23:代

 過去のことを話すと、マダラといううさんくさいが美しい男が「へぇ」と一言だけ漏らす。

 清野の娘と親しいらしい宇田川とマダラに呼ばれていた男は、こういう系統の話題に疎いらしい。首を傾げながら呆けた顔をして話を聞いていた。


「師匠は、頻繁に清野家に足を運んでいた。術を掛け直したり、清野の娘をうちで引き取れないか交渉をしていたらしいが」


「……なんで清野ちゃんの父親は、清野ちゃんを渡さなかったんだ? だって……清野ちゃんは」


 意外なことに疑問を呈してきたのは、宇田川だった。


「詳しく聞いたわけじゃ無いけどさ、清野ちゃんの身体には根性焼きの痕がびっしりあったんだ。アレは、多分だけど清野ちゃんの父親がやったんだと思う」


「まあ、碌な扱いをされていなかったのは、あの座敷牢じみた部屋を見ればわかるが……」


 宇田川の話を聞いて、改めて思い出す。

 清野の娘が追いやられていた暗くジメジメとした部屋を。埃と黴の臭いだけではない。糞尿や血痕……膿の臭いまで漂っているあの部屋に人間が押し込まれていたなどと考えるだけでもおぞましかった。

 現代日本ならば、犯罪者の方がまだマシな暮しをしているだろう。

 そうか、火傷……と部屋の臭いを思い出して納得してしまう。しかし、清野の父親が娘を虐げる理由に思い当たる節はない。


「神への贄……と兄貴の方は言っていたな。神とは、なんのことだ?」


「清野の娘のことだろう……と思う。息子と娘、そして母の中にそれぞれ封じられていた虫が入りこんだことは話しただろう?」


「アリジゴク」


 俺とマダラが話している時に、宇田川は急に虫の名前を口にした。


「清野ちゃんが言ってた。アリジゴクって……」


「ああ、師匠もよく言っていたな」


 与太話や雑談の類いだと思っていた記憶を思い起こす。そういえば、師匠は度々損なことを言っていた。

 アリジゴクを英語でなんて言うか知っているか? とかなんとかを清野の家から帰る度に俺に聞いてきた。俺はなんと答えて、師匠はどんな顔をしていたのだろう。


「アリジゴクは、一生の間でほとんどの時間を幼虫として巣の底で過ごす……か」


 巣の底。それは、あの娘がおかれていた環境の比喩としてはしっくり来すぎる表現だった。

 あの一家に巣くっているのはアリジゴクの妖怪あやかしということだろうか。


「しかし、父親が娘を虐げていた理由はわからんままだぞ」


「贄」


 マダラのカラコンを入れたような鮮やかな黄色い瞳が妖しく光ったような気がした。

 妖怪あやかしのような気配を発する妙な人間だが、化けている様子はない。どんなに上手く化けていても、獣臭さは消せないはずだが、こいつからは獣の臭いがしてこない。しかし、今はどうでもいい。同業者でもあるこいつの推理が気になる。


「適当な霊能師もどきが、贄を捧げれば息子と母親は元に戻るとか言ったんじゃねぇかな」


「……そんなことをしてなんのメリットがある? 封じられていた妖怪あやかしが解き放たれる危険だってあるんだぞ?」


「そりゃあ! なんも知らねえから適当なことを言ってるに決まってんだろ! あいつらには妖怪あやかしも何も見えてねぇからさぁ」


 マダラがニタリと大きな口を開くと、鋭い牙のような犬歯がよく見える。

 心の底から楽しそうにそう言ったマダラは、身体を仰け反らせ白い喉を見せながら再び笑った。


「いいねえ。由緒正しいお家の坊ちゃんには、愚かな人間の愚かな嘘はわからねえもんな」


「……不合理だ。同業者たちが黙ってはいないだろう」


「ひっひっひ……オレたち側と、そうじゃない詐欺師の区別なんざあいつらにはつかねえよ」


 馬鹿にされていると思って反論するが、マダラは態度を改めない。そして、続けられた言葉に、確かに俺は反論が出来ない。

 どんなに言葉を重ねても、どんなに注意しろと言っても愚かな人間は忠告を守らないし、都合の良い相手の言葉に耳を貸す。

 真実を話せと行っても、あいつらは真実を隠して都合の良い作り話を伝えてくることだって少なくない。


「……」


「まあ、お互いに苦労してるよなってことだ。あんたをバカにするつもりはねぇよ」


 睨み付けることしか出来ない俺を見て、マダラは目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら思ってもいないような言葉を吐く。こいつの力は確かだと思うが、こいつの言葉は全てが嘘くさい。

 美しい見た目、心地の良い声、人懐っこい笑顔、芝居じみた大袈裟だが洗練された所作……全てが作りもののようで嘘っぽい。


「こっちがあんたに渡せる情報は多くない。清野って娘は虐げられていた、傷痕を隠すために入墨を入れた、宇田川を守る為によくわからん呪いを使った……ってくらいだ」


 そう言いながらマダラはこちらに小さな缶の箱を投げて寄越した。微かだが呪いの気配がする。

 箱を開けてみると黒く変色した虫の死骸が幾つも詰め込まれていた。


「あ、あの」


 おずおずと割り込んできた宇田川へ視線を向けると、おもむろに服を脱ぎだした。


「あと、関係あるかわからないだけどさ、ここ」


 少しギョッとしたが、左胸に彫られている蝶のタトゥーの美しさに目を奪われる。黒で縁取られた翅脈しみゃくは、黒を入れる時にありがちな深く掘りすぎて大きく盛り上がっていることなく滑らかで、きらめくような青い色も肌に彫られているとは思えないほど見事なグラデーションが描かれている。

 少し遅れて、宇田川が指で示している肩を見た。


「痛くはないんだけど、黒く変色してるのが怖いから、病院に行こうかなって思って……」


 人間の歯形がくっきりと残っている肩は、歯形の周辺が黒く変色している。服を脱ぐ前には感じなかったが、今は強い妖怪あやかしの気配が部屋中に満ちている。嫌な目印の付け方だ。


「そういうことは早く言えってぇ」


 マダラも知らなかったらしい。宇田川の肩に手を置いてから、項垂れて大きな溜め息を吐いている。


「ここは安全だと思っていたが、さっさと場所を移そうか」


「応急措置なら出来る。俺はそういうのが本業だ」


 宇田川に服を着るように促して、外へ出ようとしたマダラを止めた。どこかへ行くにしてもこんなに強い妖怪あやかしの気配を発する傷があるままでは、別の厄介事も引き起こしてしまいかねない。

 懐から一枚の和紙を取りだした。人の姿をしているそれを見て、何か察したのかマダラがニヤリと口元に笑みを浮かべている。


「うわ……なんかきもいかんしょくがする!」


 宇田川の傷痕に人型の和紙を当てると、紙はどんどん黒ずんでいった。その代り、宇田川の皮膚からは黒みが引いていく。


「これをここに置いていくぞ」


 黒ずんだ紙と、まっさらな人型の紙をテーブルの上に置きながらマダラを見ると、マダラやヘラヘラした笑顔を浮かべたまま右手をこちらに差し出してきた。


「ここの事務所がめちゃくちゃになると困るんだよなぁ。何かくれねぇか? その紙を数枚でいいからさ」


 確かに、この事務所にあの紙を置いておけば気配に釣られた清野兄や、それに釣られて来た魑魅魍魎がこの場所をめちゃくちゃに荒らすだろう。

 言わないでやり過ごそうとしたが、そうはいかないらしい。


「……わかったよ」


 仕方なく予備で保っていた人型の紙を三枚ほどマダラへ渡した。妖怪あやかしに対して人がいると錯覚させる程度にしか使えない物だ。悪用はされないだろう。


「ひっひっひ。んじゃあ、行こうか」


 服を着た宇田川と一緒に俺たちは日が暮れかけている中、事務所を出た。

 どこへ向かうか聞きそびれたまま、俺は先を歩くマダラと宇田川の背を追った。

 

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