第38話 桜木不動産
でも、これは収穫だ。
俺は秋山さんに向けて、とびきりの笑顔を作る。
「秋山さん、ありがとうございます! 情報、感謝っす!」
バチン! と、とびきりのウインクを飛ばす。
「あんっ」
俺の渾身のウインクは秋山さんの脳天に突き刺さり、そのまま真後ろに倒れそうなほどよろめいた。今がチャンス! 俺はそのまま玄関のドアを閉める。
ありがとうございました。
心の中でもう一度秋山さんに感謝して、お母さんの方を振り返った。
「その不動産屋、もしかしたら……って、なんすか」
目が合ったお母さんは、顔をニヤニヤさせて俺をジトッと眺めている。
「愛音くんたら、役者ねえ。あんなアイドルみたいな事しちゃって!」
「ちょっ、笑わないでくださいよ。俺はただ伽羅奢の真似をしただけです」
「伽羅奢の?」
「そうっす。伽羅奢のやつ、頼み事があるとすぐ『カワイイアピール』して人を動かそうとするんっすよ」
「あら、あの子そんな事してるの。誰に似たのかしらね。でもまあ、使える武器はなんでも使わないと勿体ないわね」
それで良いのか。
金持ちの勿体ない精神はすごい。
気を取り直して、俺はもう一度お母さんに問いかけた。
「あの、その不動産屋なら、伽羅奢の行方について何か手掛かりを持ってないっすかね。タイミング的に、伽羅奢が帰ってこなくなる直前に会ってるはずっすよ」
「そうよね、何か聞いているかもしれないわ。……じゃあ、ちょっと行ってみる?」
お母さんの鶴の一声で、俺たち二人は伽羅奢が契約している桜木不動産へと赴く事になった。
◇
伽羅奢のアパートからタクシーで二十分。
俺と伽羅奢のお母さんは、主要駅から徒歩三分の所にある桜木不動産を訪れた。そこは、大きな金が動く商売をしているとは思えないくらい質素で、こじんまりとした建物である。
「ここはね、私たちのお父様の時代からとてもお世話になっている不動産屋さんなの」
「へえ。お父様」
なんてお上品な呼び方だろう。漫画の世界じゃあるまいし、そんな呼称をリアルで聞いたのは初めてだ。
お母さんの「お父様」という事はつまり、伽羅奢の祖父という事になる。子や孫に不動産をばらまいて、お金を捨てていた「お父様」。その祖父こそが、とんでもない金持ちというわけだ。
ドアを開ける。
「ごめんくださいな」
お母さんはお上品に挨拶して中に入っていった。
入口の前には、二組くらい同時に相談できそうな広さのカウンターがある。カウンターの奥は事務所になっていて、男女二人の従業員がパソコンに向かって仕事をしていた。事務所の隣には、革張りの応接セットが置かれていた。
俺たちに気づいた男性が立ち上がり、驚いた様子でこちらに近づいてくる。
「興津さま! ご無沙汰しております。どうされましたか」
「桜木さん、こんにちは。ごめんなさいね、アポも取らずに。ちょっと聞きたい事があって来たの。お時間、大丈夫かしら」
「ええ、ええ、大丈夫です。ささ、こちらへどうぞ」
桜木と呼ばれた男性に促され、俺たちは応接セットのソファーに座った。桜木さんはお母さんに向かって、何度も何度も頭を下げている。ちょっと低姿勢すぎない?
「すみません、近頃あまりご挨拶にも伺いませんで。お手紙ばかりで、大変失礼しました。旦那様もお変わりありませんか」
珈琲とお茶請けのクッキーを提供し、向かいの席に座った桜木さんが言う。
「ええ、おかげさまでみんな元気よ。桜木さんもお変わり無さそうね。あ、こちらは
熱い珈琲を冷まそうとフーフーしていた俺は、勢い余って激しく息を吹き出した。
「ごほっ、げほっ、何言ってんすか、お母さん!」
「ほら桜木さん、今の聞いたぁ? 私のことをもう『お母さん』って呼ぶのよ。そういう仲なの。うふふ」
隣に座るお母さんは、笑いながら俺の腕に自分の腕を絡ませて、ギュッと寄り添ってくる。
「勝手な事言わないでくださいよ! てか、暑いですって!」
「ご婚約おめでとうございます」
「ちょ、不動産屋さんまで! 違います! 婚約してないです!」
こんな事、伽羅奢に聞かれたら罵倒されること間違いなしだ! お母さんはケラケラと笑い続けている。
「そんな事より、伽羅奢の話っすよ! 伽羅奢について聞きたい事があって来たんです!」
俺は大人の茶番を一蹴して、本題に入った。
「お嬢様、どうかされたんですか」
桜木さんが神妙な面持ちで身を乗り出してくる。急に伽羅奢の名前が出て、異変を察したのだろう。
伽羅奢のお母さんは俺の腕から離れ姿勢を正すと、憂いを帯びた瞳を珈琲へ落とした。
「ええ。実はね、今月に入ってからあの子、音信不通なの」
「音信不通。お嬢様がですか」
「そうなの。どこかで働いてるみたいなんだけど、どこへ行ったのかわからなくて。ねえ桜木さん、何か聞いてないかしら。変わったこと、気になる事、なんでも良いの。何か知っていたら、教えてくださらない?」
お母さんの話を聞き、桜木さんが考える様子をみせる。
「今月……ですか。ちょっと失礼」
桜木さんは事務所のデスクからパソコンを持ってきて、応接テーブルの上で広げた。俺とお母さんは互いに顔を見合わせる。何か知っている。そんな期待が膨らむ。
「私、八月の二日にお嬢様にお会いしています。内覧希望のお客様が、是非家主も立ち会ってほしいとおっしゃいまして、無理を言って来て頂きました」
スピーカーおばさんこと秋山さんが言っていた話はこれだろう。桜木さんはパソコンから目を離し、俺達に神妙な面持ちで告げた。
「実はその時、少し気になることがありまして」
「えっ、なんですか!」
思わず大きな声を出す。桜木さんは不意に出入口の方へ目を向けた。まるで聞かれては困る話をするみたいに、外の様子を伺ってから話し始める。
「いえ、お嬢様というよりは、そのお客様に関する事なのですが……。その、もしかしたら、不審者の可能性もあるかと」
「不審者?!」
そんなの、大問題じゃないか。桜木さんはさらに声をひそめる。
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