第24話 顛末
「ああ。あの馬鹿は犯人Aが誰かなんて気付いちゃいないよ。あとはド低能の馬鹿な犯人Aが、自ら代返を暴露しにくるのを待っている状況じゃないのかね」
ド低能の馬鹿。
一度は謝罪しに行こうと考えていた奏ちゃんが、いたたまれなくなって背中を丸めた。伽羅奢は気付いていないようだけど、ほんとそういうところだぞ。
でも俺は、伽羅奢の説にだいぶ納得してしまっている。
結局、この騒動は俺のせいじゃないか。
教室内には面白くもない講義の声が、淡々と響いている。
「桃さん、退学してたのか」
「馬鹿者。桃が退学しているというのはあくまで仮説だ。『存在しない人物』が桃である確証はないのだよ」
「それは判ってるよ。でも、今年度になってから桃さんの付き合いが急に悪くなったし、連絡もつかない。退学したって言われたら納得できるんだよ。……あ、そうだ」
俺は俺の仮説を証明するため、とある場所へ出向く事にした。
◇
講義終了後、俺たちがやって来たのは、キャンパス内にある図書館である。
「桃さんが退学しているかどうか、たぶんここで判る」
俺はそう言って、適当な本を一冊持つと自動貸し出し機の前に立った。
本を読み取り機に置いて、桃さんの学生証をICリーダーにタッチする。
――ピーッ!
エラー音と共に、画面に警告メッセージが表示された。
『このカードは利用できません』
赤い背景に黒い太字でそう書かれている。試しに俺の学生証をかざしてみると、無事に貸し出し期限が表示され、借りる事が出来た。
「どういう事?」
奏ちゃんが尋ねる。俺はそのまま本の返却手続きをしながら答えた。
「ここの図書館ってさ、うちの大学の学生しか借りられないじゃん。だから学生証を読み込ませた時、ちゃんと学生のデータと照合してるんだろうなと思って。出席確認用のICリーダーと違ってさ」
「あ、そっか。退学してたらもう借りられないんだ」
「そういうこと。やっぱ桃さんの籍はないや。はあ、マジで退学してたのか……連絡してくれよ、ほんと」
持ち主のいない学生証を眺め、途方に暮れてしまう。これを本人に返そうにも、メッセージはずっと未読だし、どうしようかなあ。
俺たちの後ろでその光景を見ていた伽羅奢が、腕を組んだまま気だるそうに言った。
「その女、夜逃げでもしたのではないか」
「はあ?」
振り向いて視界に入った伽羅奢は、まるで一人だけスポットライトを浴びているかのように輝いていて美しかった。スラっとした手足と小さな頭のバランスは黄金比と言ってもいい。個々人が静かに自分の世界に没頭しているはずの図書館においても、彼女は周囲の視線を独り占めしている。
そんな彼女が、突拍子もない事を言う。
「年度途中に退学して、誰にも連絡もせず、学生証も放置。その上メッセージは未読ときた。縁を切るどころじゃない。この女、誰にもバレないように逃げたように見える」
「なんのためにそんな事するんだよ」
「さあな。とんでもなく嫌な事があったか、ホスト狂いにでもなって借金まみれで逃げたか。馬鹿な大学生が逃げる理由なら、腐るほどあるだろう」
「えぇー……」
辛辣。
でも、退学したことは事実だ。去年まではそこそこ真面目に大学生活を送っていた桃さんが辞めてしまったというなら、それなりの事情があったのだろう。とはいえ、俺に真相を知るすべはない。
「ねえねえ、愛音くん。僕、思うんだけど、……どれもこれもただの推測だよね」
奏ちゃんが申し訳なさそうに肩を丸めて言う。
「この桃さん? の事もだけど、教授の事も、興津さんの話はどれも仮説でしょ。確実な事は、不正がバレたら退学になるって事だけ。だったら僕、やっぱり教授のところに謝りに行った方が良いと思うんだ。謝らずにうっかり退学になったら、やっぱり、困るから」
「ほう」
奏ちゃんの意見に伽羅奢が冷めた声で返事をする。俺が奏ちゃんと同じ事を言ったら間髪入れずに「馬鹿か」と言いそうなものなのに、伽羅奢は余計な事を言わず、奏ちゃんの言葉をじっくり噛みしめた。
「なるほど。奏汰の言い分も一理ある。人生がかかっていると言ったな。そのくらい用心深い方が良いのかもしれん。それならば私は止めない。二人で謝罪しに行くと良い」
伽羅奢が実に寛大な意見を述べる。こんな伽羅奢、見た事ない。
「ねえ伽羅奢、やっぱ奏ちゃんに対してだけ甘くない?」
「何を言っているのかね、愛音。私は当然の判断をしたまでだ」
「じゃあ俺にも常に『当然の判断』をしてもらいたいんだけど?!」
「してるではないか」
「どこが?!」
なんだか腑に落ちないまま、結局俺と奏ちゃんは教授の元へと向かった。
研究室に居たのは教授一人だけで、所属学生たちはみんな出払っている。本で溢れた書棚だらけの室内をすすみ、俺たちは教授と対面した。
「すみませんでした」
教授に桃さんの学生証を見せつつ、代返していたことを謝罪する。奏ちゃんは誰のとは言わなかったが、代わりにプリントを書いた事を謝罪した。
神経質そうな教授が、桃さんの学生証を手にしてジロジロと眺める。俺たちと学生証を見比べて言った。
「この学生は二か月ほど前に学校を辞めている。君たちは何故この学生の出席を偽ったのか」
「あ、えっと、四月に頼まれて、単位取れないと可哀想だと思って、です」
「可哀想か。ふん。自業自得な学生に手を貸す必要など無い。謝罪に来た事は考慮するが、君たちも同罪だ。今後もし同じ事をしたら、単位は永久に与えない」
「はい、すみません」
「君たちは道を踏み外すなよ。安易な借金は破滅の入口だ。では、帰ってよろしい」
頭を下げて研究室から退室する。教授の言った言葉が胸に刺さる。安易な借金。何の話だよ。
まさかとは思うが、伽羅奢の言った「ホスト狂い」もあながち間違っていないのかもしれない。桃さんは高額な借金をして蒸発した。もしもその通りなら、だいぶ気分が沈む。奏ちゃんと二人で歩く廊下の暗さも相まって、すごく重苦しい。
研究室棟の一階では、伽羅奢がスマホゲームに興じながら俺たちを待っていた。口角が上がっているところを見ると、ゲーム内で何か良い事があったのだろう。
彼女を見て、俺は今後について思い出した。
「そうだ伽羅奢。俺、今期の『国際社会基礎』はもう出ないし、代返もしないから、伽羅奢ももう来なくて良いからね」
伽羅者が顔を上げる。
「来ない、だと? マルチバトルはどうするのだ」
「どうって言われても、もう伽羅奢は大学に来る必要ないんだよ。それにたぶん、もうみんな一緒にプレイしてくれないんじゃないの? 伽羅奢が厳しくするから」
「なんだと! 納得いかない! 私は複数回のマルチバトルを条件にこの依頼を飲んだのだ! バトルの場を設けてもらわなくては困る!」
伽羅奢は急に子供みたいに駄々をこね始めた。美少女が台無しだ。
「そんな事言われたって来る必要ないし、そもそもみんなを敵に回したのは伽羅奢じゃん。俺は知らないよ」
「はあ?! 馬鹿な事を言うな。約束が違うぞ! 契約違反だ! あり得ない!」
「ま、まあまあ、興津さん、落ち着いて。僕で良かったら一緒にバトルするから」
子供みたいな喧嘩をする俺たちの間に、奏ちゃんが割って入る。
「奏汰! キミは優しいな、誰かさんと違って。あぁ奏汰、心の友よ。是非とも私と一生仲良くしてくれ」
「あ、うん。こちらこそ。いつでもバトル誘ってね」
大人の対応をしてくれた奏ちゃんと比べて、伽羅奢の言動はずいぶん子供っぽい。俺は馬鹿らしくなって、二人を置いてさっさと研究室棟を出た。ゲーム、ゲームって、ガキかよ。
「はぁあ、面白くねえ」
そう呟いて、空を見上げる。夏の青空は高くて清々しいのに、どうして俺の気分はこうもむしゃくしゃするのか。単位を落としたから? いや、どれもこれも全部、伽羅奢のせいだ。
伽羅奢が奏ちゃんばっかりまともに扱うから。
そんな伽羅奢と奏ちゃんの関係の裏で、人知れず大きな事件が広がっていくだなんて、この時の俺は思ってもみなかった。
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