第11話 理解と無理解

「キミの家の事情なら私もある程度知っている。毎日外まで母親の罵声が響いていたからな」


 伽羅奢がアリサちゃんに微笑みかける。


「『何々ちゃんはもっと出来る』『誰々君はもっと凄い』『なんでそんな事も出来ないの』『友達を見習いなさい』……この母親は、そんな言葉でキミを教育しようとしていた。あの様子じゃあ、授業参観なんて地獄だろう。比較、比較、比較。何を言われるか判ったもんじゃない。逃げたくなって当然だ」


 伽羅奢がらしゃに指摘され、アリサちゃんはついに目に涙を浮かべ始めた。頬から静かに落ちる涙を見て、母親が激高する。


「ちょっと、ふざけたこと言わないで! 勝手なことばかり言って、娘を泣かせて! ふざけるんじゃないわよ! いい加減にしなさいよ、この、ブス! だまれ! クソガキ!」

「違うよママ!」


 怒鳴り散らす母親に反論したのは、アリサちゃんだった。


「もうやめてよママ! お姉さんが言ったこと、間違ってない! 判ってくれるんだって思って、嬉しかったから泣いてるんだもん! もうこの人たちの事を悪く言わないで。家出したの。私が、自分の意志で家出したの! この人たちは悪くない!」


 アリサちゃんの言葉に、瞬間的に母親の右手が上がる。その手を、おじさんがすかさず静止した。今にも殴りそうだった母親は、必死に怒りを抑えながら「馬鹿なこと言わないで」と捻り出した。


「アリサ、家出じゃないでしょう? あなたがそんな恥さらしな事をするわけがないわ。コイツらに言わされてるだけよね? 正直に言いなさい、誘拐されたって。アリサ、これ以上ママを馬鹿にしないで」

「……っ!」


 母親はアリサちゃんの言葉をまったく信じない。アリサちゃんは顔を歪め、縮こまった。


「馬鹿にしているのはどっちだ」


 伽羅奢が母親の前に進み出る。


「さっきから貴女はなんなんだ? なぜ娘の話を信じない? なぜ娘を無視して我々を責めるのだ。そもそも貴女は、娘が心配ではないのか?」

「はあ? 娘が心配だからアンタたちを責めてるんでしょう!」


 伽羅奢がハッと鼻で笑う。


「貴女の態度のどこが心配していると言うのかね? 数日ぶりに会った娘だろう? 心配ならまず、怪我をしていないか、元気なのか、真っ先に確認するものではないのか?」

「……はあ?」

「さっきから見ているが、貴女は娘の話を聞かないどころか、娘に一切寄り付きもしないな。そんな態度で娘の何を心配しているというのかね? 心配なのは世間体だけだろう?」


 世間体、という単語が出たとたん、母親はグッと息を飲んだ。


「し、心配……してるじゃない。私。だって……」

「ほう、そうだったか? 恥さらし、誘拐、そんな事ばかり気にしているように見えるが」

「そ、そんなこと、ないわよ。私はアリサを心配して」

「もしアリサちゃんが心配なら、お腹が空いていないか、体調はどうか、気になるものではないのか? そんな当たり前の質問すらしていなかったようだが、違うか?」

「そ、それは……」 


 少しして、母親がようやく恐る恐るアリサちゃんに目を向けた。


「ア、アリサ。その、大丈夫? 元気? どこか悪いところは……しょ、食事は? この四日間、どうしてたの?」


 少しずつ娘に近づいていく母親。アリサちゃんは視線だけで、クローゼットの中に置かれた食糧を指し示した。


「あ、ああ、良かったわ。ちゃんと食べてたのね。良かった」


 一歩、また一歩。母親はアリサちゃんに近づいていく。それに対しアリサちゃんは、黙って立ち尽くしたままだった。近づくことも遠ざかることもしない。


「アリサ、あの、ごめんなさいね。そうね。まず体調を気遣えないようじゃ、私も母親失格ね。恥ずかしいわ。ご近所さんに笑われちゃう」


 母親は謝ったけれど、アリサちゃんの表情は依然として晴れない。

 困惑した母親が「アリサ」と声をかけながら手を伸ばす。けれどアリサちゃんは、黙って顔をそらしてしまった。


「あなたは馬鹿か」


 見かねた伽羅奢が口を挟む。


「アリサちゃんが何故家出したのか、まだ判っていないようだな」

「な、なによ……」


 母親は伽羅奢に対して反論したい様子だが、言葉が続かない。この状況でもなにも言わないアリサちゃんの代わりに、伽羅奢が母親を見据えて言う。


「彼女はなぜ『家出』という手段をとったと思う? 彼女の望みはなんだと思うのかね?」

「……え?」

「授業参観を拒否するだけなら、その日だけ欠席すれば良いではないか。だが、この子はそんな簡単な方法を取らず、何日もかけて家出した。何故だと思う? その行為で、彼女は貴女に何を訴えていると思う?」


 幼い少女が何日も一人で生活するのは簡単な事ではない。


 怒られるかもしれない。

 上手くいかないかもしれない。

 心細くて、不安で、怖かっただろう。


 そうまでして姿を消したのは何故だろう。

 訴えたかった物は、なんだろう。

 そうまでして手に入れたかったもの。それは……。


 俺の視界の先では、アリサちゃんが母親をじっと見つめている。 

 伽羅奢は彼女の想いを汲んで言った。


「母親失格? 恥ずかしい? ご近所さんに笑われる? 貴女はまだ他人からの評価ばかり気にしているようだが、そんなものをアリサちゃんが望んでいると思うのかね?」

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