第23話 存在しない人
「いや、存在してるけど。学生証あるじゃん」
「愛音、キミは本当にどうしようもない馬鹿だな」
「だから、なんでだよ!」
伽羅奢が俺にツンとした目を向ける。
「この『桃さん』とやらが退学しているのではないか、と私は言っているのだ」
「……はあ?」
予想外な事を言われて、俺はあんぐりと口を開けた。退学なんてしていたら、代返する意味だってないじゃないか。
「愛音、この学校では学生証を読み込むことで出席を確認していると言ったね」
「そうだけど」
「それは、あくまで学籍番号と名前、日時が記録されるだけの単純なものだと聞いた。話を聞く限り、読み込み時点でデータベースと照合させているわけでも無いようだな。つまりこのシステム、すでに籍の無い人間の学生証であっても読み込ませる事が出来てしまう」
桃さんの学生証に視線を送る。確かにそうだけど、でも、退学?
「ちょっと待ってよ伽羅奢。だからって桃さんが退学してるかどうかなんて、わかんないじゃん」
「馬鹿者。先ほど『この女がそうだと確定した話ではない』と言わなかったかね? この女かもしれないし、別の人間かもしれない。それはわからないのだよ。ただ、退学した人間が関与している可能性が高い。私はそう言っているのだ」
伽羅奢が大きな目を半分以下に細めて俺を睨み付ける。はいはい、そうですか。俺は黙って伽羅奢の話の続きを待った。
「まあいい。では便宜上、この件の元凶を仮にこの桃にするが――」
すんのかよ。
「――桃の退学後も連絡を取り合わず、退学の事実を知ることの無かった愛音は、講義の際、律儀にずっと桃の学生証を読み込ませ続けた。特にエラーも出ないので、毎回毎回、この虚無の出席が記録され続けていただろう。そうだな?」
うん、と頷ずく。
「時は流れ数日前。皆勤している生徒の出席日数が、全講義日数の九割に至る頃。あのプライドの高い馬鹿教授は、今期の期末試験の受験資格を得た者がどの程度いるのか確認しようとした。そして、受講生の情報と出席記録を紐づけてみる。だがしかし、何かがおかしい」
伽羅奢の大きな目が、さらに大きく見開かれる。
「何度試しても、出席記録を入力出来ない者がいる。名前は存在するのに、データベースからははじかれてしまう。何故なのか。不審に思い、その名前のデータを検索する。するとそこには、真っ赤に染まった『退学』の二文字が――。そう。この学生は既に、この世には存在していなかったのだ!」
「なんで最後ちょっと怪談みたいに言ってんだよ」
ボケなのかなんなのかよく判らない物言いにツッコむと、伽羅奢はツンと澄ました顔をした。照れたか。
「まあ、おおかたこんなところだろう。とにかく、退学した人間の学生証が読み込まれていた、という事実が問題なのだ。そして教授は気付いてしまった。本人以外が学生証を読み込ませている可能性がある、と。大慌てだったであろうな。今まで信頼してきた出席記録が、すべて嘘かもしれないと気付いたのだから!」
あはっと声に出して、伽羅奢が悪魔のように笑う。
「さあ、これで疑心暗鬼だ! 誰が本当に出席しているのか。他にも自分を欺いている不届き者がいるのか。出席だけ登録して帰宅している者がいるのか。何もわからない。許せない。あの教授はそれらを確認し、対策せねばならなくなった。――そこで、これだ」
伽羅奢が配られたプリントを差し出した。
「もちろん筆跡を調べるなんて馬鹿な真似はしないだろう。だが、学生証を読み込ませたあとに帰宅するような不届き者は、このプリントで炙り出せる。前回の講義でプリントを提出しなかった者は確実にアウトだ」
伽羅奢が首を切るジェスチャーをする。
「確かに」
そして、こっそり早退していた学生は、今日の退学勧告と救済措置の存在さえ知りえない。本人の知らぬ間に退学まで一直線だ。恐ろしすぎる。
「だが、それでもあの教授は困ってしまった。なぜだと思う?」
「え? えっと」
「そう、前回の授業でありえない事が起きてしまったからだ。存在しないはずの桃の学生証がまた読み込まれ、あろうことか、今は亡き人間による手書きのプリントまで提出されてしまったのだからな!」
「質問したなら答えさせろよ。てか、勝手に殺すな」
さっきから好き勝手言っているが、桃さんはたぶんご存命だぞ。
伽羅奢は楽しそうに話し続ける。
「そこであの馬鹿教授はさらに考えた。プリントが提出されたという事は、少なくともそれを行った犯人が存在するはずだ。しかもその犯人Aは、この教室内で講義を受けている。『あの教授、代返に気づかず授業続けてやんの。ぷーくすくす』と笑いながら、今なお素知らぬ顔で席に座り続けているはずなのだ。教授は思った。不愉快極まりない。この亡霊を懲らしめなくてはならない!」
伽羅者がグッと握りこぶしを作る。
「だが、犯人が判らない。だからカマをかけたのだ。『私は気付いている。謝罪しなければ退学にするぞ』と」
「え。じゃあ、まさか」
伽羅奢がその可愛らしい顔に、とびきりいやらしい笑みを浮かべる。
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