樹海のタイラー

SaitoDaichi Kindle作家

序幕 FRB121102

第1話「僕の名はタイラーです」

 ——どこらへんまで来たのだろうか?


 青年は手元の古い地図を見ながら、踏み固められた地面を牛革のブーツで歩く。


 まだ「アルカディア」ではない……か。付近の岩が苔生こけむしているな。


 巨大な馬車が2、3台並走しても問題ない道幅。かつて川が流れていた痕跡である地隙ちげき。そして遥か頭上を覆う背の高い樹冠じゅかんと、四周から乱雑に生える針葉樹や広葉樹林。


 青年は陽光が差し込む緑の世界の中を、大き目のバックパックを背負って進んでいた。


 ……あれは。


 前方に目を凝らすと、誰かが倒れていた。恐らくは女性。華奢な身体が道端に投げ出されている。衣服は乱れていない。どうやら行き倒れらしい。


 が、近付くにつれ、露出した上腕には生気があることに気付く。胴体が呼吸や心拍に応じて上下していることが僅かに感じ取れる。背中には落ち葉も付着していなかった。周辺の鳥も鳴いておらず、最近までは「ここに」倒れてはいなかったのだろう。


 怪しさ満点だけど、仕方ない。

 ……メンターだったら、助けているはずだ。


「大丈夫ですか?」


 その瞬間、女性へと腕を伸ばした青年の手首に手錠が掛けられた。誰でもない、掛けてきたのは倒れていた女性本人。


「掛かったよ!」と、女性。

「よっしゃ!」


 先程までの様子が嘘のように、小躍りする壮年の女性。


 青年が鉄製の手錠を掛けられた腕を引くと、太い鎖がピンと張った。鎖の先には巨大な岩石。かつて何かの用途に使用されていたのか、錆び付いた様々な金具が岩肌に打ち込まれている。手錠は後付けらしく、この罠を仕掛けるために新調したらしい。


「動くなよ、身包みを剥ぐだけだ」


 女性1名、男3名の野盗に囲まれた青年は、空いた片手と両足を使い、周辺の地物や男達の動きに視線を向ける。


「街で見たことあるか?」


 お気に入りの帽子を背後から奪われ、青年は自身の顔から表情が消えるのを感じた。僅かに伸びた髪をゴムで後ろで束ねていたが、勢いでそれもはずれる。


「こんな白髪しらがに色白の奴、見たことねえぞ」

「別に良いだろ、さっさとやるぞ。抵抗したら殺せ」


 刃物や棍棒を取り出す男達。殺気立っており、凶器を振り下ろすことに躊躇はなさそうだった。


 慣れてるな。


 親指の関節を外す。


 ——僕もだよ。


 青年は一言だけ警告した。


「やめた方が良い」


 ◆


「だから辞めたんですよ。仕事をクビになったんです。『探検隊』からの追放です……」

「そうだったんですか、カレアさん。でも、酔っ払って寝たら猛獣に襲われるのではないですか?」

「猛獣は『樹海』の中にしかないので、大丈夫……ひっく、最悪です」


 野盗との一悶着があった後。


 森を更に進み、日が落ちる前に野営の準備をしていると、繁茂した藪の中でなぜか泣きながら酒をあおっている女性がいた。


 青年が話し掛けると、カレアという女性は闇の底から這い出てきたような笑みで、前職の愚痴を暴露。その後、成り行きで焚き火の準備を手伝ってもらった。代わりに青年は夜間の森で火を囲みながら、彼女の怨嗟を引き受けることになっていた。


「『樹海』はどこにあるのですか?」

「……そう言えば、ここら辺の人じゃないですよね?」


 目と鼻先が赤くなっていたカレアは、革製の水筒を握りながら、大きな瞳で訝しんできた。


「どこから来たんですか?」


 目のクマを考えなければ、彼女は見た目通りまだ若いだろう。そばかすのせいもあるのかもしれない。焚き火に照らされた白っぽい上下の衣服はお洒落に着飾られており、肩部には青いワッペンが貼られている。手袋をした両腕の袖はない。下衣も動きやすいブーツとスカートのような物を履いている。短い赤毛の髪はボサボサだが……


 今はまだ、昼間は温暖でも夜間は寒気を覚える季節。

 にもかかわらず、快活そうな服装をしているカレア。

 本人の性格と服装が乖離しているように青年は感じた。


 一貫性のない発言や行動をする人間は怪しい。

 果たして信頼して良いものか。


「——北東の山岳を3カ月くらい前に出発して、ここに辿り着きました」

「そんな場所があるんですか? 街の外のことは知らないんですよねえ……」

「3日で100kmくらいは歩いてきたので、こことはまた違う環境でした」

「はは、100kmって、冗談が上手いですね——でも『kmキロメートル』って、『アルカディアワード』が話せるんですね?」と、頭一つ分小さいカレアはどんぐり眼を更に丸くした。


 アルカディアワード?


「何ですか、それは?」

「知らないで使っていたんですか? 遥か遠い区域から流入した言われている単位や単語、表現です。ヤンドコズンドコ法だったかな……」

「……知らないですね」

「つくづく珍しい区域ですね……20歳はたちになった私でも知っていることなのに」

「それで、さっきの質問ですが『樹海』とは?」


 倒木に腰掛けていたカレアは、自身の首元を見せつけてきた。そこには、荒縄で絞められたような痕が残っている。健康そうな肌だったが、赤い擦過傷が痛々しかった。


「『百聞は一見に如かず』っていうアルカディアワード、知ってます?」


 ◆


「これが街ですか……」

「そうです。人口20万人の『東区ひがしく』は、各方面にある街では最大です」


 夜明けと共に出発し、森を抜け出した青年はカレアの案内で街へと来ていた。


「そして、ここから見えるあの巨大な高地の上が『樹海』です」


 街の景観が途切れた先。

 垂直に切り立った巨大な崖。

 その手前から壁面に掛けてしがみ付く様に増殖した緑一色のジャングル。


 あれか……


「アルカディアワードでは『テーブルマウンテン』と言うそうですが、標高が高くてここからでは崖しか見えません。実際に樹海入りすれば高地に登ることはできます」

「……取り敢えず、街の様子も見ます」


 石畳の上を2人で練り歩く。

 正面の通りには人がひしめき合っていた。

 両脇に本を抱えた若い女性。

 パン屋を覗く兄妹と思しき子供達。

 邪険にされながらも客に銅貨をせびる足の不自由な老人。

 大半の歩行者は若い男女で構成されており、青年と同じような旅行者特有の大荷物を背負っていた。


 ここは商店街か……どこまで続いているんだ?


「街を案内して貰っても良いですか? 銅貨は払いますので」

「むしろ助かります……丁度無職になって、最後の銅貨でお酒を買っていたので」

「なかなか破天荒ですね」

「そうでもありません……ここでは日常茶飯事ですから」


 街が一望できる高所ではないので、全体像は掴めない。

 しかし、その広さだけは視覚を通して伝わってきた。

 青年の眼前に広がる空間に頭上の障害はない。青空の下で道幅を縮めるかのように多くの出店が商品を売り出している。太陽から身を守る屋根はなかったが、春先の直射日光は青年の被る山岳帽だけで防ぐことができた。


 衣服や果物屋。

 仕立て屋や道具の修理屋もある。

 しかし、露天の半数以上が「とある製品」を取り扱っていた。


 それは、武器。


 動物を加工して作った弓矢。

 小型のナイフ。

 手斧や槍に——


「これは……?」


 人の四肢を模した道具、か?


「探検用の義肢です。手足を失った『探検家』でも職にあぶれないように、ああして作っているんです」


 義肢職人と思われる老年の店主は、切削工具を使い、左腕を失った客のために大きさを調整していた。陳列棚に並んでいる機械式の義肢は、青年が装着している自動巻き腕時計のような複雑な機構を備えているのが窺えた。


 義肢を武器にするのか。こんなのは今まで見たことがなかった。


 義手を装着した中年の男は、動作を確認しながら自前のナイフを掴み、何度か振って試している。


 四肢を失っても戦い続けるとは、なかなかの根性だな。


「過酷ですね——この細長いのは?」

「それは『刀』って言うらしいんですけど、本物は凄く高価で扱うのも作るのも難しいとか——」

「失礼だな、これは本物だぞ!」

「うわ、すみません!」


 長い顎鬚と坊主頭の強面主人から逃げるように距離を取るクレア。青年も彼女の後に続行。気を取り直して通りに復帰する。クレアは納得がいかない表情で青年の耳に顔を近付けてきた。


「あれは模造品ですよ……本物はもっとちゃんとした所で売っているので」

「東区で製造しているのですか?」

「そうです。北区きたく南区みなみく西区にしくにはないようで……その代わり地域特有の生産品もあるようですが」


 各方面に行政区があるのか。想像よりも大きな場所らしい。


「さっきの義手といい、武器などの工業製品に強いみたいですね」

「逆を言えば、樹海周辺の街はその産業で成り立っているんです。みんな学校の勉強より樹海の探検家になるって感じで、世間もそういう風潮ですから……まあ、そうして夢だけを追った人間の行き着く先は、日雇い労働者しかありません」


 不意にカレアは赤髪を震わせ、口角を歪ませる。


「私もその1人なんですけどね……ふ、ふふ」


 昨日から話していたけど、精神的にかなり参っているな……


「だからみんな、生活のために樹海を本気で探検したり、技術を磨いているんですよ」

「産業にありつけなかった人達は?」

「……野盗か、売春宿で働きますね。兵士や警官にも落ちぶれた元探検家が多いです。今は経歴不問で人材を募集していますし」

「軍隊もあるのですか?」


 カレアは鼻で笑うような仕草をした後、首を横に振った。


「見た目だけのカカシですよ。樹海の近くにある区域は特別行政区として最低限の助成金支援や治安の維持を約束されていますし、『樹海の獣達』が街に来ようとした時も、戦闘は実戦経験のある探検家達に任せて、住人の避難や保護活動だけで手一杯な感じを出していたんです」


 樹海の獣、か。獣害みたいなものかな?


「それだけ聞くと、職務を果たしているように聞こえますが——」


 カレアが指差した方向を青年は見詰める。薄茶色の軍服を着た組が単発式のライフルを肩に掛け、店の壁に寄り掛かりながら愚痴をこぼしていた。


「問題なのは、銃の所持が認められているのは軍と警察だけなのに、獣と戦わずに逃げたということです」

「どうやって獣と戦ったんですか?」

「刃物や弓矢、あとは知識と経験ですよ。銃があるのに、変な話ですよね。『私達は街の守護者』だとか、いつも聞こえの良いことばかり言っていたんで、化けの皮が剥がれてからは一気に信頼を失いましたけど」


 兵士が煙草を出店の前に捨てた瞬間、店の女主人に箒で掃かれ、ついでに吸い殻も持ち主の方へと寄せられていった。兵士達は悪態を吐きながらそそくさと道路へと戻っていく。表立って野次を飛ばす人間はいないようだったが、ほとんどは嫌悪感を隠そうともせず、兵士達の背中を睨み付けていた。


「……銃を流通させないのは、暴動に備えてのことですね」

「表向きは樹海の環境や動植物の保護を理由にしていますが、実際はそうだと思います。不正な横流しで手に入れようとする人もいますが、警察は銃規制にかなり力を入れているみたいで、銃の所持だけでなく密造や強奪、流通を計画しただけでも監獄で処刑されます。樹海に挑む『探検家』の中にも、不正に入手した銃を隠し持って樹海入りして、地面に埋めてからギルドに戻る人もいたみたいですが、リスクが高すぎたみたいで今は聞きません」

「区を仕切っているのは?」

「中央政府から派遣されてくる区長です。獣害事件以前から『ギルド』長と仲が悪いですが」

「ギルド?」

「探検家達が所属する労働組合です。仕事の斡旋や仲介も引き受けています。実力が付いてフリーになった探検家を含めて、樹海に入るにはギルドに所属する必要があります」

「それはどこに?」

「ここから西にある区の中でも樹海側となる『東ギルド区』にあります。ちょっと遠いですが」


 なら、路銀が必要だな。


 青年は懐のポケットから銅貨を取り出し、カレアに「飲み物でも飲みましょう。ギルドまでの案内を御願いします」と言いながら差し出す。


 が、カレアは彫りの深い顔を引きつらせ、


「実は今、ギルドに寄りたくなくて……」


 そう言えば、「追放された」と言っていたけど……


「困りましたね……カレアさんみたいに簡潔明瞭に説明してくれる人を見付けるのも、僕のことを一から説明するのも時間が掛かりますし——そうだ」


 そこで青年はバックパックに丁度良い物があることを思い出し、開けた地面に下ろしてサイドポケットの蓋を開いた。


「僕の外套を着てください。フードで顔を隠せます」


 背丈が合わないのも相まって、彼女の容姿を完璧に隠すことに成功。目だけをのぞかせる形となった。


「これなら大丈夫そうですね……ありがとうございます。あの……名前は?」

「僕の名はタイラーです」

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