第15話 ドラゴンを倒すようなもの

「上等なワインをありがとう。上手くいったようで良かったわ」


「ラスくんお墨付きのワイナリーだからね」


「あら。なんだか夫婦みたい」


「茶化さないで」


 エイヴァは魔法玉の向こうのシャーロットに聞こえるよう、盛大にため息を吐いてみせた。


「それで、どうだったの? 激しかった?」


「ここ、職場なんだけど」


 通信している場所はエイヴァの研究室だ。エイヴァはソファに胡座をかいて座り、ローテーブルに置いた魔法玉を見下ろしている。


 どうしてこんなところでこんな個人的な会話をしているのかというと、エイヴァが面倒くさがってシャーロットからの連絡を無視し続けていたところ、痺れを切らしたシャーロットが職場に連絡してきたからである。エイヴァに依頼があると偽って。


 正直、エイヴァはシャーロットだと気づいた瞬間に通信を切ってやろうかと思っていた。しかししつこいシャーロットのことだ。満足するまで付き纏われるだろうし、ここで断って対面することになれば心を読まれて丸裸にされる。それなら通信に応じて、シャーロットが満足いく答えをくれてやる方がマシだという判断だったのだが。


「教えてくれなきゃ押しかけるわよ」


 本当にしつこい。


 彼女の質問には的確に答えねばならないようだ。


「……死ぬかと思ったよ。……ラスくんが」


 魔法玉から「まぁ〜」という驚きや好奇が混じった声がした。


「すごいわね。どうやったの?」


「魔法で私の感覚転送しただけ。煽りはしたけど、決め手はそれだね」


「……今度わたくしにその魔法、指導してちょうだい」


「エリントン卿にかけようとしてる?」


「もちろんよ」


「ダメ! 絶対教えないし、絶対やっちゃダメ!」


 強く否定するとさすがにまずいことだと察したらしいシャーロットがおそるおそる「そんなになの?」と問いかけてきた。


 エイヴァは大きく頷いた。


「死ぬかと思ったって言ったでしょう。ほんと、神聖力で蘇生させなきゃならないかと思ったくらいなんだから! ベッドは壊れるし、枕もズタズタになって羽毛まみれになったんだからね!」


「すごぉい……。やっぱり教えてちょうだいな」


「エリントン卿の歳考えなよ! ラスくんは二十代前半で剣気を使えて魔力量も豊富! 魔力のおかげで肉体が砂糖の一粒ほども衰えてなくて、おまけに私の魔法も跳ね返すくらいの剣気を使えるからなんとか生きてたけど! エリントン卿はたぶん死ぬよ!?」


「失礼な。私の夫だって剣気を使えるのよ。それに48歳は若いわ」


「ほんとにシャレにならないんだって! 私、二度とやらないって誓ったんだから!」


 翌日、エイヴァは意識を取り戻したアンティラスの前で土下座して許しを乞うた。それこそ全責任を取ると言うと、それはさせられないと紳士的に断られたのだった。


 なお、アンティラスはアンティラスで理性を失ってベッドを壊し、枕を割いたことを謝罪して、エイヴァに新しい高級ベッド(大きくてふかふか)と高級枕(手触り良し、寝心地良し)をプレゼントしている。


「夫の同意があったら良いんでしょう? やりすぎなければ良いんでしょう?」


 しかしシャーロットは諦めない。これだけ脅しているのに。さすがの強心臓だ。これにはエイヴァも折れるしかなかった。


「まぁそうだけど。無理やり同意させるのはダメだよ」


「分かっているわ。同意が取れたら、また打診するわね。これから夫に話してみるわ!」


「えっちょっと!」


 シャーロットは通信を切った。


(話してみるって、一体全体どこからどこまでを? 恥ずかしすぎるんだけど)


 最悪だ、とエイヴァは頭を抱えた。黒い歴史になりそうだ。


***


「腹上死しかけたと聞いて労おうと思って誘ったのだ」


「ゴフッ」


 エリントンに指摘され、思わず口に含んでいた酒を吹いてしまったアンティラスは、己のはしたなさを謝罪した。


 街の見回りの仕事を交代し、帰路に着いたところを誘われて彼の行きつけの店にいる。カウンターで酒を提供してくれる店で、席は8つ程。全体的に明度を落としてあり、落ち着く店だ。


 だからそんなことを聞かれるとは思っておらず、不意をつかれた。


「……お恥ずかしい。奥方様ですか?」


 エリントンは「いかにも」と答えた。


 エイヴァと彼の妻であるシャーロットは親友だ。さすがに筒抜けらしい。おそらくシャーロットがエイヴァを尋問して得た話を右から左にエリントンに流したのだろう。シャーロットとはほとんど面識がないアンティラスだが、彼女の能力と性格を把握できるくらいには痛い目にも良い目にもあわされている。


「奥方様は驚かれたでしょう」


「そうだが、実はそれだけではない。妻は君たちの話を聞いてたいそう羨ましがり、私を腹上死させる計画を立てようとしているのだ。しかしエイヴァ嬢から止められて、私の同意が得られなければ君がまんまとかけられた魔法を伝授してもらえないと、可愛らしい顔で訴えてきた。そこで経験者の君に話を聞こうと思った訳だ」


 そういうことかとアンティラスは納得した。しかしどう言ったものか迷った。どうにか濁したいところだが、“あれ”を嘘偽りで説明してしまっては死人が出る。ここは正直に話さねばならないだろう。


「……卿には分かる感覚だと思って話をします。目の前に、強敵がいる状況を想像してください。あの時の興奮は、自分の持てる限りの力を尽くしても倒れない敵に対峙した時の興奮と似ています」


「ほう。それはまた随分と物凄い魔法をかけられたものだな」


「えぇ、おっしゃる通り。本当に死にかけましたから。あんなことは初めてです」


「しかし“良かった”んだろう? 我々は戦闘狂だからな」


「……おっしゃる通りです」


 敵が強ければ強いほど滾る性質がある。己が追い込まれれば追い込まれるほど頭がクリアに、細胞一つ一つが活性化して、身体が考えるより先に動く感覚。いわゆる極限状態だ。アンティラスはこの知覚領域を越えた感覚を好いていた。おそらくエリントンも。


 思えば再びエイヴァの術中にハマったあの日は、極限は極限でも完全に戦闘時のそれではないように思う。知覚領域を越えていたことは事実。身体の感覚が研ぎ澄まされ、髪が触れるだけでトびかけた。しかし、圧倒的に違っているところがある。


 我慢だ。


 どこもかしこも柔らかく、細いエイヴァの身体を壊さないように制御しなければならなかったり。ふと頭が真っ白になりそうになるたびに耐えたり。


 そして、極限状態で強いられた我慢の褒美に与えられる快楽がまた恐ろしかった。ここで気をやれば確実に死ぬ。そんな瞬間が何度もあり、しまいに頭が焼き切れたというわけだ。


「もし、ご興味がおありなら、ご覚悟を。ドラゴンよりもよほど恐ろしいですよ」


「ははは。元来、愛する女というものはモンスターより恐ろしいものだ。しかしドラゴンより恐ろしいのか。私は現役から離れて3年も経っているからな……」


 エリントンはふぅむと唸って顎を摩った。悩んでいるらしい。どうやら正しく伝わったようで、アンティラスとしては何よりだったのだが。


「それで、彼の女性は君にはもうその魔法をかけないことを約束したのだろう? 君は残念に思っているのではないか?」


 ここにきて、最後に嘘をつくこともできず。


「……はい」


 アンティラスが正直に答えると、エリントンは「そうか」と一つ頷いた。


 後日。アンティラスの所属する国家騎士団の指導員として復帰したエリントンは、どうしてこのタイミングで復帰したのかという問いに「ドラゴンを倒す力を取り戻さなければならないからな」と答えるのだった。

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