第20話 条件

「あのね伽羅奢、俺たち真剣なの。すげえ大事な話をしてるわけ。だからちょっと黙っててくれる? ニートの伽羅奢には判らないかもしれないけどさ」


 嫌味を言ったところで伽羅奢には効いている様子もなく、彼女の視線は俺を越えて奏ちゃんに移っていた。


「奏汰。キミは謝罪に行く必要などないぞ。安心するといい」

「えっ」


 伽羅奢は困惑する奏ちゃんを見つめ、ニコリと微笑んでいる。

 伽羅奢の笑顔は見る者を虜にする可愛い可愛い笑顔だ。が、この状況では奏ちゃんを地獄に引きずり込もうとする極悪非道な悪魔の笑みにしか見えなかった。伽羅奢には俺たちの事情なんてわからない。


「ちょっと伽羅奢! 勝手な事言うなよ。こっちは人生がかかってるんだからな。下手したら退学になるんだから!」


 俺が注意すると、伽羅奢はすました顔で人差し指を唇に近づけて「しっ」と言った。うるさくして、すみません。周囲を確認した俺は縮こまって、小声で伽羅奢を怒鳴る。


「とにかく、適当なこと言わないでよ伽羅奢!」

「適当ではない。当たり前の事を言ったまでだ」


 何故か伽羅奢は自信満々だった。奏ちゃんが恐る恐る尋ねる。


「興津さんはどうしてそう思うの? その、謝罪は必要ないって、なぜ?」

「なに、簡単な事だ。あの教授は筆跡なんかで出席を判断していない、という事だよ」


 伽羅奢が穏やかな笑みを浮かべて答える。

 いやいや、ちょっと待ってよ。俺が同じことを尋ねようものなら、伽羅奢はゴミを見るような目で「馬鹿か」と一蹴するだろう。それに比べて、奏ちゃんに対しては友好的すぎない?


「でも……」


 とはいえ、奏ちゃんは不安そうな声をだした。伽羅奢の根拠ない慰みなんかでは、奏ちゃんの不安は解消しない。

 それを見て、伽羅奢は面倒くさがる素振りも見せず、奏ちゃんを慰めた根拠を述べ始めた。


「いいかね? まず、プリントは前回から導入された。そうだね? そして、それ以前に教授に書類を提出する機会も無かった。という事はつまり、プリントの筆跡が本人のものかどうかを比較検討する術など、あの教授には無かったのだ。それは判るね?」


 奏ちゃんが頷くと、伽羅奢は満足そうに続ける。


「という事は、だ。あの教授が代返に気付いたのは、に何らかの根拠があったからだとわかる。そうだろう? それに――」


 伽羅奢がひと呼吸おいて、他人を小馬鹿にしたように笑う。


「そもそも、この人数の筆跡を調べるなんて馬鹿な行為、大学教授ともあろう人間がするはずないのだよ。まあ、万が一あの教授が筆跡を調べて難癖をつけてきたところで、そんな証拠にもならない証拠など『知りません』と突っぱねれば良いだけの話だ。そんなもの、客観的な証拠には成りえない。いいかね、奏汰。キミは何も恐れなくて良い。謝罪に行く必要もない。私が保証しよう」


 自信たっぷりに言い切った伽羅奢は、堂々としていていつも以上に美しかった。凛として、美人で、説得力が桁違いだ。普段と違い化粧をしているせいか、より力強く見える。伽羅奢のお墨付きを得た奏ちゃんも、彼女の強烈な自信家美少女オーラを浴びて、困り半分照れ半分ではにかんでいる。

 ……なんだか、面白くない。

 イライラとため息をついた瞬間、照れ隠しのように俺の様子を伺ってきた奏ちゃんと目が合った。不貞腐れ気味な俺を見た奏ちゃんが、改めて表情を暗くする。


「僕はともかく、愛音くんはどうなるのかな。愛音くんの代返は、バレてると思う? 愛音くんだってもう後がないのに、ここで単位を落としたら困るでしょう。興津さん、どうにかならないかな」


 伽羅奢が「ふむ」と唸って顎に手を添えた。悩む彼女の横顔もまた美しい。


「ではまず、あの教授が何故急に代返を咎めるようになったのか、考えてみようか」


 教授のつまらない話し声が響く教室内。伽羅奢が暇つぶしのように推理を始める。なんだろう。奏ちゃんの頼みに対して、伽羅奢はずいぶん協力的だ。なんかこう、やっぱり面白くない。

 伽羅奢は人の気も知らないで、淡々と推理を続けた。


「前提として、この鬼畜教授は今まで出欠席に厳しい割に、代返にはおおらかであった。そうだね?」


 伽羅奢が俺の顔を覗き込む。俺は渋々頷いた。


「そう。俺、毎回三人分の学生証を読み込ませてたけど、今まで一度も怒られた事ない」


 俺の返事に伽羅奢がまた「ふむ」と呟いて思考を巡らせる。


「それが、今になって急に対策をし始めた、と」

「そういうこと」


 考えてみれば、前期の期末試験まで数週間というこのタイミングで対策を始めるなんて、今更感が半端ない。


「ふむ。だいぶ突発的な対応だな。無計画というか、衝動的というか」


 伽羅奢が講義中の教授を眺める。教授は淡々と面白みのない講義を続けている。


「神経質な喋り方に、他者を意識していない講義内容。自己中心的なクソつまらない講義。見たところ、この教授は相当プライドが高そうだな」

「あ、それは俺もそう思う」


 なんといっても学生に対する優しさがない。学生のため、という言葉の似合わなさは大学イチだ。


「元々あった期末試験の受験資格云々。あれも教授のプライドの高さから導入されたものだろうな」

「え、なんで?」

「条件を課して苦労するのは学生だけではない。教授本人も手間だろう。それでも条件を設定するのは、簡単に単位を与える事が癪だと考えているからだ。自分の素晴らしい授業を聞かない奴なんぞに単位なんて与えてなるものか。ど底辺野郎どもが授業も聞かず単位だけを奪っていくのは許せない。馬鹿にしやがって……などとこの教授は思っているのだよ」


 ついでに伽羅奢は「馬鹿馬鹿しい」と吐き捨てる。

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