第5話 スピーカーおばさんの話

 *


 不審者情報とはなんだろう。伽羅奢がらしゃは疑問に思った。

 職質された辺りは毎日頻繁に行き来しているが、不審者なんて見たことがない。となれば、警察が「不審者」と言っている人物はつまり……。


 嫌な予感しかしなかった。これは早急に状況を把握すべき案件である。伽羅奢はそう思った。

 そんな時こそ「スピーカーおばさん」の出番だ。


 スピーカーおばさんこと伽羅奢の隣人である秋山さんは、料理教室を主宰している四十代のご婦人である。お料理教室の人脈なのか、はたまた彼女の持って生まれた能力なのか、秋山さんには「スピーカー」という特殊能力があった。

 スピーカー。ご近所さんの情報を山のように仕入れ、それを決壊したダムのように放出する。この辺りの情報は彼女に聞けばすべてわかる、と言われるくらい、彼女はすさまじい情報伝達者(スピーカー)なのである。



 伽羅奢は職質を受けた翌日、つまり昨日の午前十時頃、アパート前を掃き掃除するふりをして秋山さんが出てくるのを待った。彼女がいつもこの時間に買い出しに出かける事くらい、管理人もどきのニートである伽羅奢は完ぺきに把握している。

 案の定、ガチャリと玄関の音がして、秋山さんが外に出てきた。


「あぁらガラシャちゃん、おはよう。お掃除? 悪いわねえ。あ、そうそう知ってる? 駅前の工事中だったパティスリーは来週金曜日オープンなんですって。今度差し入れするわね。ガラシャちゃん、フルーツは好き? チョコの方が良いかしら。そこのオーナーね、ここだけの話、お料理教室に」

「おはようございます。それはそうと秋山さんはご存じですか、不審者の話」


 話をぶった切ったにも関わらず、秋山さんは怒りもせず「不審者」という非日常的で魅惑的な言葉に目を輝かせた。


「えぇえ? 不審者? なになに、知らないわ! この辺り? 詳しく教えて頂戴!」

「いえ、私も詳しくは知りません」


 伽羅奢の返答に秋山さんはあからさまに落胆する。伽羅奢は言った。


「でも、なぁんだ。秋山さんでも知らない事ってあるんですね。ご近所の話に精通していると思っていたのに、意外です」

「まあ、失礼ね! いいわ、私が情報仕入れてきてあげる。待ってなさい!」


 秋山さんはそう言い残し、ツカツカと出かけて行った。

 それから二時間。

 昼になり、ようやく戻ってきた秋山さんが伽羅奢の部屋のインターホンを連打する。


「大変よガラシャちゃん!」


 室内に招き入れる前に、秋山さんはせきを切ったように話し出した。


 *


 ――話を聞いていた俺は首をひねる。

 こんなに散らかりまくった部屋、招き入れたところで落ち着いて話なんて出来ないだろう。心の中でそうツッコミながら伽羅奢をチラリと確認する。

 彼女はスマホゲームのデイリーミッションをこなしながら話を続けていた――。


 *


「あのねガラシャちゃん。不審者っていうか、ここだけの話、誘拐事件があったみたいよ!」

「誘拐事件?」

「そうなの。三丁目の滝沢さんって知ってる? そこの家のアリサちゃんね、誘拐されたらしいわよ、ここだけの話」

「アリサちゃん」

「そう。ここだけの話、三日前の夕方に学校を出てから行方不明なんですって!」


 秋山さんは嬉々として「ここだけの話」を連呼する。伽羅奢は問いかけた。


「そのアリサちゃんとやらはいくつです? ただの家出では?」

「まあね、小六って話だから、家出も無くはないかもしれないけど、ここだけの話、お金もスマホも着替えも何も持ち出していないらしのよ。そんな状態で家出なんて出来ると思う? もう三日も帰ってきてないのよ?」


 手ぶらで三日間。


「なるほど。協力者がいなければ難しいですね。SNS等で知り合った協力者がいて、という線も、スマホを置いていった時点で消える、と」

「そうなのよ! だから誘拐じゃないかって。ここだけの話、警察はもう犯人の目星をつけているらしいわよ」


 秋山さんが真偽不明の情報をニヤリと笑って話す。それが事実なら、警察というものはずいぶん簡単に情報漏洩するようだ。

 秋山さんが続ける。


「ここだけの話ね、最近出るのよ、不審者。スマホを片手にウロウロして、急に立ち止まったり、いなくなったり。もう一か月くらい滝沢さんちの前を不審者がウロチョロしていたらしいわよ。物騒よねえ」

「滝沢さんちの前」

「そう。ほら、ガラシャちゃんわかる? 地域の立て看板があるところ。近くにお地蔵さんがある、あそこよ。そこに不審者が毎日何度も現れて、スマホをいじっては居なくなり……ってのを繰り返していたらしいわよ」


 その不審者の行動に、伽羅奢は覚えがあった。


「……へえ」


 そう。その行動をとったのは紛れもなく、スマホゲームに興じていた伽羅奢だったのだ。


 *

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