第8話 侵入
玄関を開ける。
漂ってきた生暖かく湿った空気は、他人の家の匂いがした。玄関に鍵をかけていないのはリフォーム業者の出入りの為らしい。盗られる物も何もないから、これで良いそうだ。
廊下右手側のドアが開いていたので覗いてみる。
広さ的にリビングだろうが家具は一切なく、代わりにブルーシートが広げられていた。その上には脚立や壁紙、接着剤と思われる道具が並べられている。
リフォーム工事は一階のみだと聞いた。という事はきっと、アリサちゃんは誰も足を踏み入れない二階に潜伏しているはず。
階段をそっとのぼり、三部屋あるドアを片っ端から開けてみる。が、どこにも人影はない。
いない。
いや、そんなわけはない。少なくとも数時間前には家に入っていく姿をこの目でしっかりと見ている。外へ出ていなければ、たぶん居る。
「……」
どこかに居る。
居るとしたら、どこだ?
部屋の中。隠れられそうな場所。
俺は、とある一室の前にたった。この部屋、なんか、匂いが違った。食べ物のような、体臭のような、変な臭いがこもっている。
俺はその香ばしい匂いが漂う一室に入ると、がらんとした部屋の奥まで進んで、クローゼットのドアを開けた。
「……あっ」
開いた扉の中から少女の声がした。
目が合う。クローゼットの中に、今朝、家から出てきたあの少女が座っている。
肩より少し長い黒髪に、薄い半袖のカットソー。膝が見えるくらいの長さのスカートを履いて、クローゼットの隅でうずくまっていた。
「うっ」
俺は思わず息を止めた。
缶詰の甘辛く香ばしい匂いと、ツンとするような汗の刺激臭が混じった香り。クローゼットの中はすごく臭い。俺は数歩後ずさって、小さく息をしてから問いかけた。
「きみ、アリサちゃんだよね?」
少女はビクッと肩を震わせ、黙ってこっちを見上げている。警戒する姿が、飼育小屋のうさぎみたい。
「ああ、ごめん。怖いよね。大丈夫、きみを捕まえに来たわけじゃないし、怒るわけでもないよ。ただ俺、この家の持ち主の友達でさ。人の気配があったから、様子を見て来いって言われて来たんだよね」
俺が話している間、少女の身体はずっと小刻みに震えていた。怒られるのが怖いのかもしれない。
なんだか見ているこっちも辛くなってきて、俺は彼女と同じ目線の高さになるようしゃがみこんだ。
「クローゼットの中、秘密基地みたいでいいね」
笑顔を向けてみたけれど、少女は困惑した様子で黙っている。うん、やっぱり怖いか。
「……って、それ、すごいね!」
俺はクローゼット内の様子に目を奪われた。というのも、クローゼットの半分が食料品で埋め尽くされていたのだ! 缶詰が十個以上、二リットルのペットボトルが三本、レトルトカレーやパックご飯が三個ずつ……。
「秘密基地っつーか、シェルターじゃん!」
この雰囲気、凄くわくわくする! 子どもの頃に夢見た、小さな大冒険が詰め込まれている気がした。
「ねえ、その食料どうしたの?」
「あっ、あ……、すみません、勝手に、持ち込みました」
「こんなに沢山?! 凄いね!」
「はい……あの、ごめんなさい。……勝手に持ち込んで、勝手に部屋に入っちゃって、……その、ごめんなさい」
少女が頭を下げる。それを見て、俺は思った。この子、たぶん良い子だ。平気で悪い事をするようなタイプではない。そんな雰囲気が仕草からにじみ出ている。
やっぱり、こんな子を脅迫なんて出来ないよ。
「うん、良いよ良いよ! ……って言いたいところだけどさ、実はそうもいかないんだよね。あのね、実は、このままだと俺の友達が誘拐犯だと思われちゃうんだ」
「えっ、あ、……ご、ごめんなさい」
「うん。でもさ、きみだって何か事情があってここに居るんでしょ? だから、少し話を聞かせてもらってもいい? 悪いようにはしないから。俺で良かったら力になるし」
俺の言葉に少女は少し戸惑っていたけれど、こくんと頷いた。
「えっと、きみ、アリサちゃんだよね。家出?」
「……はい。そうです」
やっぱり。誘拐事件ではない、という事実に、とりあえず安堵する。
「どうして家出しようと思ったの?」
そう尋ねた次の瞬間、ガチャンッ! と玄関のドアが勢いよく開く音がした。
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