっと表情を緩める。
「ルリカさんが受け止めてくれましたから」
キョラは弾かれたように顔を上げ、真っ先にルリカを振り向いた。
「あ、ありがとう…ルリカ」
ルリカはにこっと笑い、「かしこまんなよ」と揶揄うふうに言ってのけた。
そのやりとりも印象的だったが、私はそんなことよりキョラとコースケの鎖の行き先に目がいった。
「…二人で一つのカセットテープ…」
思わず声を漏らしてしまう。
『面白い奴らだろ?だからこいつらの裁判の日は一緒なんだよ』
トランシーバー越しのマワリヤサマは心底楽しそうに言ってくる。
そして私は、先ほど感じた違和感の正体がわかった。
「そっか。だから二人は裁判の日が同じなんだ」
二人は顔を見合わせ合う。
『カセットテープはこいつらの罪の記録が記されているんだ。裁判の時はこいつらを再生する。だから、被告人がどんな証言をしようが、結局は関係ねえ』
それを聞いて、被告人…特にロイは嫌そうな顔を浮かべる。
マワリヤサマはそんなもの見てやいないのか、声色を変えることなく言葉を紡ぎ続ける。
『裁判官には、その映像を見て「有罪」「無罪」「分からない」の判決を下してもらう』
私は、この「善」にしか見えない6人が無罪であることを願う。
『オレの話はこれで終わりだ。じゃ、被告人どもに次に会うのは一週間後、音花郷楽と淀川恋弼の裁判でだ』
ブツッ、という乱暴な音と共にトランシーバーとの通信は切れた。
数秒間、法廷にうるさいほどの静寂が訪れる。
ふと、法廷の右側の壁に時計がかけられているのに気がついた。
「……16時か…夜ご飯、どうしようかな」
私のその呑気な言葉に、6人は肩の力を抜いた。
◇
「みんなで料理をしよう。包丁とか凶器の使用は私が許可するよ」
「はーーい……」
沈んだ空気が真新しい調理場に漂う。
なぜ皆で料理をしようと思ったのか。私は冷蔵庫にしまわれてあったレトルト食品で済ませようと思ったが、ノアが「親睦を深めるためにみんなで作ろうじゃないか」と言い始めたのだ。
「何食べたい?」
ノアはみんなに尋ねる。私を含めた6人は少し考える素振りを見せた後、顔を見合わせた。
「なんでもいい…」
「えー!?」
私達の回答が期待していたものと違ったのか、ノアは残念そうに眉を下げる。
「んー…アタシちゃん、何したいとかある?」
与太子が振り向く。与太子の名前の読み方は「ヨタコ」だが、ルリカが「古風やな。あだ名つけよう」と言い始めたので、与太子の読み方を改変して「アタシ」となった。
私を含め皆、それから与太子のことをアタシと呼んでいる。
「そうだな……魚は捌けるか?」
「無理」
「そうか………」
与太子…及びアタシは、少しがっかりした様子で頭をひねる。
すると、しびれを切らしたらしいロイが、勢いよく…発表をする小学生のように、手を挙げた。
「じゃあ簡単なのにしようよ!みんなで肉じゃが作ろう!」
「いいやん、楽しそう」とルリカが言ったことにより、本日の晩餐は肉じゃがに決まった。
「決まりー。じゃあ役割分担ね」
ロイはテキパキと皆に役割を与えていく。5人はロイに言われたように動く。
ひと通り役を振り分け終わると、彼は私のほうをくるりと振り向いた。
「最後…じゃあトキコさんは野菜切って!」
はいっ、と包丁と野菜の入ったボウルを手渡される。
皆が何か物を言いながら作業する中、私はまな板と野菜を前に、包丁を手にして棒立ちする。
実を言うと、私は料理が大の苦手なのだ。
「………くっ」
小一時間経ち、遂に覚悟を決めた私は、不器用ながら包丁を構えた。
しかし、野菜に向かったその右手は何者かに掴まれて止められた。
「なっ」
「危っかしいですね。俺がやります」
呆れた声を聞き、私は固まってしまう。
そうしていると、彼に包丁を奪われ、まな板を目の前からずらされる。
ぎこちなく横を見ると、彼は丁度邪魔になる長さの金髪を耳にかけ、作業を始めんとしていた。
「いざ」
「まっ待って!コースケ、これは私の仕事だよ」
コースケは目だけでこちらを見ると、少し首を傾げる。おそらく、「包丁の持ち方もなっていない貴方が?」という顔だろう。
私は少しムッとし、頬を膨らませる。
数秒間、私は彼の曇った青空の瞳と見つめ合う。
「……じゃあ教えます」
引かない私を見て諦めたのか、包丁を私に返すと、コースケはまな板をずらした。
そして、調理台の下からもう一本の包丁を取り出すと、お手本のように掲げた。
「包丁の持ち方はこう。トキコさん、利き手は?」
「右手」
「俺の逆ですね。ならこう」
左利きらしいコースケは、包丁を持ち替えて言う。
私はコースケの真似をし、ぎこちなく包丁を構える。
彼はそれを確認し、「左手は__」と話を続けた。
ふと、私は彼を真似ながら周りを見渡す。
「……あれ?」
やけに人数が少ない。この部屋にいたのは、私を含めた7人全員だったはずなのだが、今は私、コースケ、ロイ、ルリカの四人だけしか居ない。
「他のみんなは?」
その問いに、コースケは顔を上げる。
「キョラ様とアタシさんとノアさんですね。作業が終わったらしいので、部屋の散策に向かいましたよ」
彼の淡々とした言葉を聞き、私は「ふぅん」と声を漏らす。
実際、私もこの建物に何が設備されているのかは認知していない。
「……あれ?」
そこで、私は一つの違和感に気がついた。
「コースケとキョラはカセットテープで繋がってるでしょ。なんで別々に行動できてるの」
すると、コースケはぴっと自分の足元を指差した。
それに釣られて私も下を見る。そして、その光景を見て、少し拍子抜けしてしまった。
「…………取り外しできるんだ」
コースケの異常なほど細い足首から繋がり、カセットテープを隔て、そして鎖…の先には、枷がごろんと転がっているだけだった。
「俺たちは二人で一つだから特別らしいです。どちらか片方は絶対着けとかないといけないっぽいけれど」
意外とフリーなのか、と私は思う。ということは、キョラは今、枷のない全くの自由の体で行動していると言うことだ。
彼らはどこに行ったのだろうか。せめてもの裁判官として、行き先が少し気になってしまう。
「トキコさん」
そんな私を気にかけたのか、コースケは自分が持っていた包丁を片付け、私が持っている方へ手を伸ばした。
「気になるなら行っていいですよ。裁判官の貴方はこの建物の構造を知っていた方がいいでしょう」
少し躊躇ったが、結局、私はその言葉に甘えることにした。
◇
フロアの間取りを見て、私は適当に歩き始める。
「居ない…ここも、居ない…どこぉ?」
一応、抜けた3人を探してはいるのだが…私の目が悪いのか勘が悪いのかは定かではないが…全くもって見つからない。
今、図書室、彼らの自室、そして昔の映画ばかり放映されているシアターを通り過ぎてきたが、どこにも彼らの姿はなかった。
「おーい、キョラー…アタシー…ノアー…」
呼びかけてみても返事はない。まさか、この建物に2階など無いはずだから、声の届かないような他の階に居るなどのことはないだろう。
となると、彼らがいる部屋は随分と扉が厚いのだろう。
「じゃああそこか」
私は狙いを定め、そこへ向かう…前に、もう一度間取り図を確認する。
私が確認したのは、法廷の場所だった。
◇
重い扉を力一杯押す。
重量があるにも関わらず、その扉は音もなく開いた。
「やっぱり居た」
証言台の周りに立つ3人を見て、私はほっと肩の荷を下ろす。
突然入ってきた私に少し驚いたのか、3人は目を丸くしてこちらを眺めていた。
「あんなに手こずってたのに」
デリカシーのないキョラがズバッと言い放つ。
それを聞き、アハハとノアはからから笑った。
「コースケがやってくれてるんだよ」
「コースケも働くなぁ。最年長だからと気を張っているのだろうか」
アタシは不思議そうに言う。
自分なら絶対手伝わないと言った匂わせもあるのだろうが、私はそんなこと気にかけない。
私だって手伝おうとは思わないからだ。
「で、何してたの?」
3人に聞く。
その質問に、ノアが何もおかしくないというふうに答えた。
「世間話だよ。どこの学生だとか、何してるかとか」
想像以上に普通の答えが返ってきて、今度は私の方が目を丸くしてしまう。
その流れか、ノアはトキコちゃんはどこの子?と悪びれもなく聞く。
「えっとね、トーキョー。女子校通い」
「あーぽいぽい」
何がぽいのか。適当に返事をしたキョラを私は少し疑問を孕んだ目で見つめた。
「そう言うキョラは?」
そう聞くと、キョラは嫌そうに目を細める。
「…ど田舎の中高一貫」
どこの県とまでは教えてくれなかったが、キョラが露骨に嫌そうな表情をするのでこれ以上の詮索はやめておく。
「ノアは?」
「大学行かずに社会に出てるよ。知人のラボで働いてる」
ノアは陽気な行動とは裏腹に知的なようだ。それを聞くと、眼鏡越しの彼女の視線が蛇のように絡みつく気がした。
その感覚から逃れるように、私はアタシの方を向く。
「あ、アタシは?」
アタシは驚いたようにびくりと体を震わせ、拒絶するように目を伏せた。
その様子を見て、少し後ろめたくなった私は慌ててアタシに頭を下げる。
「ごっ、ごめん…聞いちゃいけないこともあるよね…」
そんな情けない私を見てか、ちらりと伺ったアタシの頬は綻んでいた。
「ははっ。裁判官が被告人に頭を下げるなよ」
アタシは面白そうに、ぐしゃぐしゃと私の頭を撫でくりまわす。
「わっ!やめてよー…」
「お前は可愛いやつだな」
年下の私を、本当に子供をあやすように扱うアタシ。
そんなところに、重い扉が開く音が挟まった。
「ご飯できたよー!!」
お玉をカンカンと鳴らしながら、ロイが私たちを呼びにきた。
「いただきます!」
法廷とは思えないほどあたたかい空気が流れる。
結局、私はこの肉じゃが作りには全く加担することができなかったのだが、皆が作った物というだけでもすごく美味しく感じた。
「ロイ君、料理上手いんやなぁ!」
ルリカがロイに言う。屈託のない笑顔で褒められたロイは、少し照れくさそうに答える。
「まぁ、僕料理人やってるからね」
この後、私は気になったので、裁判官の特権として彼らの職業を聞いた。
以下、その内容となっている。
【音花郷楽】私立中高一貫学校 中等部二年生
【淀川恋弼】無回答
【館山ルリカ】県立高校三年生
【四月一日ロイ】ホテル料理人
【炎谷与太子】小説家
【柊延鴉】研究者
コースケの無回答が気になったが、それよりこの場所の人間は、見た目もだが中身も変わった人間が集まっている。
少し冷めかけた肉じゃがを頬張りながら、私はそう考えていた。
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