第五場・C調言葉に御用心

  明転すると出演者全員集合している。清四郎が入ってくる。



清四郎 「おはようございます」


全員  「おはようございます」


清四郎 「えー、突然ですが皆さんにお知らせがあります。今回の演出ですが、僕がちょっと多忙なため、残念ながら演出を降板させてもらいます」


全員  「ええっ?」


清四郎 「で、新しく専任の演出家をお呼びしました。(ソデに向かって)先生」



  初老の男が入ってくる。屋内なのにサングラスをかけ、足が悪いのか片足をひきずっているように見える。男、黙って椅子に座る。



清四郎 「えー。稲村いなむら慈円じえん先生です」


全員  「よろしくお願いします……」


清四郎 「稲村先生は旧コマ劇場や東京芸術劇場といった大きな劇場で舞台やミュージカルを手がけてきたベテラン演出家です。まあ、僕の演劇の先生のような人なので、演出方針などはそんなに大きく変わることは無いと思います。先生」


稲村  「…………」


清四郎 「あの、先生、なにか一言」


稲村  「五場から」


清四郎 「は?」


稲村  「第三幕の五場。動かなくていい、台本を持って」


清四郎 「は、はい」


稲村  「ジュリエットは誰だ?」


清四郎 「あ、実はまだ決まってなくて」


稲村  「じゃあ順番に読め。お前ロミオやれ」


清四郎 「は、はい、じゃあ……ユリさん、お願いします」


百合枝 「はは、はいっ」



  読み稽古始める。稲村はうつむいて稽古の姿は見ていない、ポケットからビンを取り出して何やら飲み始める。



百合枝 「『もういらっしゃるの?朝はまだまだこなくてよ。あれはナイチンゲール、ひばりではなくてよ。あなたのおびえていらっしゃる耳に聞こえたのは。毎晩鳴くの。向こうのあのザクロの樹に来ては……』」


稲村  「ちがう」


百合枝 「え?」


稲村  「もう一回」


百合枝 「は、はい……『もういらっしゃるの?朝はまだまだこなくてよ。あれはナイチンゲール……』」


稲村  「ちがう」


百合枝 「はい……『もういらっしゃるの?朝はまだまだこなくてよ。あれは……』」


稲村  「ちがう!」


百合枝 「はい…………あの、どうちが……」


稲村  「汚え日本語しゃべるな」


百合枝 「はい……(丁寧に)『もういらっしゃるの?朝はまだまだこなくてよ。あれはナイチンゲール、ひばりではなくてよ。あなたのおびえていらっしゃる耳に聞こえたのは。毎晩鳴くの。向こうのあのザクロの樹に来ては……』」


稲村  「役者だろ、なんか出せよ」


百合枝 「はは、はい(感情こめて)『もういらっしゃるの……』」


稲村  「きたねえ日本語……」



  以降、延々と同じシーンの稽古を繰り返す。暗転。再び明転すると、よほど長い時間稽古していたのか、百合枝たちがぐったりしている。



清四郎 「い、今何時?」


石崎  「えーっと、夜の9時ですかね」


かおる 「8時間稽古して、1ページも進まなかった……もう、なんなのよあいつ~」


雁之介 「こんなペースじゃあ、とても本番まで間に合いませんぜ」


真姫  「ていうか、あのおじさんマジこわいんですけど~」



  みんなでギャアギャア言い合って去る中、ひとり落ち込んでいる百合枝。



清四郎 「ユリさん?」


百合枝 「私……そんなにダメですか?」


清四郎 「いや……」


百合枝 「私、自慢じゃないですけど今まで沢山本を読んできました。いろんな本を読んで、その中から沢山の事を学んできたつもりでいました。でも、クマさんにも最初に言われました『目で見たものが口から出てるだけだ』って……」


清四郎 「いや、あれはまあ……」


百合枝 「わかってるんです、私、本ばっか読んでるだけで人間のことなんかちっともわかってないんですよね。だから、セリフもみんな棒読みになっちゃう」


清四郎 「いやそこまで自虐的にならんでも」


百合枝 「人付き合いがヘタなんですよね、あがり症だし」


清四郎 「はあ」


百合枝 「でも!だから私きっかけがほしいんです」


清四郎 「きっかけ?」


百合枝 「自分を変えるきっかけ。引っ込み思案で、臆病な自分を変えるきっかけが」


清四郎 「…………」


百合枝 「ジュリエットをやれば、ジュリエットになることができたら、きっと……」


清四郎 「えっと、あのさ」


百合枝 「はい?」


清四郎 「なんでそんなに自分を変えたいのかな?」


百合枝 「え?」


清四郎 「臆病で、引っ込み思案で、あがり症で、本オタクでも別にいいじゃん」


百合枝 「…………」


清四郎 「『自分を変えたい』っていうのは現状の自分に満足していないってことだろうから、まあ悪いことじゃないとは思うよ、でもさ、『自分を変える』っていうことは『今までの自分』を否定して『新しい自分』になるわけじゃないんじゃない?『今の自分』が下地にあって、そこから少しずつ積み重なって『新しい自分』ができていくんじゃないかな?」


百合枝 「…………」


清四郎 「ユリさんは、今の自分がきらい?」


百合枝 「私……」


清四郎 「ま、そんなにあせることはないんじゃないかな」


百合枝 「でも、それじゃ、それじゃダメなんです!」



  百合枝去る。清四郎立ちつくす。



暗転

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