第10話 家出です

 母親がキッと伽羅奢を睨みつける。


「娘を見つけて通報してくれた事には感謝するわ。でも、家出? ふざけないで。うちの娘がそんな事するわけないでしょう!」


 通報?

 伽羅奢のやつ、人に「脅迫」させている間に通報なんてしていたのか。「やる事がある」って、それかよ。思わぬ出来事に俺は絶句する。いや、待てよ? 伽羅奢のやつ、本当に俺を犯人に仕立て上げるつもりだったのではないか。朝の「盗撮」といい今の「脅迫」といい、悪意があるのではと冷や汗がでる。

 当の伽羅奢は冷めた顔をしたまま、バケモノのような母親と対峙していた。


「ふざけているのは貴女だろう。なぜこうもかたくなに娘の行動を認めないのか、理解に苦しむ」

「ちょっと! うちの娘はそんな事しないって何度言ったらわかるのよ!」

「まあまあ、まあまあ」


 今にも伽羅奢に掴みかかりそうになる母親を、警察官のおじさんが体を張って食い止めた。熱くなっている母親はもちろん、伽羅奢も火に油を注ぐような事を続ける。


「この状況、どう見ても拉致も監禁もされていないではないか。それもわからないとは、貴女の目はフシアナか? 彼女は自らの意志でここにいるのだ。他人を責めるのはお門違いだろう」

「はあ? わかった、アンタも共犯なんでしょう! 自分が誘拐犯だからってそんな事を言うのね! ちょっと刑事さん、早くこの人たち捕まえて! この二人! 誘拐犯なんだから捕まえてよ!」


 母親は何を言われても自分の意見を曲げなかった。見かねたおじさんが、アリサちゃんをのぞき込みながら問いかける。


「お母さんはこう言っているが、アリサちゃん、きみはこの人たちに誘拐されたのかな?」


 問われたアリサちゃんが震え始める。


「言いなさい、アリサ! 正直に! こいつらに誘拐されたって!」


 母親に催促され、アリサちゃんが俺を見上げた。まるで「助けて」と言っているみたいに。


「ほら、アリサ! はやく!」

「あっ、えっと……」


 母親がせかすと、アリサちゃんは焦って何か発言しようとし始める。でも、まともな言葉は何も出て来ない。そんな姿がすごく痛々しい。

 思った事を言葉に出来ず、大人に囲まれて立ち尽くす。そんなアリサちゃんは孤独だ。何も言えず、何も解決せず、ただ、この場が丸くおさまる事だけを求められている。


 なんか、酷くね?


 誘拐とか、家出とか、そんなどうでも良い事ばかりで、そもそもこうなった理由については一切聞かれない。ここに居る大人は、誰もアリサちゃんを見ていなかった。アリサちゃんを見ているフリをして、表面的な「事件」にしか興味を示していない。大人はアリサちゃんの身に起こった内面的な問題を何も改善させることなく、表面的な解決をもって全てを終わらせようとしている。

 本当にそれで良いのか? 

 このまま彼女の家出が終わってしまって、本当に良いのだろうか。


「あのさ、アリサちゃん。本当の事、思ってる事、正直に言った方がいい。と、俺は思うよ。せっかくここまで、立ち向かったんだから」


 家出って、楽じゃないよな。でも、それをここまで実行した彼女には、そうまでしなきゃならなかった理由があるはずだ。せめてそのくらい、ちゃんと言っても良いんじゃないだろうか。

 俺はアリサちゃんに向かって握りこぶしを作る。


「せっかく、戦ったんだからさ」


 視界の端で伽羅奢が怪訝な顔をした。伽羅奢から見れば余計な事なのかもしれない。だけど俺はなんとかしたいと思った。

 母親がフンッとドヤ顔をする。


「ほら見なさい! 犯人もこう言ってるんだから、正直に誘拐されたって言うのよ! ほら、お巡りさんもちゃんとメモして頂戴! いつどこでどうやって誘拐されたのか、はっきり言ってやるのよ!」


 なぜか勝ち誇った顔をした母親が啖呵を切っている。警察官に寄り添われたアリサちゃんは、思い詰めた様子でうつむいた。悩んで、悩んで、小さな声でポツリと言う。


「授業参観」


 みんなの視線がアリサちゃんに集まる。


「授業参観が嫌だった」


 苦しそうに絞り出して、アリサちゃんはまた黙る。


「はあ? なんで今授業参観の話になるのよ。関係ない話はよして。誘拐についてでしょう? ちゃんと話しなさいアリサ!」


 母親が鬼の形相でアリサちゃんを怒鳴りつけようとして、おじさんがまた体を張って盾になった。母親は警察相手にも「どきなさいよ!」「邪魔しないで!」と叫び続けている。委縮するアリサちゃんを見ていると、むしろ母親が加害者に見えてくる。


「いい加減にしたらどうだ」


 母親の罵声を切り裂くように、伽羅奢のよく通る声が響いた。


「そういうところだろう、家出したくなる原因は」


 伽羅奢が母親を睨みつける。母親も負けじと伽羅奢を怒鳴りつけた。


「何が家出よ! そんな恥ずかしい事、私の娘がするわけないじゃない! ああ、誘拐をごまかそうってわけ? 馬鹿じゃないの? アリサが証言したら、アンタたちなんかすぐに捕まるんだから! 大きな顔をしていられるのも今のうちよ!」


 はあ、と伽羅奢が大きく息を吐く。大騒ぎする母親をまるっと無視して、伽羅奢はアリサちゃんに顔を向けた。


「娘を見ない、話も聞かない、理解しようともしない。家出の理由は母親のこの態度だろう?」

「……!」


 伽羅奢が優しく声をかける。

 アリサちゃんは伽羅奢と母親を交互に見比べ、コクリとうなずいた。母親が更に大声でわめき始めたのを横目に、伽羅奢はまたアリサちゃんに問いかける。


「授業参観。それは、今日だな? キミの家の前、『地域の立て看板』に学校の行事予定が貼りだされていた。最低でも今日の夕方まではここに隠れているつもりだった。違うかい?」


 アリサちゃんがまた頷く。伽羅奢もまた物知り顔で頷いた。

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