第49話 断絶

「いやいや、納得しちゃ駄目でしょ! 伽羅奢、それおかしいからな!」


 まずい。伽羅奢のメンタルがおかしい。ストレスのせいか?

 そう思った俺は、ポケットからスマホを取り出した。


「とりあえずさっさと出よう、こんな所。話は家に帰ってからだ!」


 とはいえ、鍵のない南京錠を開くにはどうしたら良いのか。鍵屋に相談? それともレスキュー?

 検索しようとするも、タップしたスマホの画面は一向に進まない。


「って圏外!」


 そんな俺を見て、伽羅奢はツンとすました顔をする。


「いいのだよ、愛音」

「何が!」

「このままで良いと言っているのだ。私は帰る気などない」

「はあ? なんでだよ!」


 問い詰めようとする俺の視線から逃げ、伽羅奢は顔を背けた。


「それが世の為だから私は帰らない。そう言っているのだ」

「いやいや、意味わからん!」

「わからないならそれでいい。悪いな、愛音。キミは一人で帰りたまえ」


 伽羅奢はまるで自宅アパートから俺を追い返す時みたいに、いとも簡単に言う。そんな状況じゃないのは一目瞭然なのに。

 と言うか。


「おかしいだろ! 伽羅奢さっき『遅い!』って叫んでたじゃん。俺が来るのを待ってたんじゃないのかよ! 帰りたかったんじゃないのかよ!」


 あの第一声が嘘なはずがない。

 でも。


「もういいのだ」

「なんで!」


 かたくなに否定する伽羅奢を前に、俺は大きな声を出し続ける。

 伽羅奢は苦い顔をする。


「愛音。キミは馬鹿か?」

「はあ?」


 意味不明な伽羅奢の罵倒は、いつもより弱々しかった。


「わからないかね? 私は存在自体が迷惑なのだ。傍若無人で自分勝手。協調性がなく他人を不快にし、それに罪悪感を覚える事もない。そんな人間だから――」


 伽羅奢の視線が俺の右手に向く。


「――身近な人を傷つける」

「は? 何を今さら」

「愛音」


 優しい声で伽羅奢が俺を制止する。


「私はもうキミを巻き込みたくないのだ。頼む。帰ってくれ」


 憂を帯びた顔つきの伽羅奢。彼女が何を言いたいのか、わからないわけじゃなかった。でも、ただ、納得できないのだ。


「……なんだよ。馬鹿なのは伽羅奢の方だろ」


 自分の右手に視線を落とす。

 あの時だって今だって、伽羅奢のせいで俺が巻き込まれたわけじゃない。そう思いながら俺は過去を振り返った。


 *


 伽羅奢は昔から個性的だ。

 それは集団生活が始まった時から今までずっと、変わっていない。


 ずば抜けて可愛くて、とびきり正直。そして、驚くほど物怖じしない。

 大人にも負けず、凛としていて、筋の一本通った人。それが伽羅奢。

 そんな自己中心的な強さが彼女の魅力であり、やっかみの対象でもあった。


 保育園時代には先生の手を借りて友達付き合いをしていた伽羅奢も、小学校に入学すると自力で他人と関わる場面が増える。

 子供同士の世界。

 互いに経験や感情を共有して生活していく児童たちの中で、自分の世界で生きている伽羅奢はいつもその輪から外れていた。入学してからというもの、伽羅奢はほとんど孤立していたのだ。


 ただ、伽羅奢にとって救いなのは、愛音という特別な理解者が居た事……ではなく、伽羅奢本人が陰口にも孤立する事にもさして興味が無かった事だ。


 伽羅奢は関心のない事にはとことん興味を示さない。それが例え自分をターゲットにしたであっても、伽羅奢にとってはどうでも良い事だった。

 陰口、仲間外れ、ご自由に。伽羅奢は我が道を生きるのみである。とはいえ、わざわざそんな学校へ通う意味も見いだせていなかった伽羅奢は、結局不登校になりかけていた。


 その状況に耐えられなかったのはむしろ、愛音の方である。


 八方美人の博愛主義と言われればそうなのだろう。愛音は伽羅奢が学校に馴染めない事がどうしても嫌だった。

 伽羅奢は可愛くて、頭がいい。ちょっと変わった奴だけど、悪い奴じゃない。そんな伽羅奢が孤立していい理由なんて、ひとつもない。そう思っていた。


 愛音はこの状況をなんとかしたかった。

 自分の事を「特別だ」と言ってくれた伽羅奢を救いたかった。

 だから、伽羅奢とクラスメイトの仲を取り持つことが正義だと、愛音は信じて疑わなかった。


「キミは馬鹿か?」


 そうやって他人を罵倒する伽羅奢に合わせて、愛音は道化になる。


「はぁい、馬っ鹿でぇす! じゃあ天才の伽羅奢先生、こういう時どうしたら良いのか教えてよ」


 茶化して、おどけて、伽羅奢の意見を聞く。

 罵倒の陰に隠れた伽羅奢の本心は正直すぎて、時には誰かを傷つけるほど鋭い正論だった。けれどそんな正論も、尋ね方ひとつで「正解」になる。

『先生だったらどうする?』

『正しいのは何?』

 愛音は伽羅奢の正論を、上手にその場の「正解」として引き出すことが出来た。


 伽羅奢は悪い奴じゃない。言い方は悪いけど、正しい事を言っている。


 それを前面に押し出して、クラスに伽羅奢の居場所を作る。

 愛音の作戦は上手くいった。だからといっていじめが無くなったわけではないし、伽羅奢をうとましく思う児童も少なくなかったけれど、それでも伽羅奢が完全に独りぼっちになる事は無くなった。

 友人がいる。

 普通の学校生活を送る事が出来ている。

 伽羅奢が普通に生活している事が、愛音はとても嬉しかった。


 問題は中学生になってからだ。

 伽羅奢は正直で辛辣で、可愛く、強すぎたのだ。


 思春期にさしかかると、伽羅奢への批判は生まれ持った容姿にまで広がっていた。

 可愛い可愛い伽羅奢。

 彼女の正直で辛辣な態度が、ただのワガママに見える。自分の可愛さを武器に、ワガママを言いたい放題言う女。女子の間では、それが伽羅奢に対する共通認識になっていた。


 もしも伽羅奢自身がいじめから逃れたいと思っていたのなら、ここで行動を改めていただろう。もしくは、愛音が伽羅奢の居場所を作りたいとさえ思わなければ、伽羅奢は学校に来なくなったはずだ。同時に、いじめも鳴りをひそめたはず。

 だがやはり、伽羅奢は他人の評価なんてどうでも良かったし、愛音もまた伽羅奢を学校に馴染ませたくて仕方なかった。状況が改善するわけがない。


 伽羅奢は他人に何を言われても気にしない。自由に行動し、思ったことを素直に口にする。そんな態度が、更に女子生徒たちの反感を買う。

 悪循環だ。いじめはただ、エスカレートしていく。


「伽羅奢、ちょっとはみんなと仲良くしたら?」

「なぜだね? 私に友人など必要ないのだよ」


 愛音は定期的に伽羅奢に釘を刺したが、伽羅奢はまったく聞く耳を持たない。


「そんなの寂しいだろ?」

「別に。私は愛音とは違うのだ」


 伽羅奢の言う「違う」という言葉が気に障る。「違う」から「必要ない」。それは人や世界を拒絶する言葉だ。愛音には伽羅奢のそれが、どうしても強がりに聞こえた。


 それが原因だったのだろう。

 愛音は伽羅奢を友人たちに馴染ませようと躍起になってしまった。「必要ない」という伽羅奢を無視し、友人たちの輪に入れる。愛音は必要以上に伽羅奢の肩をもち、彼女がみんなに好かれるように振る舞った。

 愛音のその行動が、余計に女生徒たちの反感を買っているとも知らずに。


 そんなある日、事件が起こる。

 中学三年生の夏。伽羅奢と愛音を含む数人が、掃除当番で体育館の掃除をしていた時の事だ。

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