第3話 違法な樹海入り

「メンターさんですか……聞いたことないですね。どういう見た目ですか?」

「髪が短く、背が高くて、左頬に傷のある男勝りな兵士みたいな人です。『西のアルカディアを目指す』と言ったきり、姿を消しました」

「うーん、見た目だけなら探検家の中にもたくさんいると思うんですが……というか、アルカディアですか。本当であれば私も今頃、探検家として目指していたんですけどね」


 渇いた笑いを漏らすカレア。


「『アルカディアは樹海の奥地にある』と、ギルドの人が言っていました」

「そう言われてはいますが、実際のところ誰も見たことはありません。遥か昔からの伝承では理想郷——つまりアルカディアやオアシスのような場所があって、そこでは衣食住に一切困らない発達した文明都市があると言われています」


 そこにメンターは向かったのか……あの部隊から離脱した時を考えれば、何を目指したとしてもおかしくはないが。


「なら、実際には存在しない?」

「それがそうとも言えなくて……現代の知識や言葉は古代の探検家達の叡智である『アルカディアワード』と呼ばれています。学者の間でも樹海付近の生活圏のみ急速な文明発達が見受けられるようで、アルカディアのような存在を認めなければ立証できない技術もあったようです」

「それが森で言っていたことですか」

「はい。距離の測り方や、年月や時間、言葉や文字に至るまでアルカディアワードが使われているようです。例えば私達が書いている文字はかつて『アルフォンベット』や『ニハンゴ』、『アロビナ数字』と呼ばれていたみたいですよ」


 そう言えば、学校にいた偏屈な先生がそんなことを言っていた気もする。自然と使っているので分からなかったが。


「カレアさんは博識ですね」

「メディックは他の役職に比べて、筆記試験も重要視されるので勉強したんです……今となっては無駄になりましたけど」


 ちびちびと水を飲むカレア。


 話している分には、かなり優秀な女性に見える。が、彼女のメンタルは相当落ち込んでいるので、本来のパフォーマンスを引き出せないのだろう。


「ただ……樹海は探検家同士の小競り合いや、過酷な環境や野生動物への対処、それに獣の襲撃もあるし、とても危険なんです。中でも樹海の奥地を目指すことは、二度と戻れないような危険な旅を意味します。そのメンターさんがギルドに登録しているか、一度確認した方が良いですね」

「ギルドに登録しなければ樹海に入ることは叶いませんか?」

「はい。樹海入りが可能な唯一の職業が探検家ですから」

「探検家になる資格や期間は?」

「役職にもよりますが、体力測定と適性検査を受けた後、1カ月間の基礎訓練を経て、そこから役職訓練を終えた後に半年後の合同訓練に合格すれば『初級探検家』になれます」


 全部で7カ月か。もしレベルの低い訓練だとしたら、時間を無駄にはしたくない。


「最短で探検家になる場合は?」

「『ファイター』という役職ならば役職訓練に筆記試験がありません。体力試験に合格して、基礎訓練と似たような1週間の格闘期間を過ごせば、役職をギルドに登録して探検資格が得られます。メディックは半年ですが……」

「1カ月と1週間ですか」

「それと、最初は最低でも4人1組の『探検隊』を結成しなければ樹海入りできません。全員が異なる役職である必要もあります」


 かなり面倒な話になってきたな……


「そんなに樹海は危険なのですか?」

「樹海内の訓練地域は比較的安全ですが、コンパスがきかなかったり、毒ガスが噴出している場所もあるんです」


 毒ガスか。


 想定外の障害に、タイラーは厳しい表情を隠せなくなった。


「それは厄介ですね……」

「もし本気でアルカディアを目指すなら、探検隊より大きな『探検団』を結成して挑む必要があります。今まで挑んで帰って来た探検家はみんなそうしてきました。トップレベルの実績と充分な資金が必要にはなりますが……」

「1人で挑んだ探検家はいるのですか?」

「いると言えばいるのですが、その人はちょっと特殊というか——」


 その時、酒場に入って来た集団に店内がざわつき始めた。先頭を切って入店したのはタイラーより年上に見える金髪の男で、10名程度の男女を引き連れている。店の隅を特等席のように陣取ると、バックパックを床に置き、全員で腰掛け談笑を始めた。


「現役の上級探検家だぞ……!」

「樹海から帰って来ていたのか……?」

「握手してくれるかな……?」


 上級探検家。ということは——


「あの人がその特殊な人ですか?」

「いえ、『レマルク探検団』は東ギルドでも有名な探検家集団ですが、単独での樹海入りは許されていません」


 気付くと、酒場で食事やアルコールに舌鼓を打っていた客達がそろそろと立ち上がっていた。何やら気まずそうな表情で席を立つ、探検家と思しき男達。しかし大半は探検団の近くに列をなし、中心人物である金髪の男と握手や挨拶を交わし始める。


「凄い人気ですね」

「樹海探検を引退してから上級探検家の試験に合格する人はいますが、レマルクさんは現役で受かっているので別格なんですよ」


 カレアはそう言うと、赤い後ろ髪を撫で付けながら目線を床に向けた。


「ちょっと眩しすぎて、一介の探検家は気まずいですけどね……」


 なるほど。さきほどまで武勇伝を語っていた男達が撤退した理由が分かった。


「——あの人に勝てれば、樹海でも生き残れますかね?」

「え……? それは組織やチームワークを抜きにしたら、そうかもしれませんが……」


 タイラーは静かに立ち上がり、列の最後尾に並ぶ。意外そうに見詰めるカレアの視線を無視し、懐から手帳を取り出す。紙にペン先を走らせ、書いた部分を手で千切り、右手に隠し持ち、人がはけるのを待った。


「君は——見ない顔だね?」


 肩に青いワッペンをした集団が、一様に自分の顔を凝視してくる。中には無遠慮に睨み付けてくる女性もいたが、タイラーは意に介さず微笑を浮かべて握手し、そのままカレアの元まで戻った。


 ◆


「——『手合わせしたい』というのは、どういうことかな?」

「そのままの意味です。どちらかが降参するまで戦いたい」

「そっちの探検家の子もやるのかな?」


 酒場を出た先にあるギルド区の街路。

 書店と服屋の間にある通路から路地裏へと入った場所にタイラーが呼び出すと、レマルクがカレアに話しを振ってきた。


「いえ、私は全然関係ありません!」


 人気のない一直線の通路で、カレアはが耳打ちしてくる。


「どういうつもりなんですか、タイラーさん……?」

「僕は何でも自分の目で確かめないと納得できない性分なんです。大丈夫です、そこで見ててください」

「見るのは前提なんですね……ここまで奢ってもらえたので付き合いますけど……」


 決闘相手から視線を外さずに、タイラーは口元を緩めた。


 義理堅いな。


「その性分は素敵だと思うよ——で、ルールはどうする?」

「命に関わるような攻撃は無しで」

「分かった。小細工もナシにしよう」

「了解です」


 レマルクのそばに寄り添っていた長髪の若い女性が一歩前に進み出る。「レマルク様」と、咎めるような声音を発するも、当の本人が手で制した。


「良いよ。こういうことを仕掛けてくれる探検家は最近いなかったから、嬉しいんだ。ただ、ギルド区で揉め事を起こすと後が怖い。派手なやり取りは止めよう」


 それは同意見だ。


 タイラーも頷き、本題に入る。


「1つ質問があります」

「俺の質問に答えたら良いよ」

「答えられる範囲なら」

「君、探検家じゃないな?」


 無言の返答。

 タイラーは愛用している鍔の付いたなたを腰裏から外し、鞘が外れないように紐で刀身に縛り付ける。


「まあ良いか——名前と歳は?」

「タイラーです。26歳。あなたは?」

「『レマルク探検団』の団長を務めているレマルクだ。ちょうど30になったばかりだよ——180cm、75kgといった具合か?」

「そんなに大きくありません」

「本当かな……で、何が聞きたい?」


 タイラーとほぼ同じ体格のレマルクも、腰の左側に差した片手剣らしき武器を鞘ごと外す。


「メンターという女性を知っていますか?」

「メンター?」

「左頬に傷のある、背が高くて男勝りな女性です。日焼けした人で、大きな声で笑います」


 レマルクは真剣に悩む表情を見せた後、周囲で人が寄り付かないように警戒している仲間達に視線を向ける。全員が揃えたように真横に首を振った。


「悪いね」

「いえ——」


 圧。


 頭上から垂直に振り落とされた剣を、タイラーは鉈で受け止めた。


 いきなりか……!


 防具も何も着けていないレマルクの腹を蹴り付け、距離を取る。


「蹴り速くない?」


 楽しそうに笑ったレマルクは、円を描く様にタイラーとの位置を調整し始めた。


 サークリング。

 対人格闘戦における基本だ。


 タイラーも非利き手ウィークハンドを前に出し、常に相手と正面を向き合い続ける形で立ち回る。


 左袈裟斬り。

 踏み込み斬り。

 再び面への打突。


 それら攻撃を何度か回避し、軽く鉈を振るった。

 直後、タイラーは姿勢を低くしながら、前方へ一挙にステップ。

 頭部を両手で守りながら、相手のふくらはぎカーフにローキックを叩き込む。

 レマルクの表情を窺うと、一瞬、頬を歪めた。が、すぐに不敵な笑みを浮かべ、余裕の顔色を見せる。が、タイラーは自身の脛を覆う鉄を入れた脚絆きゃはんが、レマルクの下半身にレガースの上からでもダメージを与えたと確信。


 やっぱり、カットの仕方を知らないんだな。


 剣を何度か振るうレマルク。

 距離感でそれをかわすタイラー。

 剣と鉈の応酬の合間に、タイラーは彼のアキレス腱や脛、カーフにブーツや脚絆を当て続ける。サークリングの途中で相手の顔をチェックすると、明らかに強張っていた。


 ——頃合いだな。


「参りました」


 タイラーは片腹を押さえながら、その場に片膝をつく。固い表情を崩さないまま相手の前で、鉈を地面に置いた。


「失礼しました」


 謝りながら、探検団の面々の様子を窺う。

 そこから見て取れる感情は、軽蔑。

 挑んでおいて、勝手に降参か、というメッセージが、口に出さずとも伝わってきた。


「いや……問題ないよ」と、剣を腰に戻すレマルク。


「カレアさん、行きましょう」

「怪我は大丈夫なんですか?」


 それには答えず、レンガ舗装された裏路地から表通りへと向かう。


「探検家にならないのか? 慎重で大胆な君ならあっという間に上級——いや、中級からスタートしてもおかしくはない」


 そんな飛び級みたいな制度もあるのか。


 背後から話し掛けてきたレマルクに、タイラーは応じた。


「最後に、訊きたいことがあるのですが」

「……何かな?」


 ◆


 タイラーとカレアが去った後——


「……レマルク様?」

「あいつ……」


 レマルクは何度も蹴られた左脚に力が入らないことに気付く。

 そして変形した革製のレガースを見詰め、舌打ちする。


「俺に花を持たせやがった」


 ◆


 その日の深夜。

 タイラーはギルド区と樹海を隔てる砦の前の茂みに伏せていた。

 隣には、カレアもいた。


「案内役、申し訳ありません」

「……本当に見学するだけなんですよね?」

「もちろんです。樹海の現状、そして『獣』とやらを把握するだけです」

「それなら、追加の銅貨のためにも背に腹は代えられませんが……はあ」


 賑やかなギルド区から500mほど離れている砦は、組合所を更に巨大化したような長城だった。

 樹海との境界線は、遥か先まで続く4mほどの壁で覆っている。砦はいくつかの松明が設置され、視界を確保しているようだった。高所にはオイルランタンを持って見回りしているライフルを持った兵士がいたが、やる気があるようには見えなかった。


「メンターの名前はギルドに未登録でした。偽名を疑いましたが、昼間の聞き込みでも一致する容姿の人間は見たことがないと……」

「それは私も聞きましたが……『面白そうだから』って、抜け道を教えるレマルクさんもレマルクさんですよ……」

「メンターは色々と目立つ性格です。印象に残っていないということは考えにくい。恐らく無断でアルカディアに向かったんだと思います」

「その人、一体何者なんですか……」


 居眠りしている怠惰な見張りをやり過ごし、遮光を施したオイルランタンを片手に、レマルクに教えてもらった経路を進む。


 レマルクが言っていた抜け穴はここか……


 砦のレンガ壁に空いた穴を通って、樹海へと侵入。柔らかい大地に踏み入れる。地面にバックパックを下ろし、夜光塗料に浸した布を小指の指先くらいの大きさに千切り、山岳帽の後ろに2つ挟み込む。そしてバックパックの表面にも2つ装着する。


「基礎訓練でも似たようなことをやりましたが……どこで習ったんですか?」

「地元では自警団に所属していたので、そこで」

「自警団?」

「……警察や軍隊みたいなものです」


 最低限のサバイバルキットが入ったウエストポーチと、自衛用のナイフを携えるカレア。壁を抜けた彼女にオイルランタンを渡し、先導役を任せた。


「……一応、比較的安全な訓練区域までは案内します。けど、樹海の奥には絶対進みませんからね?」

「もちろんです。約束します」


 タイラーは念のため、鞘から鉈を抜く。


「では——先導をお願いします」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る