幼虫
成井 斑
15:斑
「さて、どうするかねぇ」
『情報が何もかも足りない。あの男の体内にいるのは虫のようだったが……蠱毒にヒト型の器は不要だ』
頭の中で声がする。この身体の本来の持ち主である
名を呼ばれれば、こいつはこの体の支配権を一時的に取り戻すという呪いを自分に課しているのだが、それを解くつもりはまだしばらくないらしい。
『見捨ててもいいが、興味深い事案ではある。お前は優秀だから、多少の無理は効くはずだろう?』
ちょっと知り合った程度のガキのことだ。身の危険があるレベルまで首を突っ込むべきではない。だが、静はオレにそんなことを言って挑発をしてきた。クソ。そう言われたら、やってやるしかない。
『ボクも心当たりを調べて見ることにする。こちらの情報収集はお前に頼んだよ』
成井家の頸木から離れたオレは、こいつに従う義理もないし、その気になれば主人に嘘を吐かないというルールも力尽くで破ることが出来る。だが、こいつのことが好ましいから共にいる。そういう関係だった。
静はそう言い残すとオレの頭から気配を消した。こういうとき、あいつがどうしているのかはなにもわからない。
仕方なくオレは手掛かりを自力で集めることにした。
宇田川のバイト先でちょっと困った振りをして、知りたいことを調べた後に向かったのはタトゥースタジオだ。
「よう、久し振り」
「げ」
オレを見るなり、露骨に顔を顰めて嫌そうにしたのは彫り師の
「疫病神が来たって顔すんなよぉ」
「……はあ。で、なんの用事だよ」
仕事終わりに合わせて待ち伏せていたのが勘に障っているらしいが、仕事中に押し入らなかったことに感謝して欲しいくらいだ。
オレは杭と肩を組みながら、顔を耳に寄せて小さな声で用件を話す。
「この前の姉ちゃんいただろ? 体が根性焼きだらけの」
「……顧客の個人情報は教えられません」
きっぱりと断ってきた杭がおもしろくて笑う。墨だらけの見た目とは違って生真面目で善良なやつだ。それに勘も良い。オレが何を聞きたがっているのかすぐに察せるのは、付き合いがそれなりに長いからってものあるだろうが、まだまだだ。
「名前は知ってるさ。
清野の個人情報は、宇田川と行った彼女の元バイト先でさっき仕入れてきた。基本的に人間は顔の良い個体に弱い。それに、困った様子を見せれば少しくらいルールを曲げて協力をしてくれる。それでもダメなら、まあ聞き出すための手段はあるんだが、リスクのある方法は極力取りたくないのが本音だし、滅多に使うこともない。
オレの手段を知っている杭は、嫌そうな表情を浮かべ続けている。大きな溜め息をついてから、「それで?」と話を促してきた。
「墨のデザインが何か知りたいだけだって。それなら個人情報ってわけでもねぇだろ?」
「まあ、それならいい。ここで話すか?」
オレたちはそのまま近くのカフェへ移動した。終電近いカフェは閑散としていて、店員たちも店じまいの準備を始めている。
「花の名前には詳しくなくてな。アレはどういう花なんだ?」
「牡丹。とにかくめでたい花だ。縁起物にもよく用いられるし、唐獅子が夜に眠る場所って言い伝えがあるから安全な場所みたいな意味もある」
「へえ。オレの意図は伝わってたみたいでなによりだよ」
あの時、清野からよくない雰囲気を感じたオレは、気まぐれで杭に予定を捻じ込むように伝えた。それは善行からなんかじゃなくて、あの女からはそれほど嫌で気持ち悪い雰囲気が漂っていたからだ。
コーヒーを一口飲んでから、杭は言葉を続ける。
「最初は、アジサイか、それこそ
「ひっひっひ……やっぱり見える奴にはそう見えたってわけか」
オレは特別な体質だから、ちょっとした悪霊の類いや小さな悪い気配は摘まんで飲み込むことが出来る。
でも、あの清野って子が纏っていたのは濃厚で強大な死の匂いだった。それこそ十数年はじっくり練って作られた呪いのような……。
「お前がいないとき、あの子が墨を彫りに来た時はもっとすごかった。腕に彫るだけだったから顔とか腹が黒い靄に覆われてたって平気だったけどさ」
「それで、彫る絵を変えたのか?」
「いや、あの子が言ってきたんだ。花を彫るなら牡丹にしてくれって。まあ、縁起もいいし、吉祥文様ともいうからちょうど良いと思って、絵を変えた」
「へえ……向こうから、ねえ」
「牡丹の朝露って虫除けになりますか? なんて聞いてきて、現実の虫には効かないけどそういう話もあるみたいだよって話になって、それでまあ、ついでに朝露に濡れた牡丹の絵を彫ったんだが」
「虫除け、ねえ」
オレは、彼女が手にしていた不気味な虫の絵を思い出す。大きなアゴを持った茶色くて地味な虫。
「蟻地獄」
「は? なんだその物騒な名前」
「あの子が彫りたがってた虫だよ。イツキが蝶を入れてるからてっきりお揃いの絵でも入れるのかと思ったけどさ。でも、蟻地獄ってお前が好きそうな虫だから知らなかったのは不思議だよ」
そこまで一気に話してから、杭はもう一口コーヒーを啜る。虫の知識なんぞトンボや蝶々や百足くらいしか知らない。静ならもう少し知っているのかもしれねえが。
こいつはオレのことをなんだと思ってるんだと思いながら、オレは続きを話すように杭に促した。
「蟻地獄は虫の幼虫で、成長すると薄羽蜻蛉って羽虫になるんだ。確か……北の方だと極楽とんぼだとか神様トンボっていうらしい」
「へえ……地獄から極楽へ、か」
そのあとはなんとなくの世間話をして終えた。駅まで杭を送ってからぶらぶらと街中を歩く。
宇田川の家には入れないし、近付けない。あの部屋はあいつだけを守る仕組みになっていた。あの場にオレがいたら、その強度が脆くなる。
日中、起こったことを思い出しながらオレは自宅へと戻った。
宇田川の皮膚に触れた瞬間、肉が焼けた清野兄の虫、宇田川のセフレちゃんの死体……。腹を裂かれていたが、飛び散った内臓は喰われていなかった。それに……彼女の体に空いた穴は、周りの皮膚が黒く変色していた。確かに蠱毒ではあんな死に方はしないはずだ。
清野兄が用意した贄は、喰われたのか、それともまだ食われる前だったのか。わからないことがまだまだある。
宇田川が無事だったら、明日は清野家へ行ってみよう。そこに見落としている何かがあるといいんだが。
今頃、死にそうになるくらい怖い目に遭っているであろう宇田川に少しだけ同情をしながら、オレは冷蔵庫にあったビールを開けて一呑みした。
それから、静のことを考える。こうして面倒事に首を突っ込むのは、ワルイモノを食べて力を付けたいってのもあるが、静が魔を祓うのを見るのが好きだからでもある。
取り分け、見定め、祓う。見定めるというのはなにも「真実の姿」ってやつをあてるだけではなく、名を与え、型に嵌め相手の力を削ぐことも領域だ。
あいつが魔を調伏するする様子は、美しすぎて何度でも見たくなる。
「なぁ静……いつまでもオレの中にいてくれよ」
決して返ってこないとわかりながら、オレはそう呟く。やっぱり静からの返事は返ってこなかった。
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