17:墨
「清野ちゃんの箱だ。夢じゃなかったんだ」
宇田川はそう言って、オレが持っていた小箱に手を伸ばす。
どうやら、昨晩これを抱きしめて目を閉じていたら砂で出来た殻に閉じ込められる夢を見たらしい。
「呪いの一種だろう」
「の、のろい?」
「呪いってのが全部ワルイモノってわけじゃねぇよ。まじないとも言う。縁を作り、因果を絡ませ、事を起こす……」
結界なんて上等なものではない。これは、呪いだった。清野が作った呪いが、おそらく兄の中にいる呪いが一晩だけ勝ったのだろう。
箱を開けてみると、中からは真っ黒に変色した無数の虫たちの死骸がぽろぽろと落ちてきた。内側の体液を吸われているのか全てカラカラに乾いている。
「う゛え!」
「あんたが助かった要因の一つだ。手の一つでも合わせておいたほうがいいと思うぜ?」
「び、びっくりしただけだよ。手は……まあ、合わせるよ」
落ちてきた虫を見て飛び退いた宇田川だったが、オレのからかい半分の言葉を聞くと素直に虫をティッシュの上に集め始めた。
素直なやつだなって思う。まあ、昨日それだけ怖い目に遭ったということなのかもしれないが。
「ええと……ありがとうございました、でいいのかな」
宇田川は、虫たちの死骸をまとめたティッシュをテーブルの上に置いて顔の前で手を合わせて一礼をした。
虫たちは一度、清野が贄として喰っている。物理的に食したというわけではないだろうが。
それから、どういうわけか供養をされて、箱の中へ入れられていた。長年積み重ねられていた贄に対する供養、感謝の形がある種の呪いになり、昨日は結界のような効果を生み出したのだろう。
だが、この呪いの力はそれほど強くない。蓋が簡単に開くこと、そしてオレが簡単に部屋に入れたことを考えるとどうやら効果は朝方切れたようだ。
昨日、この家に来たときはオレすらも拒む力があったようだが。
「とりあえず、清野ちゃんって子の家に行くしかねぇか」
呪いに使われているのが虫ということ、砂で出来た殻……材料はそれなりに揃ったかもしれないが、オレには何も分からない。静も特に何も言わないままなので、オレは更に情報を集めるために動くしかない。
「は? 俺は清野ちゃんの家なんて知らないけど」
「あんたが部屋で耐えてる間に、しっかり調べておいた」
「……便利屋って探偵か何かか?」
「ひっひっひ……まあ、近いことをすることもあるが」
外に出るなら……と着替え始めた宇田川の体を見ると、心臓の上に彫られた美しい一匹の蝶が目に入る。翅が黒く縁取られている青い蝶が羽ばたいている絵柄だ。
また、虫か……と思う。
「なんだよ。あんたの方が墨はたくさん入ってるだろ」
「咎めたいわけじゃねぇよ。
インナーを着てからパーカーを羽織る宇田川が、オレの視線に気が付いたらしい。
適当に誤魔化したついでに、彫った柄について尋ねてみることにした。情報は多い方が良い。
「そういやあ、なんで蝶を入れたんだ?」
「色が綺麗だし、綺麗なのに腐った果実とか死骸にも集るらしいってギャップとかがなんかいいなって……。杭は花が得意って言ってたけど、花ってガラじゃねえしなって」
「ひっひ……オレも最初はトライバルから入れたからわかるよ」
「でもまあ、清野ちゃんに入った墨を見てさ、金が出来たら次は蝶の辺りに花を足してもらってもいいなーとは思ったよ」
そんな話をしながら、杭の話をしたり、宇田川に墨のリペアについて聞かれたのでそれとなく答えたりして清野の家まで向かっていると静の声が聞こえてきた。
『……朝露に濡れた牡丹の花、だったか?』
女の方の清野が彫ってる墨のことなら、それで当たりだと、頭の中で返事をする。
『同じ物を、こいつに彫ってみるわけにはいかないか? 清野兄にも清野にもバレないように』
こいつが入れたいってならいいだろうけど、なあ。
ボディペイントでもいいなら、可能性はあるが、入れ墨じゃないといけない理由ってあるのか?
『針で刻み込めば効力が上がるが、体に描くだけでも十分な効果はあるだろう』
わかった。聞いてみるか。
失敗したら、どうなる?
『ボクたちに危害は無い』
ああ、そうかい。わかったよ。なるべく善処してやろう。
静は言いたいことだけ言って、再び沈黙をした。
「金があれば、新しく彫りたいって言ってよなぁ」
「え? ああ、言ったけど」
「ひっひっひ……マダラお兄さんが奢ってやるって言ったら、どうする?」
「は?」
宇田川の動きが止まる。邪魔にならないところへ数歩移動してか腕組みをして目を閉じた宇田川は、数分考えた後に「体に一生刻むもんに他人の金を使うのは……」と言い出した。
こいつは思っていたよりも生真面目なやつらしい。
「んじゃあ、ボディーペイントを描いて貰ってお試しってのはどうよ」
「……予約が、取れるなら」
「んじゃあ、ま、夜にでも連絡をしてみるか」
押せば行ける。そう思ったオレの予想通り、お試しでなら絵を入れても良いと宇田川は了承した。
静の目的はわからないが、きっと必要なことなのだろう。
そんなことを考えているうちに、目的地の近くへと到着をした。一軒家の並ぶ閑静な住宅街だ。昼間に男二人がぶらついていると、やや目立つ。
近所で立ち話をしていたらしい主婦たちの視線がこちらに向いているのがわかる。
こういうときは、こそこそする方が余計に怪しい。気まずそうにしている宇田川を無視してオレは目的地を探すために辺りを見回した。
きっとオレの目に付く嫌な気配を放ってくれているだろうから探すのは簡単だろうと考えていたが、予測は大当たりだった。
「あの赤いレンガの塀、あそこだ」
表札も掲げられていない一軒家は、黒い靄で覆われていた。呪いや心霊の類いは日光に弱い。日中なら、清野兄がいたとしてもなんとか出来るだろう。
宇田川の腕を引きながら、オレは目的地である清野の家のドアノブに手をかけた。
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