羽化

宇田川 樹

28:贄

 全く意味がわからなかった。すぐに後ろにいたはずの塩顔イケメンが消えて、どこを探しても見つからない。


「呑まれたか? 参ったな……」


 マダラのヘラヘラした表情が崩れてないからまだ救いがあるのかもしれない。でも、知り合ったばかりとはいえ、一緒に行動をしている相手が急に消えたんだから心配にはなる。


「神隠しってやつ?」


「……! そう、それだ」


 適当な事を言って少し場を和ませようとしたら、目を大きく見開いたマダラが少し意外そうな表情を浮かべ、少し間を空けてから大きな声を出した。

 狭い通路が少し開けた。空き地みたいだ。マダラはそこで立ち止まって辺りを見回した。

 これだけ雑居ビルが建ち並ぶ場所にある空き地は、どこか不気味だし、それを裏付けるみたいに隅っこに小さな祠がある。


「まぁ、オレたちが飲み込まれてねぇ理由は察しが付く」


 そう言いながら右側の服の袖を捲り上げるマダラの腕には、毒々しいくらい真っ赤な彼岸花が幾つも咲いていた。動いているときにチラチラと赤い絵が見えていたので墨を入れているのだろうなとは察していたが……ここまでがっつり入れてるのか。

 すぐに袖を戻したマダラは、にやけた面のまま俺の右胸を指差した。

 ついさっき、コウに描いて貰ったボディーペイントは牡丹。清野ちゃんが入れた墨のデザインを流用したものだった。


「入墨の有無ってことか? それとも、花?」


「一か八かで試してみるもんだな。まあ、まだ確証は持てねぇが」


 俺とマダラにあって、猶村なおむらにないものは入墨くらいしか思い浮かばない。 

 マダラは首を縦に振って頷くと、スッと視線を俺の頭上へ向けた。俺も吊られてマダラが見ている方向を見るために身体ごと後ろを振り向いた。

 そのあとすぐに、後ろを振り返るんじゃなかったと後悔する。

 雑居ビルの屋上から投げ捨てられたかのように自由落下してくるそれは、背の硬くてしっかりと筋肉のついた初老の男性だった。


「は」


 声を一言発する間に、落下してきたそれは地面にぶつかって、何か太い生木が折れたような音と共に赤やらピンクやらの身体をぶちまけた。

 何が起こったか分かる前に、反射で腹の中の物がせりあがってくる。生臭くて鉄臭い。

 その場に膝を着いて嘔吐をしたあとに、ようやく目の前で人が死んだんだとわかる。

 その場で尻餅を着いて、目と鼻の先にある死体から距離を空けようと後ずさる。


「ああ、君たちは招待されなかったのか」


 聞き覚えのある優しげな声だった。

 どこから現れたのかわからないが、死体と俺の間に男がいる。

 長い髪で真っ白な肌をした目がぎょろぎょろしている男……清野 陽景ひかげだ。

 陽景は、死体の方を振り向いてまるで愛おしいものを撫でるみたいにデカい体の比較的無事な部分に触れる。


「それが獅子、かい?」


 人の死体が目の前にあるっていうのに、マダラはいつもと変わらない調子でそういうと、死体の背中を指差した。

 なんのことなのか全然わからない。獅子? 知り合いかなんかなのか?


「さあ、なんのことだか」


 陽景は海外ドラマでよく見るような首を竦める動作をして、クスクスと笑う。死体があるんだぞ。どう考えても笑ってる状況じゃないのに。

 スマホを取りだして通報をしようとする。でもスマホはすぐに電源が切れてうごかなくなった。


「ああ、あと妹の彼氏くんにプレゼントだよ。これはもういらないものだから」


 ドサリと音がして、俺の目の前に蝋人形のようなものが転がる。

 真っ黒の癖っ毛がまず目に入る。それから光のない大きな垂れ目気味の瞳。小さな花と普段は桜色の少し肉厚な唇。すらりとした細い首に、デコルテからずっと広がっている酷いケロイド状になった火傷たち。赤みの差した肌に綺麗に咲いていた牡丹の花は、なんだか色褪せて見える。


「あ……清野ちゃん……」


 慌てて清野ちゃんに抱きつくけれど、彼女の身体に熱はない。ただ光のない虚ろな瞳に俺の姿が虚しく映っている。

 牡丹の花に指を這わせて、彼女の火傷の痕を撫でる。たった一回肌を重ねただけなのに、彼女の身体がもう二度と熱を帯びないことがどうしようもなく悲しい。

 彼女の亡骸を抱きしめて、胸に顔を埋める。もう柔らかさも温かさも聞こえない。鼓動も感じない。


芽依めいはもう羽化する。だから抜殻は必要ない」


「どういうことだよ」


 清野ちゃんを抱きしめながら、俺はふざけたことを言っている陽景を見上げた。

 ぎょろぎょろと動いている目が俺を捉える。瞳孔をよく見てみると大量の黒い虫が動き回っているみたいだ。ずっと見ていると気持ち悪くなりそうで目を逸らす。


「呪物は成った。最後の贄の中に僕たちはいる」


 両手を広げた陽景が笑いながら身体を仰け反らせる。

 確か、こいつ……口の中に大きな虫を飼ってる……。結羽亜ゆうあのマンションで会ったときのことを思いだした。それから、その虫が清野ちゃんの腕に彫られていた虫に似ていたことを思い出して、視線を下へ向ける。


「ない」


 清野ちゃんの腕にいたはずのアリジゴクがいない。

 驚いてマダラの方を見ると、マダラは目を細めながら「よく気付いたじゃねーか」と口の片側を持ち上げてニヤリと笑う。


「さあて、あとは、あのお坊ちゃんが自力で出てこれるといいんだが」


 腕組みをしたままのマダラは、そう言いながら高笑いをして長い髪を別の生き物みたいに動かしている陽景の方を見た。

 グルグルに簀巻きにされた大きな塊は、まるで何かの蛹みたいだ。


「芽依の彼氏くんと、けだもの、君たちは贄ではない。語り部として僕たちの降臨をしっかりと見ていてくれ」


 髪の毛の塊を地面の上に下ろした陽景は、そう言った途端に糸が切れた操り人形のように地面に崩れ落ちた。

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