第14話 国際社会基礎

 L号館のL101教室は学内で一番広い。座席数はゆうに五百を超える、ホール型の教室だ。


 入口の壁にはスマートフォンサイズのICリーダーが付いている。俺はそこに自分の学生証と恭介の学生証、そして預かりっぱなしのもう二枚の学生証の計四枚をタッチしてから、教室内に足を踏み入れた。


 国際社会基礎。大学生活最大の鬼門。


 後ろの方の座席はすでにぎっしり埋まっていて、前半分の中央寄りの席ばかりがらんと空いている。教授の真ん前は不人気極まりない。もちろん、俺だって座りたくはない。


「愛音くん」


 足を止めていると、入口のすぐ近くに座っていた同級生の波切はきり奏汰そうたが声をかけてきた。彼の隣が一席空いている。


「おぉ、奏ちゃん。隣、良い?」

「もちろん」


 奏ちゃんが座席を奥に詰めて通路側を空けてくれたので、俺はそこに座った。ありがたい。前の方とはいえ、教授から死角になるこの席はなかなか良い席だ。


「愛音くんは大変だねえ」

「え、何が?」


 奏ちゃんはニコニコしながら、俺が机に筆記用具を用意する様子を眺めている。


「愛音くん、いつも何枚も学生証をかざしてるでしょう。友達が多いと大変だね」

「あれ、奏ちゃんにもバレてた? さっき恭介にも言われたんだよね。そんなにバレバレだったかなあ」


 人の視線はあなどれない。奏ちゃんはフフッと笑いながら、また入口付近をぼんやり眺めていた。

 しばらくすると、教授が教室内に入ってきた。手には大きな段ボールが抱えられている。 


「なんだ?」

 

 学生が黙って見守る中、教授が段ボールの中に入っていたプリントを配り始めた。配られたプリントは上部に名前欄があるのみ。あとは自由記載スペースになっている。

 教壇に立った教授が小さなマイクに向かって話し始める。


「本日から、退室時にレポートを提出してもらう。その日の講義内容をまとめて書くように。文章量は、最低でも用紙の三分の二以上。提出しなかった者、文章量が少なかった者については、欠席扱いとする」


 ええぇ、と教室内がざわめく。欠席扱いってなんだよ。

 だが教授はお構いなしに続けた。


「以前から話しているように、出席率九割未満の者には、期末テストの受験資格を与えない。講義後半に、十分ほど記入時間を設ける。講義の復習と思って書きなさい。それでは講義を始める」


 教室内のざわめきが大きくなっても、教授はまったく気にしなかった。しばらく続いたざわめきも、教授の放つ「どうにもならないらしい」という雰囲気から、次第に静かになっていく。


「やっべー……」


 そんな中、俺はすっかり頭を抱えていた。

 このプリントを提出しないと欠席扱いだ。この、A4用紙にみっちりと! 十分以内に! 四人分も!

 いくらなんでも冗談きつい。


「愛音くん、大丈夫?」


 奏ちゃんが心配そうにのぞき込んでくる。彼の目線は、俺が確保していた四枚のプリントに向いた。


「僕も手伝おうか? 愛音くん一人じゃ書ききれないでしょう?」

「え、まじで?! すっげえ申し訳ないけど、すっげえ助かる! 頼む奏ちゃん! 飯おごるから助けて!」

「そんな、ご飯なんて大丈夫だよ。気にしないで」


 奏ちゃんの笑顔が眩しい。いや、むしろ後光が差して見える。


「いやいや、今度焼肉行こう、焼肉。まじおごる! ありがとう。ほんとありがとう!」


 俺は神に拝むように手を合わせながら、プリントを一枚奏ちゃんに手渡した。


 

 国際社会基礎。

 これは、三年生修了時までに単位を取らなければ進級できない必須科目だ。

 授業時間は週に三時限。講義への出席率が九割以上になると、期末試験を受ける資格が与えられる。さらにテストで九割以上の点数を取ると、ようやく単位が取得できる。

 はっきり言って、超鬼畜仕様である。


 この単位は一年生のうちに取得するのが望ましい、とシラバスには書いてあった。

 が、俺の知る限り、とにかくみんな単位が取れなかった。


 週に三日もある授業で出席率九割なんて、バイトや飲み会、サークル活動で多忙な大学生には難しすぎる。それに、試験も最悪。

 選択問題ならまだしも、すべての設問が記述式なのだ。これで九割以上の点数をとれだなんて、鬼かと思う。


 とまあ、例年そんな感じだから、学校側も救済措置をとってくれていた。後期にもまったく同じ講義が開講されているのだ。

 つまり、前期で単位を落としても、後期で取れば良いというわけだ。しかも、四年生になるまでに取得出来れば良いわけだから、最高で六回もチャレンジ出来るのである。

 ……まあ、その油断のせいで、俺は三年前期になってもまだこの講義を受けているわけだけど。

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