第12話 真の標的

(ついてこれてよかった)


 エイヴァは辺りを警戒しながらも内心ほっとしていた。現役を離れて研究室に籠るようになって3年経っているので不安だったけれど、なんとかアンティラスを見失わずに済んだ。


 魔力が返ったところは何の変哲もない民家だった。国民のほとんどが多かれ少なかれ魔力を有し、生業に魔法を使っている人物が少なくないこの国では、民間人だって小遣い稼ぎに黒魔術を使うものだ。平凡な見た目はカモフラージュで、実は犯罪組織のアジトという線もなくはないが、中からする気配は人間一人分だ。


「国家騎士第6騎士団所属のアンティラスと申します。伺いたいことがありますので、出てきていただけませんか?」


 アンティラスが扉を叩いて宣言した。国家騎士は突入時に宣言することが決まりである。この決まりのおかげで対象が逃げ出すことがあるけれど、今回は静かなものだった。エイヴァは魔力探知をしているが、魔法を使って逃げた形跡もない。


「4543?」


 現役時の暗号を使って突入するかと問いかける。アンティラスが頷いたので、エイヴァは魔法で扉にかかった鍵を開錠した。


 アンティラスが扉を開け、「どなたかいらっしゃいませんか?」と問いかけながら中に入っていく。エイヴァもアンティラスの後ろについて中に入った。


 玄関を入ってすぐがリビングダイニングキッチンで、奥に寝室がある、この辺りではよくある間取り。2人とも向かう先は寝室だ。なぜならそこに人の気配があるからである。


 寝室に入ると、ベッドで男が寝ていた。大きな声を出しても起きなかったので、気絶しているらしい。


「変ですね」


 アンティラスが首を傾げるように、エイヴァも首を傾げていた。


 部屋は片付いていて、電気も消えている。男は寝間着を着ており、慌ててベッドに入った様子はない。気絶しているのでなければ、ただ就寝しているだけに見える。


「ちょっと失礼しますねー」


 エイヴァは気絶している男に念のため声をかけ、男の額に触れた。


(ふぅん、なるほど)


「……記憶が消されているみたい」


「記憶が消されている?」


 あまりに不可解だったからか、アンティラスが繰り返した。


「記憶消去の魔法がかけられている。……というか、黒魔術が跳ね返ってそうなったって言って、分かる?」


「先ほどミモザさんにかけられた魔法が記憶消去の魔法で、それをエイヴァさんが跳ね返したので術者にかかったということですよね?」


「さすがラスくん賢い。そう、その通り。けどたぶんこの人は術者じゃないね。ただの民間人。おそらく魔法の中継地点にされたんだと思う」


 魔法をかける際、直接魔法をかける方法と間接的に魔法をかける方法がある。間接的に魔法をかける場合は一般的に無生物を使うもので、遠距離に魔法をかけたい対象がいるときやリスクを肩代わりしてもらいたいときに使用される。例えばワープ魔法が発動できるアクセサリーといったものだったり、魔法返しを警戒して人形を媒介することだったり。今回の場合は呪詛返しを警戒して、あるいは捜査のかく乱のために民間人が使われたというわけだ。


「しかも記憶消去魔法だったからこの先を追うのはかなり難しい。術者とこの人の関係がほとんど切れちゃってる状態だから」


「そうですか。しかし、ミモザさんにそんなことを……わざわざ……?」


(そうだよね。私もそこが引っかかる)


 ただの娼婦へ何らかの理由で黒魔術をかけるだけにしては大がかりだ。神殿の下層から中間層あたりの聖人たちにも解けるくらいの簡単な呪詛なら「ちょっとむかつくから」なんていう理由でかけてしまえるものである。価格も高くはない。それこそ最初にミモザにかけられた黒魔術はそういう類だった。


 それが今回のように中継点をつくり、さらにかける魔法が記憶消去魔法となると、魔法を扱う能力がある程度必要になってくる。中間層の魔術師ができるかどうかといったところだろうか。そうなると依頼の価格も上がるので、ちょっとした動機で魔法をかけようと思うものではない。


「それだけミモザさんに強い思いがあるということでしょうか?」


「だとしたら、彼女はドラゴンの尻尾を踏んだのかもね」


 エイヴァと同じように。


***


 翌日の午前中。エイヴァは魔塔の下層階にある魔術師ギルドを訪れた。魔塔の上層階は個人研究室となっており、下層階は数人から数十人まで幅広い規模の研究室と魔術師ギルド(魔塔の魔術師に仕事を依頼する際はここ)になっている。


「どうも。ハスマリーさんっていらっしゃいます?」


 ギルドからちょうど出てきた職員らしき男に問いかけると、室内に呼び掛けてエイヴァが名を出した人物を呼んでくれた。


「……なにか」


 クコット・ハスマリーは小柄な女性だった。歳は二十代前半。メガネをかけており、長い黒髪を下の方で2つに結っている。


「私、エイヴァっていいます。ちょっとお話ししたいんですけど、お時間ありますか?」


「お昼休憩のときでしたら、多少は」


「ではまたその時に来ますね」


 そういうわけで、昼になったところでエイヴァは再びギルドを訪れ、クコットと共に中庭へ出た。


 クコットはお弁当を持参しており、小さなバスケットにいろどり鮮やかなサンドイッチを詰めてあった。一方エイヴァは魔塔前まで売りに来ているパン屋のベーグルである。


「回りくどいのは嫌いだから単刀直入に言うんだけどさ。昨日奪った記憶って残ってるの?」


 サンドイッチを口に運ぼうとしていたクコットが手を止めた。


「おっしゃっている意味が分かりませんけれど」


「とぼけたって無駄だよ。ちゃんと魔力追跡したんだから。私を誰だと思っているの」


 昨日、まずエイヴァが中継者に額を触って行ったのは、魔力の追跡だった。アンティラスのおかげでそれほど時間が経たずに中継者と接触することができたので、一か八か魔力パス(術者と中継点との魔力的なつながりのこと)を追跡してみたのである。そうしてクコットまでたどり着いたというわけである。それから男がかけられた魔法を調べ、アンティラスには「記憶が消されている」と伝えたのだった。


 本当はエイヴァがアンティラスに行った魔法のように、記憶を抜く魔法だったにもかかわらず、アンティラスには「記憶が消されている」と伝えたのは、ひとまず彼にはクコットの仕業であることを知られたくなかったからである。


「……記憶は、残っています」


 エイヴァはほっと息を吐いた。


「良かった。あと、ミモザという娼婦にかかっていた1度目の黒魔術も貴方?」


 頷くクコット。


「そう。今度一緒に2人に謝りに行こう。今後はそういうことを勝手にしちゃだめだからね」


 自分のことは棚に上げて説教のようなことを言ってしまい、少し反省した。


 クコットは説教が嫌だったのか、苦い顔をしている。


「どうしてそんなことをしたのかとは聞かないんですか?」


 そっちか、とエイヴァは思った。


「まぁ、予想はついてるしね。アンティラス様をおびき寄せたかったんでしょう」


 クコットの目が見開かれる。シャーロットのように心を読まなくても分かる。図星だ。


 黒魔術の犯人がクコットだと分かればあとは簡単に予想がついた。クコットは騎士団への出張時は必ず申請を出しており、抽選を不正に操作したこともある(魔塔内では日常茶飯事なのでそれほど重大なことではない)。いつも遠くから見つめているだけだが、アンティラスに気があるのは明確で、エイヴァは陰ながらがんばれと応援していたくらいだった。だから魔力の先がクコットだと知った時、すぐにアンティラスをおびき寄せるためだと気づいたのだ。


 娼婦が呪詛にかかった時に頼れるのは魔塔、もしくは騎士団だ。例のごとく神殿では依頼を断られるからである。魔塔はもともと神殿と仲がよろしくなかったのだが、エイヴァが神聖力変換魔法を発表してからさらに関係が悪化しており、ついには国まで動かすに至って、解呪や治癒の依頼を基本的に受けてはならないことになっている。魔塔が解呪や治癒の依頼を受けられるのは騎士団を通した依頼、もしくは魔法の考案者であるエイヴァ本人が請け負う場合のみだ。研究室に籠っているエイヴァに出会えるのは確率的に低いとなると、騎士に話がいく。それがアンティラスが所属する第6騎士団の警備区域の娼館で、誘惑に負けないアンティラスが主に見回っているとなれば、話は自ずとアンティラスに舞い込むだろう。そうしてアンティラスが魔塔のギルドにやって来れば思惑通りだ。


 しかし悲しいかな。エイヴァが偶然散歩をしている際に問題の娼婦の依頼を受けてしまったので、クコットの計画は台無しになってしまったわけである。


「アンティラス様に振り向いてもらいたいのなら、正々堂々真正面からいきなよ。彼はたぶん、そっちの方が靡くよ」


 エイヴァの誘惑に乗ったように。彼は複雑な恋の駆け引きをするより、真正面から好意を伝えて攻めた方が落ちるだろう。真っ直ぐな性格をしているから。


「……知ったような口を」


 ぼそり、と呟かれた声があまりにも小さくて聞き取れず、エイヴァは「ん?」と聞き返した。するとクコットはキッとエイヴァを睨むのだった。


「私には、どうしてあの方が貴方を好いているのか分かりません!」


 それはそう。とは思ったが、火に油を注ぎそうなので黙っておくことにした。


「私は、彼の方の目を覚まして差し上げようと……」


 ぜひともやってあげてくれ、という感想も飲み込んでおく。


「で、何」


 煽るような口調になってしまったが、煽る気持ちは一切ない。クコットが確信に触れてこないのが時間の無駄のため、話を急いだだけである。


「私の話は終わっているの。『今度一緒に謝りに行こうね』『今後はそういうことしちゃだめだよ』はい、おしまい。貴方が彼をどうしたいと思っていようがどうしようが私には関係ないんだから。それとも、貴方は私に何か物申したいことがあるの?」


 クコットの瞳が冷えた。


「そういうところが彼には相応しくないんですよ。貴方はご自分のことしか考えていない。自分以外はどうでも良いんです。貴方を想う彼の気持ちを、真剣に考えたことはあるんですか? 私だったら彼の気持ちを無下にはしません。もちろん彼に害が及ぼうものなら、私が排除したいと思います」


 自分のことだけを考えて一般人に手を出したやつが何を言うか。と思ったが、エイヴァも同じ穴の貉である。クコットの言うことは的を射ているのだ。


「そうだね。私は私のことしか考えてない。彼は、とても可哀想だよね」


「だったら」


「完膚なきまでに振ってあげればいいのにね。……そうだよね」


 金輪際近づくな! とでも叫びまわって拒否すれば彼は二度と近づいてこないだろう。けれどそれはできなかった。彼の悲しい顔を見たくないだとか、名誉を傷つけたくないだとかいう理由ではない。


「ねぇ、自分勝手なこと言っていい?」


 唐突に問いかけるとクコットは怪訝な顔をした。


「何ですか」


 聞いてくれるらしいので話す。


「アンティラス様を貴方のものにしてみせてよ。どんな手段を使ってもいいからさ。それで彼が貴方のものになったら、私はこれまで彼とあった何もかもを、何もなかったことにする」


「は? 何を言っているの?」


「貴方への挑戦状だよ。私は一夜で彼を陥落させたよ。記憶を奪ってやりもした。たぶん、やろうと思えば恋心を芽生えさせたり消失させたりする魔法もかけられるだろうな。やらないけど。私が言っているのは、貴方にそれができるかってことよ」


「わ、私にだって、それくらい。私はそういう精神操作系が得意ですから」


「じゃ、がんばって。貴方が成功したら私の負けね」


 よいしょ、と立ち上がり、エイヴァはベーグルをかじりながらその場を後にした。


(犯人を焚きつけちゃった。ごめんねラスくん。あとは任せた)


 すべてをアンティラスに丸投げして。


 もとはと言えば、アンティラスと彼女の問題だったところに、エイヴァが転がり込んでしまっただけ。もとのあるべき姿に戻しただけなのだから、誰にも文句は言われないはずだった。

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