第37話 何か
「……その仕事自体が、目的?」
俺はふと閃いて、部屋のすみずみに目を向けた。
リビング、寝室。壁、棚の上、小物の隙間。何か新しい物はないか。伽羅奢がハマったであろうもの。新しい、何か。
「どうしたの、愛音くん」
急に探し物を始めた俺に、お母さんが心配そうに声をかける。
「いや、伽羅奢がここまでするのって、何か『好きなもの』が原動力になってる時だと思ったんです。あいつ、自分が納得しないと行動できないじゃないですか」
「たしかに、それはそうね」
「しかも、今まで熱中していたゲームさえも辞めたって事は、それ以上にハマる『何か』に出会ったからじゃないかなって。で、それが、その『仕事』に関係してると思うんすよね」
伽羅奢がのめり込み、働きたいと思うような何か。
仕事として成り立っていて、高卒の伽羅奢でも住み込みで雇ってもらえるような、何か。
こんな短期間で出会い、就職までが成立する、何か。
「そうねえ。あの子がハマるもの。何かしら。……ゲーム関係?」
「かもしれないし、全然違うの物かもしれないっすよね。伽羅奢のやつ、ゲームならなんでも良いってわけでもなかったから」
好きなものにはとことんのめり込む伽羅奢。
伽羅奢がハマった「何か」の痕跡が残っていれば良いけど、散らかり放題だったこの家の中から当てもなく探すのは難しい。
「そうよねえ。うぅん、あの子、最近なにか変わったところはなかったかしら。急にお洒落をするようになったとか、何か」
「いや、俺にはさっぱり。……あっ」
そうだ!
わからない事があるなら、情報通に聞けばいい。ここには居るじゃないか、あの人が!
「お母さん、スピーカーおばさんっすよ!」
「え? 何? スピーカー?」
理解できていないお母さんを強引に引き連れて、俺は隣の部屋へと突撃した。
◇
平日の真っ昼間。
幸運なことに、スピーカーおばさんこと秋山さんは在宅中だった。
地域の情報通であるスピーカーおばさん。彼女なら、伽羅奢の情報を知っているかもしれない。
呼び鈴を鳴らす。
出てきた秋山さんは、伽羅奢のお母さんを見るなり「あぁら興津さぁん! お久しぶり!」と声を弾ませた。そういやお母さんはこのアパートのオーナーだもんな。知り合いだったか。
「ねえ興津さん、知ってる? ここだけの話、201号室の清水さん、転職を考えているんですって。もしかしたら、ここも退去するかもしれないって言ってたわよ。だから、ここだけの話、早めに新しい入居者を募集し始めた方が良いと思うの。それにね、清水さん、今ちょっとお金がないみたいで。大丈夫だとは思うけど、一応夜逃げとかも警戒しておいた方が良いと思うのよ。それでね……」
「あ、あの!」
来訪者に対し一方的に話し始めた秋山さんは、とどまる事を知らなかった。
お母さんが無理矢理話を遮ろうとしたが、駄目だ。にこにこと話し続ける。
「あのね、興津さんも知ってるかもしれないけど、ここだけの話、二丁目の田中さんの息子さんが、大学を辞めて家に帰ってきてるらしいのよ。お母さんとしては独り立ちさせたいみたいだから、どこかで一人暮らしをさせようと考えているみたいなのよね。だからね、もしも清水さんがここを出るなら私、丁度いいと思うのよ。ほら、ここならガラシャちゃんみたいな若い子もいるし、大学生でも住みやすいでしょう。その方が社会復帰にも良いと思うのよね。それで……」
スピーカーおばさんは止まらない。
すっかり気圧されたお母さんは、もはや「うん」「うん」と等間隔で相づちをうつロボットになっている。リズムゲームか。
埒が明かない。
「あの!」
――ドンッ!
俺は秋山さんに呼びかけながら、玄関ドアに右手をついた。
向き合うお母さんと秋山さんの間に手を置き、まるで俺が秋山さんを壁ドンする形になっている。
秋山さんの顔は、俺の顔面十センチ前だ。
「きゃっ」
秋山さんは少女みたいな黄色い声を出して、目を丸くした。
トクン、という効果音が聞こえてきそうな秋山さんのリアクションに、俺はうろたえる。
「……えっ」
俺を見つめ、瞳をうるませる秋山さん。いや、ちょっと待て。なんだその表情は。別に色仕掛けをしたつもりなんてなかったのに、完全に期待されている。
秋山さんが俺を見つめる。
期待に満ちた、乙女の目で。
そらしたら、負け。
……こうなったら、やるしかない。
「秋山さん。ちょっと聞いても良いですか」
俺は何かの動画で見た、韓国の男性アイドルっぽいスマイルを真似して微笑んでみた。
「え、ええ」
トクン。秋山さんの背後にまたも擬音が見える。まじか。効いている。
そういえば、韓流アイドルはファンに語り掛ける時、「こういうのが望みなんだろ?」という表情で強気に笑うのだと言っていた。
じゃあ、やってやろうじゃないか!
俺も瞳で秋山さんに「これが望みなんだろ?」と訴えてみる。どうだ!
秋山さんの頬が赤く染まる。
「あの、なあに?」
ダミ声だった彼女の声が、十代の少女のように高くなる。
「あのですね、秋山さん」
俺は表情筋にムチを打ち、むりやり口角を引き上げた。このまま押せ! 押し倒せ! と、俺の心の中の韓流アイドルが言っている。
「今月に入ってから、伽羅奢と音信不通なんです。秋山さん、何か知りませんか」
俺の、たいして白くもない歯を見せつけて笑う。
「ひゃっ」
秋山さんの両肩が、キュンっという擬音と共に上がった。
俺の視界の端に、伽羅奢のお母さんがニヤニヤしながらこっちを見ている姿が映る。でも、気にするな、俺。気にしたら負けだ。
秋山さんが「えぇと、ね」と小首をかしげた。
「確かに、最近ガラシャちゃんを見かけないから心配してたのよ。最後に会ったのは、いつだったかしら。たぶん、八月に入る頃だったかしらね」
やっぱりそれが最後か。しばらく帰ってきていないのは確実だろう。
「ガラシャちゃんね、その時も特におかしなところは無かったのよ。いつも通りご挨拶して、『どこか出かけるの?』って聞いたら『不動産屋に』って言ってたくらい。それからは会ってないわね。部屋の電気もついてなかったし、草はボーボーだし、居ないみたいよねぇ。どっか行っちゃったのかしら、なんて思ってたのよ」
「あら、あの子、不動産屋へ行ったんですか」
隣で話を聞いていたお母さんが口を挟む。秋山さんが乙女の世界から我にかえって、話をつづけた。
「ええ、そうよ。なんでも、内覧希望者がオーナーの同伴を希望したとか。ほら、ガラシャちゃんの貸家、ひとつ、リフォームが終わって新しい入居者を募集していたでしょう? その関係で不動産屋に呼び出されたって話よ」
それがよくある事なのか、イレギュラーな事なのか、俺には判断がつかなかった。
伽羅奢のお母さんに目を向ける。
「どう思います?」
お母さんは眉をひそめて首をかしげている。俺の問いに、意見を述べた。
「普通は管理業者が対応してくれるから、家主が出ていく事なんてほとんどないの。呼び出されるなんて、ちょっと不思議な感じね」
不思議な感じ、という言葉に胸がざわつく。
伽羅奢の周囲は今、不思議でいっぱいだ。その沢山ある「不思議」の一端が、スピーカーおばさんの話にも存在している。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます