第12話 認めてほしいだけ

 アリサちゃんが欲しかったもの。それは。


「もしかしてアリサちゃんの望みは、母親からの、愛?」


 俺が呟くと、みんな黙りこくってしまった。ただ、アリサちゃんだけが、母親をじっと見据えている。

 そうだ。アリサちゃんはきっと、自分を見てもらいたかったんだ。他人の目を気にして、他人と比較してばかりの母親に、ただ自分という人間を認めてもらいたかっただけなのだ。


 心配してもらいたかった。

 優しい言葉をかけてもらいたかった。

 自分の事を知ってもらいたかった。

 聞く耳を持たない母親にアリサちゃんがそれを訴えるには、家出という物理的な方法しかなかったのだ。


 静まり返った部屋の中、母親がアリサちゃんの前まで駆けて行く。そのままの勢いでアリサちゃんを力いっぱい抱きしめた。


「やだ、アリサ。臭いじゃない。お風呂入ってなかったの? この季節、お風呂に入らなかったら痒くなるでしょう。ほら、首のところ赤くなってる」

「……うん」

「缶詰ばっかり食べてたの? アリサは今、なにが食べたい? アリサの食べたいもの、なんでも用意するわ」

「……ハンバーグ。ママの作ったやつ」

「わかった。じゃあアリサ、帰ったらとりあえずお風呂に入りなさい。その間にハンバーグ作るから」

「……うん」

「そしたら、食べながらお喋りしましょ。ママ、アリサの話が聞きたいわ。アリサの考えてる事を知りたい」

「うん」

「それで、ママの何がいけなかったのか教えてほしいわ。ママ、あなたが感じていたこと、ちゃんと知りたいの。もう、間違えないように」

「うん!」


 抱きしめられたアリサちゃんの顔に笑みがこぼれる。

 そうだ。アリサちゃんはただ、自分を見てほしかっただけなのだ。

 やっと判ってもらえたアリサちゃんは、母親をぎゅっと抱きしめて離さなかった。


 

 結局、母親は周りにペコペコと頭を下げるだけ下げて、アリサちゃんを連れて家に帰っていった。嵐みたいな人だった。これだけみんなを罵倒してかき乱したくせに、何事もなかったような顔をして帰っちゃうんだもんなあ。

 ひと通り俺たちの話を聴いた警察のおじさんたちも帰っていき、ガランとした空家には俺と伽羅奢だけが取り残されている。


「では愛音、ご苦労だった。帰っていいぞ」

「えっ?! いやいや、ちょっと待ってよ伽羅奢! なんかもっとこう、お礼的なものはないの?」

「ご苦労と言ったではないか」

「それだけ?!」


 抗議していると、突然玄関のドアが開いた。リフォーム業者の兄ちゃんがズカズカと入ってきて、伽羅奢に向かって挨拶する。


「トイレは問題なかったっすかね」

「ええ。公園で済ませました。では、今日もよろしくお願いします」


 伽羅奢が外に出ていこうとするので、俺も慌ててついていく。業者の兄ちゃんは淡々と仕事の準備を始めている。


「ねえ伽羅奢、トイレって何?」


 家を出て、伽羅奢の家へ向かって歩きながら尋ねた。俺の質問に伽羅奢が「キミはトイレも知らないのか?」と言いたそうな顔をするので、「トイレくらい知ってるけどさ!」と付け足す。

 道すがら、伽羅奢は事の顛末を教えてくれた。


「昨日、業者から連絡が来たのだ。『工事の都合上、一晩水道が使えなくなる。トイレに気を付けてほしい』『特にお子さんによく言っといてくれ』と。業者は最初からアリサちゃんの存在に気付いていたのだよ。住人が生活しながらリフォーム工事をすることなんてザラにあるからね。今回も住人が泊まりに来ているとでも思っていたのだろう。私もその電話でだいたいの状況を察した。――家出少女が家の中に居るとな。そこで、確証を得るためにキミに盗撮を頼んだのだ」


「……ああ、そっか! トイレの水が流れない事に気づいたアリサちゃんが、どこかにトイレを借りに行くタイミングを狙って写真を撮ったってわけか! 家出中なら人目を気にするだろうし、夜中は怖いだろうし、そりゃ早朝になるわ」


「そうだ。家を自由に出入りしている写真があれば、少なくとも監禁されていない証拠になる。あの盗撮はとても大事なミッションだったのだよ、愛音」


 大事なミッションと言われると、なんだか凄い事をした気分になる。ドヤっていると、伽羅奢は俺の事などまったく興味なさげに続けた。


「それに今日の午後、問題の授業参観が終わってしまったらアリサちゃんがどんな行動に出るか判らないからね。怒られたくない一心で『誘拐されてました』なんて言われてしまっては困る。だから先手を打って、私を監視していた警察の奴らに『私の家に知らない子供が勝手に出入りしている』と通報させてもらったのだ。愛音の撮った写真から、この子が行方不明の子であると確認も取れた。そこで母親を呼びだし、今に至るというわけだ」


「はぁぁぁ、なるほど!」


 という事は、だ。俺ってやっぱりかなりの功労賞ではないだろうか。その礼が「ご苦労」の一言だけでは釣り合わない気がするのは、別に図々しくもないだろう。

 そう思っていると。


「愛音、スマホを貸せ」


 伽羅奢はすました猫みたいな顔をして俺のスマホを奪い取り、なにやら操作し始めた。こんな勝手な行動も、伽羅奢が幼馴染だからこそ許される行為である。

 俺のスマホをしばらくいじくって、伽羅奢はひょいとこちらにスマホを投げた。


「礼だ」


 わけがわからずスマホをチェックする。

 見れば、昔入れたきりで遊んでいなかったスマホゲームが起動中になっていた。例の、伽羅奢のお気に入りのゲームだ。


「ギフトを送っておいた。喜べ」

「ギフト……って別に、俺このゲームやってないし、嬉しくないんだけど」

「は? キミは可愛い可愛い美少女幼馴染から貴重なギフトを貰っておいてそういう言い方をするのか。最低な奴だな。だからモテないのだぞ」

「モテないは余計だよ! いや、だって俺このゲームやってないからさ」


 言い訳する俺を伽羅奢はするどい目つきで睨みつける。伽羅奢はそのまま、いつの間にかたどり着いていた自宅アパートの敷地に入っていった。

 彼女は怒っている。とっても。

 なんか納得いかないが、どうやら悪いのは俺らしい。


 仕方ない。

 徹夜で重くなったまぶたをこすりながら、俺は一人さみしく自宅に向かって歩き始めた。はぁあ。徒歩で帰るのはだいぶキツい。


 ――さて、この貸家。

 この家のせいで伽羅奢の命に危険が及ぶ事になるのだが、それはまだ先のお話である。

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