蛹
猶村 暁崇
22:過
「大変なんです……石塔が倒れて……」
施錠をしていないのはいつものことだが、その日は様子が違った。どたどたと激しい足音と共に社内で働いていた数人が駆け込んできたのだった。
どうやら社にある封印の石で遊んでいた子供がいて、それを窘めようとした親が石の塔を崩してしまったらしい。
「どうしたんだい? けが人でも出たのなら私の所へ来るよりも救急車を呼ぶ方が」
「子供が二人、意識不明です……それに石を崩した母親も」
初めてのことだった。
江戸時代よりももっともっと昔、強大な妖怪が暴れていて、それを封じたのが社の石の塔と聞かされている。
それは、長い年月をかけて強大な呪いの力を削り、神格を削り、もうすぐなんでもない慰霊塔になるはずだった。各所にある虫塚のように。
社の責任者である
意識を失ったのは三人。石が積まれていた場所で遊んでいた子供が男女一人づつ、そしてそれを止めようとして石塔を崩してしまった母親だ。
「打ち所が悪かったなどでは、なく」
遼一は、唯一意識を保っている父親に配慮しながらそう言葉にした。
それもそのはずだ。社で石塔が崩されることはたまにある。積み上げられている石の大きさから物理的なケガをしたということは、度々あった。それに、多少そういうものに引きずられやすい性質のものが具合が悪くなるということもあった。
しかし、三人も意識を失うことなど今までなかったからだ。
「ししょう……」
「少し大切な話をするから、お前は席を外しなさい」
いつも柔和な笑みを浮かべていた師匠は、今まで見たことも無いようなくらい真剣な表情で床に寝かされている三人を見てから、まだ幼かった俺にそう言った。
当時の俺は、それがどれだけ大変なことかわからないまま、とにかくその場から離れたので、清野の父親と師匠である遼一がどんな話をしたのかは知らない。
翌朝まで師匠は社に籠もりっきりで護摩を焚き、祝詞を唱えてなんとか意識をうしなったうちの一人の目を覚ますことには成功した。
「こうりんれつざうやまってまをす」
目を覚ました娘は、師匠が唱えていた言葉を覚えたのか、当時の俺にはよく分からない言葉を放っていた。
二、三日もすると年相応の幼い語彙で「おとうさんはどこ」とか「おにいちゃんは大丈夫かな」なんて人間みたいな事を言っていたが、俺にはそれが人の言葉を覚え始めた
一週間ほど、清野一家は社の中で暮らしていた。といっても長女は好き放題遊んでいて、父親はまだ目が覚めない二人の側から離れようとしなかったが。
七日目にようやく母親と兄が目を覚ましたが、それは酷いものだった。
呪いに魂を喰われちまった状態で、とてもじゃないけどまともに暮らせる状態ではなかった。
母親の方はひたすら呪いの言葉を繰り返し、兄の方はぼーっとしていて時折苦しむように喚き出す。
「これから先、二人が正気を取り戻すことはないでしょう」
師匠がそう言っていたのを思い出す。
父親の方は、それでもいいと頑なな姿勢を崩さずに家に帰ると言って聞かなかった。
だから、師匠は清野の長男と母親に対してせめて人の生活が送れるようにと排泄と食事をするように呪をかけた。
それは、数年に一度掛け直さなければ、悪霊などに取り憑かれる可能性がある危険な物だったが、清野の父に根負けて師匠が施した物だ。
そして、長女はと無事なのかというと、そういうわけでもない。
よっぽど相性がよかったのか、石塔に封じていたはずの
「娘さんの中には、呪いが巣くっています。このままこの地にいてもらうか、私が娘さんの中に居る
「ここに娘を残していくわけには……」
その時の清野の父親は、確かに情に厚い良い親だったように思う。
だから、その言葉を信じて師匠は年に数回、清野の娘に会いにわざわざ地元からこっちまで来ていたらしいが……。
それも十年前で途絶えてしまった。清野の父が妙な新興宗教にのめり込み、師匠の来訪を拒んだんだ。
師匠はそれから死ぬまでずっと、清野一家の行方を捜していた。あの封印が解けるのはマズいとずっと後悔していたんだろう。
「清野の娘さんにはできる限りのことはしたんだけどね……名を与え、矮小な存在だと思い込ませ、力を削ぎ……だけど、どこまで保つのか」
事故で深手を負った師匠は死ぬその直前まで清野の一家を心配していたんだ。
それがどうだ。
いきなり連絡をしてきたと思えば、それきり音信不通だ。家の住所がわかったから訪ねてみれば、誰もいない。それどころか空っぽの蛹が地下に放置されている。
アレがなんなのか俺には見当も付かない。
おかしな新興宗教のおかげで、削いだ力が戻っているのかもしれないからな。俺が知っているのはそんなところだ。
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