第47話 誘拐

「どういうことだよ」


 だけど「飼う」という言葉は妙にしっくりきた。ペットみたいにリードで繋がれているからかもしれない。


「見ての通りなのだよ。私は今、帯金に誘拐されて、飼われている」

「なんで!」


 うんざりとため息をついた伽羅奢が、この一か月近くにあった出来事を淡々と話し始めた。


 *


 ひと月ほど前の七月下旬。

 桜木不動産から伽羅奢の元に電話があった。


 リフォームが終わり、入居者を募集しはじめた伽羅奢の貸家。その内覧希望者が、オーナーの同伴を望んでいるという。

 珍しい要望だ。が、アリサちゃんの一件で変な噂がたってしまっているのかもしれないと思い、伽羅奢はフォローのためにその依頼を受ける事にした。


 内覧に来たのは三十代くらいの男性である。よれよれの服を着た、みすぼらしい男だった。

 何を聞かれるのかと警戒していたものの、特別な質問を受ける事もなく、内覧はあっけなく終わる。自分がなぜ呼ばれたのか判らずにいる伽羅奢に、男が顔を近づけた。


「帯金の者です」


 男は言った。

 その名前に、反射的に体がこわばる。

 祖父母の人生を滅茶苦茶にした一族、帯金。両親はタブー視していたけれど、祖父は伽羅奢に口を酸っぱくして「帯金には関わるな」と言っていた。女である伽羅奢は特に気をつけるように、と。その名前は伽羅奢の脳裏に嫌でも刻みついている。

 男は続けた。


「実はねぇ、金を返して欲しいんですよぉ」

「借りた覚えなどありません」

「えぇ? 冗談でしょう? あんたのジジイが借りた金ですよぉ。知らないわけじゃないでしょ。この家の元手にだってなってるんじゃないのぉ?」


 へらへら笑う男の口元は、歯がガタガタしていてとても気持ち悪いものだった。だいたい、祖父は帯金に金なんて借りていないのだ。香典として無理矢理押し付けられ、突き返す事すら出来なかったはず。あとから「返せ」と言うくらいなら、最初から金なんて握らせなければ良かったではないか。

 くだらない。

 無視を決め込むと、男は伽羅奢の顔を覗き込んで言った。


「じゃあさぁ、こういうのはどう?」


 男の顔がさらに近づく。


「金を返すか、処女をくれるか、どっちがいい?」


 ニタニタ笑う男を見て、伽羅奢の全身に悪寒が走った。男の発言に祖母の過去を重ねる。


「あ、あんた処女? 処女だよねえ。だってあんた、嫌われ者だって聞いてるよぉ。興信所ってやつで調べたら、出るわ出るわ。小、中学生時代の嫌われ者だった話。だからさあ、仕方なく僕が貰ってやるよ。この僕が、あんたをお嫁さんにしてあげる。良い話だろぉ?」


 ふざけるな、と声を上げる前に、男のかざしたスマホの画面を見て伽羅奢は静止した。


「これはテレビ電話だ。映ってる場所、わかるよねぇ。大事にしたくなければ、とりあえず一緒に来てもらおうか。詳しい事は車の中で話そう」


 冷え切った男の声。

 画面には伽羅奢が住んでいるアパートが映しだされていた。画面が動いて、撮影者の足元が映る。灯油を入れる赤いポリタンクとライターが見え、何をしようとしているのか察しはついた。


「……チッ」


 やむを得なかった。伽羅奢は男が乗って来た軽トラックの助手席に座る。


「よぅし、行こうか」


 荒っぽい運転でどこへ行くのかと思えば、行きついた先は伽羅奢の住むアパートである。敷地に軽トラックを入れた瞬間、建物の影から赤いポリタンクを抱えた初老のおばあさんが駆け寄ってきた。


「あんたはちょっと待ってな」


 男は伽羅奢にそう言い残して運転席から降りると、おばあさんに手を貸して荷物もろとも荷台に乗せた。その間わずか数秒で、トラックは再び逃げるように走り出す。

 伽羅奢には目的地がわからない。

 この男の目的も、これから何が待ち受けているのかも。


「しっかし暑いなあ」


 男の車にはエアコンがついていなかった。

 男はドリンクホルダーからペットボトルを取り、ぐびぐびと一気に飲み干している。その姿をジロリと見ると、男は伽羅奢にも別のペットボトルを差し出した。


「あんたも飲みな。熱中症になっちまう」


 確かに暑かった。

 普段からエアコンの効いた部屋に引きこもりがちな伽羅奢に、このうだるような暑さの車内はきつい。ペットボトルを見ると余計に喉が渇いた。

 この男の差し出した物を飲んでも平気だろうか。

 そんな疑問も確かにあったのだが、喉の渇きには勝てず、結局伽羅奢もそれを一気に半分ほど飲んだ。

 それからしばらく車は揺れ続ける。

 伽羅奢はいつの間にか、眠ってしまっていた。


 気付いた時には状況が一変していた。

 伽羅奢はどこかの部屋の中で、なぜか床に横たわっている。

 起き上がって自分の首の重さに驚く。触れた冷たいそれが首輪であり、その鎖が壁の金具に繋がっている事に気付くまでに数秒かかる。そして視界に入った自分の格好は、ドレス姿だった。


「盛り過ぎたかねぇ」


 足元から声がして、伽羅奢はそこにあったダイニングテーブルを見た。例の男と、アパートでポリタンクを持っていたおばあさんが、二人で机を囲んで話している。「たかが睡眠導入剤ごときで」という男の言葉で、車内で飲んだ物がただのお茶ではなかった事に気付いた。

 これは、まずい。


 ――ガチャリ。


 立ち上がった拍子に、首輪についていた金属の鎖が音を立てた。


「あぁ、やっと起きたか」


 男が言う。


「ったくいつまで寝てるんだよ、このアマ。話が進まないじゃねえかよぉ。迷惑だろうが。ほら、さっさとこっちに来い! 座れ!」


 男が伽羅奢の髪を掴み、引っ張って、椅子に乱暴に座らせる。


「……いたっ」


 いつもなら大声で反論する伽羅奢が、この時は何も出来なかった。男の理不尽かつ乱暴な態度と、自分の身体におきた異変に理解が追い付かない。


「じゃあ、あんたにはさっそく金を返してもらおうか。一億。利子をつけて一億だ」

「……は?」


 まるで馬鹿な小学生のような発言だと伽羅奢は思った。

 唖然とする伽羅奢を見て、男が続ける。


「でも僕だって馬鹿じゃあない。急に一億なんてポンと払えないだろう? だからさあ、分割でいい。どうだ? 優しいだろぉ?」


 伽羅奢の隣の椅子に男が座る。にやりと笑った口からガタガタな歯が覗いた。伽羅奢は思う。冗談じゃない。


「断る。……と言ったら?」

「んだと、テメェ! そんな事が出来ると思ってんのかこのメス豚がぁ! テメェの借りた金だろうが! 偉そうな口きいてんじゃねえぞ、ぶっ殺すぞ!」


 男は伽羅奢のドレスのスカスカな胸元を掴んでひねり上げた。

 暴言を吐きながら、椅子にたたきつけるように伽羅奢から手を離す。伽羅奢は椅子から転げ落ちそうになりつつ、殴られなかっただけマシだと直感した。

 この男はたぶん、容赦しない。


「ああ。もしかしてあんた、僕があんたを嫁にしてやるって言ったから、優しくしてもらえるとでも思っちゃった? 馬鹿だねぇ。僕はねぇ、別にあんたが死んでも構わないんだよ。僕が欲しいのは金だ。金。……あぁ、そうか」


 男がなにかを閃いて目を輝かせる。

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