16:暁
清野の兄がこっちにも来ると思ったが、夜は平穏無事に過ぎていった。目を覚まして適当に着替えてから電車に乗る。
宇田川は無事に生きているだろうか。
行きがけに情報を整理することにした。
まず、おそらくこの騒動の元凶である女、
年齢は二十五歳。両親とは不仲らしい。時々、一日から三日ほど急に休むことはあるが、基本的に勤務態度はまじめで性格は内向的。働き始めてから半年程度だということは喫茶店店長から聞き出すことも出来た。実家住まいで、家は勤務地から遠くない。自転車などは使わずに徒歩でバイト先まで来ているらしい。家のだいたいの位置もそれとなく聞き出した。
家族構成は両親と兄が一人。先日、宇田川のセフレちゃん宅で会ったのは兄本人で間違いないだろう。
そして、宇田川のことも調べさせて貰った。
清野も宇田川も、特に目立って人の恨みを買うような人間には見えなかった。宇田川の場合は、まあ清野とそれなりに深い仲だったらしいので目を付けられるのは仕方が無いのかもしれない。
「とりあえず、オレが考えても仕方ねぇか。考えるのは静の仕事ってな」
呪いの形は見えてこない。だが、清野の兄がオレを「
蟻地獄、牡丹の花、呪い、生け贄……まだ拾っていない要素がありそうだ。
考えを整理している間に宇田川が住むアパートの近くまで辿り着いた。早朝でも六時とも成れば、出勤をする人々やゴミ捨てに出てくる人などがパラパラと道路を行き交っている。
「おはようございます」
まあ、急いでどうにかなるものでもないだろう。あの部屋に働いている結界に似たなにかが正しく機能していれば、宇田川は無事なはずだ。あの護りが破られているのなら、オレにできることはない。そんなことを思いながら、オレは近くにいた年配の女性に声をかけた。
「あら、綺麗なお兄さんね。こんなおばさんに何かようかしら?」
静の顔はこういうときに便利だ。一瞬怪訝そうな表情でみられても、こうして微笑めば大抵の人間は感じよく接してくれる。
女性は、ニコニコとした表情を浮かべながら、植木鉢に水をやる手を止めた。
「いやー、友達の家がここで、遊びに来てたんですけど昨日ちょっとはしゃぎすぎちゃってぇ。騒音でご迷惑おかけしてませんか?」
「あらあら、どうもご丁寧に。このアパート、防音はしっかりしてるはずだし、気にしないでいいわよ」
宇田川の部屋で起きているであろうことは、ほとんどの人間に知覚されていないようだと確かめる。勘の良い奴なら、少し違和感や気味の悪さを感じるかもしれないが。
精神的に作用する呪いなのか、まだ不完全な呪いだから物理的な破壊を伴えないかまでは判断出来ないが。
「ああ、そりゃあよかった。せっかく美しいお姉様のお肌が睡眠不足で荒れちゃあいけねぇですからね」
「ちょっと繊細な人がいて、夜中に少しでも騒がしいと通報しちゃうって話もあるけど昨日はそういうこともなかったわ」
少しお世辞を言えば、お世辞だとわかっていても大体の人間は気分が良くなって色々と話してくれる。
静の仕事が考えることならば、オレの仕事はこうして静の顔の良さを利用したり駆け回って情報を集めることだ。
笑顔で会釈をして女性と別れてから、宇田川の部屋へ向かう。扉はヘコんでいないし、壁に傷の一つも無い。近隣の住民は、ここに住んでいる男が昨日どんな目に遭ったかなんて知らないのだろう。
扉に無数につけられている掌の痕も、壁に擦りつけている黒っぽい血痕も、おそらく大多数の人間には見えないものだろうから。
扉の下で死んでいる羽虫を踏み潰しながら、オレは約束通り扉を手の甲でノックした。一度叩いてから、間を置いて三度叩く。
音沙汰がない。死んでいるのかもしれないなと思いながら、ドアノブに手を伸ばした。このままドアノブが回らなければ、さっさと返ってしまおう。
そう思っていたが、意外なことにドアノブはあっさりと回ったので扉を引いて開いてみる。
扉から少し離れた場所で、宇田川は両手で頭を覆うようにして蹲っていた。
「ひっでぇ顔」
室内からカサカサと音がして玄関に積もるように落ちていた砂がオレの足の間から家の外へ漏れていく。
宇田川は気付いていなそうだ。これが、守りの正体かなんて思いながら、オレは家の中に入って宇田川の腕を取ってやった。
「ずいぶんな目に遭ったみてぇだな」
「死んだ方がマシかと思った」
ベッドの上に腰掛けていた宇田川は、すっかりやつれてしまっていて目の下には濃い隈まで出来ている。普段、こういうことに免疫がない分、昨日一日でかなり消耗したんだろう。
あまり長引かせると、徐々に持って行かれちまうだろうな。
そんなことを考えながら、家の中を見回して、何か妙なものがないのか観察する。おそらく、こいつの部屋を守る為の呪物かなにかが部屋のなかにあるはずだ。
「ああ、これか」
違和感はすぐに見つかった。ベッドのマットレスの下から妙な気配がするので見て見ると、そこには小さな古ぼけた小箱が落ちていた。元々はちょっとした菓子が入っていたのであろう手のひらサイズの箱は、手に取って振ってみるとカラカラと乾いた音がした。
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