第45話 帯金

「桜木さん。その、帯金? とかいう、伽羅奢の家に内覧に来ていた奴って、どんな様子だったんですか」


 俺の質問に、桜木さんが壁面を見上げながら記憶をたどった。


「そうですね。いらした方は三十代くらいの男性でした。気さくな方で、物件について色々と質問されていましたよ。オール電化か、プロパンガスか都市ガスか。風呂場の機能、日当たり、ベランダの広さ。ごく普通の質問だったと思います。家の中をひと通り見て回って、その後ですね。帰り際にお嬢様の耳元で『帯金の者です』と名乗っていました。そのままお二人で何か話したあと、二人で出て行かれました」


 伽羅奢が自らの意志で共に出て行ったというのは、かなり大事おおごとのように思える。

 伽羅奢は無駄な事をしない。不要だと思えばはっきりと拒絶する。

 そんな伽羅奢が自ら帯金についていったとなれば、帯金との会話が伽羅奢にとって無下には出来ないものだったはずだ。

 何を話したのか。何故二人で出て行ったのか。


「二人がどこへ行ったか、わかりますか」

「いえ、申し訳ありません。そこまでは。ただ、男性は軽トラックでいらしていたので、それに乗っていったと思います」

「軽トラか」


 移動できる範囲が広すぎる。行き先を推測する事は難しいだろう。お母さんに視線を向けると、手が震えているのが見えた。


「だったら、帯金の家へ行ってみましょうか」


 怒りなのか、恐れなのか。お母さんが感情を抑えて言う。


「桜木さん、帯金の住所ってわかる?」


 桜木さんはしばらく考え込んで答える。


「そうですね……。資料や地図をたどっていけば見つけられるかもしれません。が、時間はかかると思います」

「じゃあ悪いけど、調べていただける? 私も帯金の事を知っていそうな人をあたってみるわ」


 お母さんはそう言って、俺に目を向けた。


「ねえ愛音くん、帯金の家を突き止めたら、私と一緒に帯金の家へ行ってくれない?」

「もちろんです! たとえお母さんが駄目って言ったって同行するつもりでしたよ!」

「ふふ。ありがとう。さすが伽羅奢のフィアンセね」


 お母さんが笑う。

 俺もただ、笑い返す。


 俺たちはそこで解散した。

 桜木さんは過去の資料から、お母さんは古い知人から、それぞれ帯金の所在を探す。帯金に会って、少しでも伽羅奢の現状の情報を手に入れるために。


 じゃあ、俺は?


 俺は無力だ。俺には帯金の事は判らない。

 でも伽羅奢の事ならば、俺が一番よく知っている。俺に出来る事は、伽羅奢側から追いかける事だけだ。

 伽羅奢のアパートに原付をとりに戻りながら、俺はひたすら考えた。伽羅奢。何か見落としているものはないのか。何か。

 せっかくだからもう一度部屋を覗いてみよう。

 彼女の部屋の窓に近づき、中を覗き込もうとした。瞬間、ガラッと窓の開く音がして俺は飛び上がる。


「ひいっ!」


 開いたのは伽羅奢の部屋ではなく、隣の部屋の窓だ。

 スピーカーおばさんこと秋山さんが頬を染めながらこっちを見ている。俺は反射的に挨拶した。


「あっ、さっきはありがとうございました。助かったっす」


 頭を下げる。秋山さんが、また恋する乙女のような顔をした。


「良いのよぉ。ところで、ガラシャちゃんには会えた?」

「いや、軽トラでどっか行ったって事くらいしか判んなかったっす」

「軽トラ?」


 秋山さんは何かに気付いたように声をあげる。


「そういえば最後にガラシャちゃんに会った日、軽トラに乗ったガラシャちゃんを見たわね」

「えっ?!」


 それ、目茶苦茶大事な情報じゃないか!


「どこ行ったか判んないっすか? その軽トラ、帯金って人が運転してたと思うんですけど」

「それは判らないけど……帯金さん? そういえばここだけの話、帯金さんってまた何か、リゾート関係に手を出そうとしているらしいわよね」

「ま、まじっすか!?」


 帯金の事を知っている! さすがスピーカーおばさん!

 俺は秋山さんに詰め寄った。


「詳しく教えてください!」

「きゃんっ」


 顔を近づけすぎた。秋山さんに変なスイッチが入った気がするが、気にするもんか。俺は韓流スマイルで押し通す。

 秋山さんは卒倒しかけながら、少女みたいな声で答えた。


「ほら、帯金って大昔の地主でしょう。ほとんどの財産はバブルでダメになっちゃったけど、ここだけの話、二束三文にもならない山だけは残していたのよ」

「山?」

「そうなの。その山ね、ずっと手つかずだったけど、この数か月で何かやり始めたみたいよ」


 秋山さんがわさとらしく声をひそめる。


「昔の栄光を取り戻そうとしてるのかしらね。ここだけの話、リゾートとして運営したいみたい。そのために借金して軽トラも買って、コンテナハウスも買ったとか。ここだけの話よ」


 リゾートってあれか。プールとか、宿泊施設とか。そんなものを、帯金が。


「……あ、そっか」


 すべてが繋がった気がした。

 伽羅奢が住み込みで働くなら、そこしかない。だってニートな伽羅奢の行動範囲なんて限られているし、この状況で自ら職場を探すなんて事はしないだろう。たから、自ら探したわけじゃなく、帯金に連れて行かれたのだ。そして伽羅奢は、そのまま働き続けて帰らずにいる。

 そう考えたらこの状況も納得できる。


「秋山さん、その山の場所ってわかりますか」

「ええ、町はずれの山よ。えっとね、この辺」


 秋山さんはスマホで地図を表示してみせてくれた。だいたいの場所を把握する。原付でぶっ飛ばして数十分くらいか。


「ここだけの話ね、いわくつきの山だから売れなかったらしいわよ」

「いわくつきっすか」

「そう。昔ね、強姦殺人があったの。ここだけの話」

「えっ」


 それが伽羅奢のおばあさんの話だと、俺は瞬間的に察した。そんな場所で伽羅奢は働いている。なんでそんな事に。

 俺はベランダ越しに秋山さんを軽くハグする。


「あざっす! 俺ちょっと行ってみます!」


 秋山さんが俺の腕の中で溶けて、床に落ちた。これ幸い。秋山さんの事はほっといて、さっさと行こう!

 伽羅奢はきっと、その山に居る。


 ◇


 市街地を抜けて田畑ばかりの道を行き、町はずれの山まで原付をかっ飛ばす。

 伽羅奢が何故働いているのか。

 どんな気持ちでいるのか。

 帯金とどんな話をしたのか。

 心配、怒り、不安が胸を焦がし俺をせかす。


 教えられた山の付近までやってきた。

 ガードレールの向こう側にある山は木と雑草が生い茂り、リゾートどころか道すらない。どうしたら良いのだろう。山は目の前なのに、どうやって入っていくのか、そもそも入っていけるものなのかも判らない。


 山沿いをゆっくり走る。

 すると突然、ガードレールの切れ目の先に、ギリギリ車一台が通れそうな、道とも呼べない道が見えた。

 入っていくならここしかない。俺はそのガタガタした山道を原付で慎重に進む。


 右を見ても左を見ても木、木、雑草、木。本当にここにリゾート施設があるのか?

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