29:三

「おい」


 ただでさえ血色の悪かった陽景ひかげの肌色は急速に青白くなっていく。清野ちゃんを地面に優しく寝かせてから駆け寄ったけれど、陽景はうんともすんとも言わない。さっきまでうぞうぞと内側が動いていた瞳に光は今はなく濁ったガラス玉みたいな瞳が俺とマダラを映している。

 人の死体が三つ目の前に並んでいる。そして、髪の毛に包まれた円筒状の塊。

 スマホをもう一度取りだしてみるけれど、真っ黒な画面はなんの変化もない。画面に反射しているのはすっかりとやつれた自分の表情だった。


「マダラ」


 どうすればいいのかわからず、救いを求めたくて近くに立っているマダラを見上げて名を呼んだ。


「少なくとも、一人は無事みてえだな」


 平気な顔をしているマダラがそんな呑気なことをいう。思わずカッと頭が熱くなって、こいつの胸ぐらを掴んでやろうと思ったが、円筒状の塊が光った気がして動きを止めた。

 最初はスマホか何かが入っていてそれが光っているんだと思った。だが、光は徐々に強くなってきて、スマホやライトの類いじゃないらしいと気が付く。何が起きているのかわからないまま、強くなっている眩しさに目を閉じた。


「ひっひっひ……よく自力で戻ってこられたな」


 マダラの言葉を聞いても、なんのことかわからなかった。

 目を開くと、光を失った黒い塊に割れ目が出来ていた。縦に走っている割れ目からまず手が出てきて、ベリベリと広げられていく。


「人が?」


 黒い塊の中から上半身を起こして出てきたのは、いなくなったはずの猶村なおむらだった。

 さっきまで円筒状の塊を包んでいた黒髪は、灰色に褪せて灰のようにボロボロと辺りに散らばっている。


「……なんとか戻って来れたが」


 猶村の白いツルッとした肌は、黒っぽくて粘ついた液体に塗れている。起き上がった猶村は、腕で顔を拭うとゆっくりと立ち上がった。和服の羽織に似ている白い上着は、すっかり汚れてしまっている。

 たっぷりと服も水を含んでいるらしい。ずしゃりと湿った音を立てながら外に踏み出した猶村と一緒に、太さが人の足くらいはありそうな黒い大蛇が這い出てきた。

 金色の首輪をしているかと思ったけれど、それは首元の鱗の色が金に輝いているだけだった。

 蛇は猶村の足下に絡みつき、するすると登っていくとマフラーかなにかみたいに首に巻き付く。それから、辺りを見回してから大きな口を開いて空気を漏らすような音を出した。


「さて、これからが本番らしい」


 威嚇音をあげる蛇の視線の先を見ながら、マダラはそう言った。

 猶村も険しい顔をしてそちらを見つめているので、少し遅れて俺もそっちに目線を送る。

 視線の先には、最初に出来た死体がある。

 眠っているような清野ちゃんと、その場で急に倒れた陽景とちがって、一番損壊が激しいからなるべくなら見たくない。


「……こっちは手遅れみたいだな」


 諦めたような猶村の声が聞こえる。それと同時に、ぐちゃぐちゃの死体の背中部分が大きく盛り上がりはじめた。

 仕立ての良いスーツがばりばりと裂け、大きく盛り上がった肉が四足歩行の獣に変わっていく。


「なんだよこれ」


「流石にお前でも見えるのか」


 マダラはからかうようにそういったけれど、目は全然笑っていない。

 死体の背中から出てきた肉色をした獣が、天を向いて低く雷のような音で鳴いた。頭の天辺から首元にかけて生えている鬣はぐるぐると渦を巻いているようだった。神社にいる狛犬に似ているような気もするけれど、ライオンにも似ている。


「獅子? なんでそんなものが出てくる?」


 地鳴りのように唸りながら、獅子と呼ばれた生き物が大きな前肢を一歩こちらへ踏み出した。

 猶村の首に巻き付いていた黒い蛇が素早く地面に下り、俺たちと獅子の間に立ちはだかって懸命に威嚇をしている。


「ひっひっひ……あんたは何が出てくると思ってたんだ?」


「アリジゴク……あれは幼体の名前だ。アリジゴクは蛹になり、羽化すればウスバカゲロウになる」


「それで、出した答えが極楽トンボ……か」


「だから、獅子が……唐獅子なんてものが出てくるわけなんてないんだ」


「獅子に牡丹」


 慌てた様子で話す猶村に対して、マダラは腕組みをしながらそう呟いて獅子を見上げる。

 それからボソッと「獣と相性が悪いってのはそういうことか」と唇の片側を持ち上げて呟いた。

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