第48話 逆恨み

「嫁にしてやろうと思ったけど、そんな面倒な事をする必要なんてないかぁ。だって金が欲しいだけなら、僕があんたに成りすませばいいだけだもん!」


 男はケタケタ笑って、伽羅奢の椅子の足を思いきり蹴飛ばした。


「あんたの預貯金は僕がすべて頂くよ。これからは僕が『興津伽羅奢』だ。あんた、ほっといても毎月四、五十万くらい入ってくるんだろぉ? 最高だよなあ、不労所得ってやつは」


 よろめいた伽羅奢が男を睨みつけると、男は舌打ちしながら伽羅奢の顔を下から鷲掴みにする。


「いいか、テメェは一生ここに居ろ。しゃしゃり出てくるんじゃねえぞ。大人しくしてりゃあ最低限、飼育くらいはしてやる。逃げようとか、助けを求めようとか、馬鹿な事は考えるな。下手な真似をしたらぶっ殺す」


 男はそう言って、机に置かれていた伽羅奢の服や鞄、スマホなどの持ち物をすべて手にして立ち上がった。

 男の向かいに座っていたおばあさんが、伽羅奢に冷たい視線を送りながら言う。


「あんたも、あんたの婆さんと同じ目にあいたくなかったら、この子の言う事をちゃんと聞く事だね。まあ、アタシとしては博さんを苦しめたあの女の孫なんざ、さっさと死んでもらいたいとこだけど」

「……何?」


 おばあさんは伽羅奢に虫けらを見るような目を向けている。


「博さんはいつもあの女の亡霊に悩まされてたんだよ。あんたらのせいで天下の帯金家は地に落ちたんだ。アタシは許さないよ。あんたも、あんたら一族も、みんな! 骨の髄まで搾り取ってやるから覚悟しときな」


 おばあさんはそう吐き捨てて、男と共に外へ出て行った。扉の向こうからは「やったね、ママ。大成功だね」と言う、男の甘ったるい声がする。

 酷い吐き気がした。


 *


 そんな伽羅奢の話を聞いて、俺は息をのむ。


「じゃあ、伽羅奢をここに監禁してるのって、伽羅奢のおばあさんの事件を起こした犯人の……」

「配偶者と息子だろうね」

「まじか」


 家族ぐるみで伽羅奢の誘拐をくわだてている事が、俺は余計に怖かった。止める人はいなかったのか。こいつら全員狂ってるだろ。

 伽羅奢は大きくため息をついた。


「まったく、逆恨みもいいとこなのだよ。祖母を死に至らしめた男――帯金博は祖母の死後、酒と女に溺れて勝手に自滅していったと聞いている。だがあいつらは、それらをすべて私の祖母のせいにしているのだ。理不尽極まりない。そうは思わんかね!」


 ドンッと机をたたく伽羅奢の拳に、珍しく激しい怒りがこもる。伽羅奢の怒りはもっともだ。


「そのうえ、奴らは私の祖父も恨んでいる。奴らに押し付けられた資産を上手く増やし続けている祖父が気に障るのだろうね。馬鹿馬鹿しい」

「だからって伽羅奢に『金返せ』って言うのは完全にお門違いだろ」


 というか、何もかもが理不尽だ。

 俺の言葉に頷きながら、伽羅奢はうんざりした様子で頭を抱えた。


「そうなのだよ。だいたい、一億とはなんだ? 馬鹿か? 勝手に押し付けた数百万がどうしたら一億になり、それを『返せ』などと言えるのだ。とういう理屈なのだ? まったく、これだから馬鹿は嫌いなのだよ!」

「それでまた帯金に行動力があるのが怖いよな。本気で伽羅奢から搾り取ろうとしてるじゃん。こんな事までしてさ」


 まるで家畜のように家に縛り付られた伽羅奢を眺める。今どき、犬ですら家の中では首輪なんてしないだろう。

 彼女も俺の意見に同意した。


「ああ。それどころかあの男、下手したら本当に私を殺すだろうな。なまじ私に不労所得などあるからいけないのだ。私が存在しなくても金は自動的に振り込まれる。奴らは私の生存さえ偽装できればいいのだ」

「偽装……。あ、そっか! 住み込みのバイトをしてるっていうアレ、帯金が送ってきたのか!」


 あの不自然すぎるメッセージに合点がいった。あれは伽羅奢によるものじゃない。帯金が伽羅奢になりすまして送ってきたものだったのだ!


「なんの話だね?」

「実はさ、伽羅奢から『住み込みで働いてるから帰れない』って連絡が来たんだよ! ほら!」


 スマホの画面を見せる。伽羅奢はそれを眺めて呆れた顔をした。


「働く? 私がか? 愛音。我々は長い付き合いだと思うのだが、キミは馬鹿か? 私が働くなど、おかしいと思わなかったのかね?」

「お、思ったさ! 思ったけど、それ、自分で言う?!」


 これぞ自他共に認める筋金入りのニート。伽羅奢自身も自分が働くとは思っていないらしい。

 伽羅奢はフンッと鼻を鳴らしペットボトルに手を伸ばすと、そのお茶をガブリと飲んだ。机の上には未開封の飲食物がまだ沢山並んでいる。


「てか、食料すげえいっぱいあるね」

「ああ、あの男が定期的に買ってくるのだよ。私の預金から買ったものだから遠慮しなくていい、だそうだ。まったく――」


 そう言って、伽羅奢はさっきまで飲んでいたペットボトルを後方に放り投げた。壁にぶつかったペットボトルは床に落ち、転がっていく。


「何が遠慮だ! 激安弁当に激安パンばかり! 遠慮するなと言うのなら、寿司のひとつでも買ってきたらどうなのだ! 私は! 生ものが! 食べたいのだよ!」


 伽羅奢の怒りは切実である。そうだよなあ。弁当なんていつも同じ味だし、絶対に飽きる。


「そのうえ、なんなのだこの服は! 着替えもない! ずっとこのまま! かといって、私を無理矢理犯そうとする様子もない! 何がしたいんだ奴は!」


 カリカリした伽羅奢はすっくと立ちあがり、ウエディングドレスを掴んで叫んだ。

 確かにドレスは普段着にはならないだろう。夏場に着替えさせてもらえないのもキツい。


「でも、襲われてないなら良かったじゃん」


 かろうじてその点は良かったと俺は思った。そう。「貞操が守られている」という事は、この状況で何よりも大事なことだ。

 けれど伽羅奢は俺に牙をむく。


「愛音! キミは馬鹿か! この美少女にこんなコスプレをさせておいて欲情しないのだぞ! そんなもの、この美少女に対する侮辱だろう! たないのか? 私では勃たないと言うのか?! それはそれで私のプライドが許さない!」


 すごい剣幕の伽羅奢。でも俺は、自分の表情がスッと消えていくのを感じた。今の言葉はちょっと、聞きたくなかった。


「伽羅奢。それ、さすがに伽羅奢は言っちゃ駄目だと思うぞ。おばあさんの事もあるのに、伽羅奢は冗談でもそういうこと言うなよ」


 俺の指摘に対して、伽羅奢は珍しく反論してこない。

 たぶん伽羅奢もそんな事は当然わかっているのだろう。でも伽羅奢はきっと、自虐せずにはいられない。それだけ強いストレスがかかっているのだ。それが今の伽羅奢の状況。それを察して、俺も黙る。

 伽羅奢はダンッと力いっぱい両手を机について、イライラしたまま椅子に座った。俺から視線を逸らしながら、伽羅奢は言う。


「とにかく! 奴の行動は理解の範疇を超えているのだよ。この美少女をこんな形で誘拐、監禁するなど言語道断! そのうえ金を巻き上げるなど卑劣の極み! 極悪非道! だが――」


 伽羅奢は恨めしそうな目で、机の下に出来たゴミの山をぼんやりと見つめた。


「――最近はそれに少し納得もしている」

「いや、何に?!」


 待て待て。今の話のどこに納得の余地があった?

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