第2話 東ギルド組合所

 カレアに手間賃を渡して30分もしない内に、タイラーは東ギルド区に到着した。


 武装した屈強な若い男女。

 医療器具や本を見せ合いながら話し込む4人1組のグループ。

 研究者や法律家にも見える中年のペア。

 職人の会合のような一角。


 人の往来は激しかったが、誰も彼も基本的に中央の巨大な建物から出入りしているようだった。


「あの青い屋根の大きな館が東ギルド組合所です……」


 小声で囁くように教えてくれるカレア。よほど自分の所在を暴かれたくないのか、長いローブを纏った幽霊のように存在感を消している。


 地元にあった一番大きい役所に似ているな。


 開け放たれたままの門のような両開き扉。それを潜ると、人の話し声や雑音が聴覚を絶え間なく刺激してきた。床材の木目や、二階まである天井に視線を走らせた後、2人で踏み入れる。商店街ほどではなかったが、動線の経路を除けば数歩進むごとに人とぶつかる密度だった。


 メンターが「アルカディア」に向かったのなら、あの人もギルドに立ち寄ったのだろうか……


「あの、タイラーさんの目的って……?」

「人探しです」


 壁のコルクボードを埋め尽くすようにある張り紙。そのほとんどが仕事に関する内容。椅子や机などの設置は最低限で、渋滞しないように皆、壁際で話し込んでいる。どうやら仕事をするための人員募集をしているらしい。


「人探しならギルドに依頼を発注することもできますが、見当は付いていますか?」

「『アルカディア』という場所にいるらしいのですが、捜索依頼を出せますか?」

「いや、それはさすがに無理というか……」

「カレアさんも行ったことはありませんか?」

「むしろここにいる全員がないですよ」


 そんな混雑した斡旋所の中央には、天井へと伸びる太い柱があった。それを囲うようにカウンターが設けられている。どうやらそこが受付らしく、多くの人間がその周りをうろついたり、僅かに列を作っていた。


 やっぱり、頼れるのは自分の力だけだな。


「すみません」

「はい?」

「『アルカディア』に行きたいのですが、場所はご存じですか?」

「タ、タイラーさん、アルカディアは——」


 すると若い受付嬢は、吹き出しそうになるのを堪えながら「樹海の奥地にありますが……」と返答。呼応するように付近にいる数名の人間も嘲笑していた。


「お連れの方は探検家ではありませんか?」


 受付嬢の言葉に、タイラーはカレアの顔を窺う。カレアは逡巡した後、首を横に振った。


「そ、そうだったんですけど……ていうか今もそうなんですけど、今は活動していなくて……」

「……失礼ですが、お顔とお名前を拝見しても良いですか? ギルドに登録せずに探検家を名乗ることは違法なので」


 彼女にとっては良くない展開となったが、野盗の件と言い、僕もこれ以上は騙されたくない。


 カレアは渋々といった様子でフードを下ろす。


「……『メディック』で登録している者です」


 メディック? 医者だったのか?


「名前や所属している探検隊名は?」

「名前は——」

「『赤髪のカレア』じゃん!」


 どこからか駆け寄って来る若い3人組の男女ペア。


「おうポンコツ、どうしたー?」

「まだ探検家やってたんだ。飢え死にしたのかと思った」


 カレアが何をしたのかは分からない。

 ただ、はたから聞いている分にはひどい罵倒の数々。

 それを容赦なく彼女らは連呼する。


 カレアの方を見ると、ただひたすらに薄ら笑いを浮かべていた。が、それが明らかに本心ではないことは確かだった。


 僕のいた古巣でもあったが、これは——可哀想なことをしたな。


「行きましょう」


 俯くことしかできない彼女の腕を引き、組合所の出口へと向かう。

 その時、カウンターに寄り掛かっていた男の方が足を伸ばし、行く手を阻んだ。目線はタイラーから外している。「故意ではない」という意思表示。


 ——なるほど。


 足——厳密には脛の部分を、タイラーはブーツの靴底で踏み付けた。

 思いっきり。


「てめえ……!」


 痛みに一瞬、呻いた後、男はすぐさま胸倉を掴んできた。


 胸倉を掴むなんて……僕より体格は良いのに隙だらけだな。

 あの「部隊」では半日と持たないだろう。


 タイラーは無防備な相手の腕に、自身の両腕を絡め、固定。膝裏にブーツの踵を掛け、跳ね上げる。バランスを失った相手は、床に転倒した。


 少し痛めつけ——


「待ちな!」


 威勢の良く誰かが割って入ってくる。3人組の中で唯一、口を開かなかった色黒で長身の女性が「ギルド区内の治安を乱す行為は、通報案件だよ」と、忠告してきた。


「行きましょう」


 顔を真っ赤にして何かを喚き散らす男を仲裁した女性が取り押さえている内に、タイラーはカレアを伴い組合所から逃げるように退出した。


 ◆


「恥をかかせてしまい、申し訳ありません」

「いえ、良いんです……」


 東ギルド区へと戻ったタイラーは、人通りの多い場所を避け、建物同士の隙間に移動する。


「昼食はご馳走しますよ、何が食べたいですか?」


 ◆


「昼からやっている酒場とは珍しいですね」

「ギルド区の酒場は、お酒も出す食堂みたいな感じですから……あと食事すみません」

「気にしないでください——さっきの人達が、元の職場の人達ですか?」


 肉料理と野菜の入ったスープが置かれた木製のテーブル。それを2人で囲いながら、タイラーはカレアの反応を窺う。窓が小さいせいで光量が少ないためか、昼間でも店内の天井に火の点いたランプが吊るされていた。


「……そうです。探検家はギルドに所属することが絶対ですが、同時に天才的な実力者でない限り、探検団やその下部組織である探検隊に入らなければ樹海での探検が認められていません」


 彼女は水の入った木樽のマグカップを両手で握り締める。


「なので……仲間に一度嫌われたら、余程の実績でもない限り探検家としてはやっていけないんです」

「何か仕事で失敗したのですか?」

「私の役職はメディックと言って、負傷した探検家の治療や応急処置、患者搬送を実施することです。けど……」


 出会った時から表情に影が見られたが、それがより一層濃くなる。


「血を見て動けなかったんです……」


 恥じ入りそうな顔でカレアは、ぼんやりとスープから立ち昇る湯気を見詰めていた。


「確かに、4つある役職の中でも、メディックの数は少ないです。けど、血を見て医療行為ができないメディックには……何の価値もありません」

「……初めての探検で動揺したとか?」

「2回目です」

「血を見たのも?」


 おずおずと頷く彼女。

 燃えるような色の頭髪とは対照的に、死人のような顔色だった。


 どうやらトラウマになってしまっているらしい。

 しかし、メディックを目指す上で、血が苦手という事実に途中で気付く機会はなかったのだろうか?


「他の探検隊には入れないのですか?」

「探検隊から一度追放された探検家の噂は、ギルドの中で広まるんです。その理由が『使えない奴』、『弱い奴』だっていうことだと……」


 唇を噛んで目を伏せるカレアの言葉を、青年は代弁することにした。


「他に入れてくれる探検隊もいない、ということですか——外から来た僕からすれば、医療技術さえあれば探検家でなくても生きていける気もするのですが」

「樹海の近くで発展した街は、樹海から食料や資源を調達して成り立っています。探検家でなくとも物流や生産加工、教育や法律にいたるまで全て樹海ありきなんです。それが普通だと思っていたし、四日前に追い出されるまではそうあるべきだとも思っていました」


 酒場の一角で屈強な男達が握手をしていた。どうやら探検隊のメンバーを探していたようで、それが見つかったらしい。颯爽と酒場を出て行った4人1組の男女を横目に、カレアが嘆いた。


「たとえ医療従事者であっても、樹海での実績が全てであり、ある程度は必要なんです。これは義務みたいなもので、雇用される必須条件でもあります。特に若いうちはそうです……私くらいのメディックは吐いて捨てるほどいるので、開業も雇用も難しいんですよ」


 タイラーは街の雰囲気を見て、若い世代が多い地域だと認識していた。恐らく、働き手に困ることはないのだろう。


 雇用主から見れば、より取り見取りというわけか。


「……大変ですよね。組織で生きていくというのは」


 タイラーはナイフとフォークで肉を切り分け、彼女の皿に移してやる。底の深いボウルを口元まで運び、ゆっくりとスープを飲み干した。


 地元を思い出すな……僕も今みたいな状況になるとは、思ってもいなかった。


「区を出ることもできないし、両親はもう死んでるし、明日からどうしよう……」

「『区を出ることができない』?」

「ギルドに一度登録したら、その管轄区からは一生出られないんですよ。これは他の方面のギルドに探検技術や訓練内容、探検家の情報を漏らさせないための法律です」


 危なかった。登録する際の説明はあると思うが、安易な気持ちで「探検家になっても良いか」と考えていた。


「それに区外は1万人規模の集落が続いているだけで、不毛な荒野しかないじゃないですか?」

「誰か見に行ったんですか?」

「それは分かりませんが、歴史の教科書でもそう書かれています。タイラーさんの住んでいた区が同じ教育なのかは分かりませんが」

「僕も3万人しかいない片田舎に住んでいましたが、同じでしたよ。この世界がどこまで続いているのかも知りません。ここまで来る間も殺風景な荒れ地や山、無人の森をまたいで来ました」


 自然の風景としては美しかったが、それは地元で充分堪能したからな……


 彼女も空腹だったのか、あっという間に料理を平らげる。水が入ったポットを追加で要求すると、店主と思われる老人の男性がテーブルまでやってきた。


「区外に出られるのであれば、別のギルドに行けば良いと思っていましたが……」

「別のギルドになんて行ったら、そこの区民と中央政府に殺されますよ」と、カレア。

「中央政府?」

「見ない顔だね。区外の人だろう?」


 老人は腰を曲げながらポットで傾け、水を足してくれた。


「東西南北の区や樹海を管理しているのが中央政府だよ」

「それは東区にあるのですか?」

「大きい街だからそう考えても仕方がない。でも、どこにあるのかは政府から派遣される人間しか知らないんだ」

「地図はないのですか?」

「はるか昔、政府の偉いさん達が来て、地図から消したんだとさ」


 カウンターの中へと去って行く老人。その後ろ姿を見送っていると、カレアが不満を口にした。


「汚い物を遠ざけるように、区民が寄り付かないようにしたんですよ。支援物資や助成金を支給する代わりに、樹海の資源だけを輸送していくんです。支援のレベルは区が採集した資源の量や質によるらしいので、他の区やギルドはライバルなんです。樹海で遭遇した場合は、毎回殺し合いに発展しています」

「そうだったのですか。でも、輸送経路を追跡すれば——」


 途端に、カレアが小声で囁いてくる。


「区の法律で禁止されています。『地方自治体に所属する者が中央政府の所在地、またはそれに通ずる経路を特定しようとした場合、処刑する』、という文言です。街に住む人間なら誰でも知っている最も重い罪なんですよ……」


 そんなこと、地元の学校でも教えられたことはなかったな……そこまで教育機関が充実した場所ではなかったけど。


「なら、学者であろうと政府の場所は知らないということですか」

「知ろうとすると暗殺されるっていう噂もありますからね……」

「区長以外でここに来る中央政府の人間は、どういった人達なのですか?」

「『政府軍の兵士』と区民は呼んでいます。私も見たことがないので分かりませんが、見たこともない装備で武装しているらしいです。毎月、街に足りない物資を提供する代わりに、探検家がギルドで換金した資源を資源を持ち去って行くみたいです」

「区民が中央に行く機会は設けない、ということですか」


 タイラーは水で喉を潤し、思考をクリアに保った。


 この街の権力構造を僅かながら理解できた。あとは樹海の中のアルカディアに向かうだけだけど……


 皿に残ったソースをギリギリまでスプーンですくい、口に運ぶカレア。視線はぼんやりと落ち込み、今にも溜め息を吐きそうだった。


 後がない人間なら信用できる。


「メンターという女性を探しているんですが、知りませんか?」

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