第10話 アネモネちゃん

 ひととき茜色に染まった空が深く沈んだ頃に歓楽街には煌々と明かりが灯る。


 アンティラスは宣言通り店の開店と同時に現れ、憧れの騎士様の登場でキャアキャア盛り上がる女性たちの前でエイヴァを指名した。もちろん、美女に変身しているエイヴァをだ。


 エイヴァは女性たちの羨望の眼差しを一身に受けながら、アンティラスのエスコートで個室へ入った。部屋は無理を言って貸してもらったものだ。詳細は伝えなかったが、お金持ちのイケメンが来ると伝えたら二つ返事だった。


 部屋にはワインが用意してあり、エイヴァはまずグラスにワインを注いでアンティラスに渡した。一緒にと言われたのでグラスを待つと、アンティラスがワインを注いでくれた。


 にこりとしてワインを一口の見下すアンティラスに倣ってエイヴァもグラスを傾けた。


 手を引かれてベッドに一緒に腰掛ける。アンティラスが微笑みながらこちらをじっと見つめてワインを飲むので、エイヴァもちびちびワインを飲み続けた。


(は、話せない……)


 ここがどういう場所なのかを考えてしまい、妙に緊張して声が出なかった。雰囲気に呑まれている。今迫られたらベッドに転がってしまいそうだ。


「いつからここにいらっしゃるのですか?」


 ごくり、と音を立ててワインをの飲み下す。そりゃ、ずっと黙ってはいられないよなと思いつつ、喉の調子を整えてから口を開いた。


「今日からですわ」


 身近な友人、シャーロットの口調を真似する。自分だと気づかれる要素を徹底的に排除するためだ。


「私の他には誰も貴方に触れていないということですね。明日もいらっしゃるのですか?」


「明日はお休みですわ」


 娼婦に休みがあるのかどうかは知らないが、通われても困るので適当に言っておく。もっとも、依頼の調査のためここには赴くつもりなのだが。


「いついらっしゃるのですか?」


「ええと、明後日……なら……」


「では明後日また伺います。また指名させていただきますね」


 エイヴァは焦った。


(まずい。アンティラス様、本当に惚れ込んでる!? 私としては助かったような……なんだけど、清廉潔白、石部金吉な人が! 美女恐るべし!)


 いやしかし。このままで良いものなのか。娼婦のふりをし続けるわけにもいかない。何日か相手をして辞めたことにしようか。でもそれも何日か来てもらわないといけないし……と悩んでいると、ベッドについていた手に手を重ねられた。


「私ではいけませんか?」


 しゅんとした仔犬のような顔で言われるとエイヴァは断れない。


「いいえそんなお顔をされないでください。私でよければお相手いたしますが、で「良かった」


 でも、と続けようとしたのに言葉の先を奪われてしまった。


 エイヴァは心の中で唸った。


(ぐうぅぅ……。どうしよう……ひとまずお酒を飲ませよう)


 魔法でワインボトルを引き寄せようとして思いとどまり、歩いてボトルを取って戻ってきた。そうして立ったまま中身をアンティラスのグラスに注いでやる。アンティラスがザルだということはシドゥリのおかげで知ることになったが、思いつく接待がこれくらいしかないのである。魔法耐性のある彼には魔法をかけることもできない。


 再び隣に座ろうとすると両手を広げられたので、呼ばれたのだろうと近づくと。片足の上に座るよう促され、促されるままアンティラスの足に座った。腰を抱いて支えてくれる。


(え〜ん! アンティラス様なんか慣れてない!?)


 エイヴァが身悶えていると。


「そうだ。お名前を伺っても良いですか?」


 問いかけられて、ぱっと思いついた名前を答えた。


「アネモネですわ」


 ここで働く女性たちはみな花の名前をしていたので、咄嗟に好きな花を答えた。


「良い名前ですね。アネモネさん。明後日もよろしくお願いしますね」


 エイヴァは笑顔の圧力に負けた。


「ふぁい……」


(ダメだ……断れない……これは“エイヴァ”で物申さないと!)


 翌日。エイヴァは騎士団の訓練後にアンティラスを呼び出すことになるのだった。


***


エイヴァに呼び出されたアンティラスは手早く身なりを整えてから彼女の元へ急いだ。


 呼ばれたことが嬉しくて仕方がなく、自然と笑みが溢れてしまう。


 しかしエイヴァの元へやってくると、彼女は不機嫌そうな顔をしていた。知らぬ間に何か彼女の気に触ることをしてしまったのだろうかと不安になった。


「どうかされましたか、エイヴァさん」


 恐る恐る問いかけると、エイヴァは言った。


「個人的なことをお聞きしたいので、場所を変えても良いですか?」


 アンティラスが同意すると、エイヴァのワープ魔法で瞬く間に移動した。ワープ先はエイヴァの部屋のリビングダイニングである。


 エイヴァが椅子に座ったので、テーブルを挟んで向かいに座る。2週間ほど前に同じところに座って衝撃的な真実を知らされたことが思い起こされ、アンティラスは身構えた。


「アンティラス様」


「はい」


「アンティラス様は人を愛したら一途なタイプですか?」


「はい」


 エイヴァを思って10年なのでおそらく。


「一度追いかけた獲物は捕らえるまで追いかけますか?」


「はい……」


 そもそも狩猟の際も戦場でも狙った敵も逃さない。それこそ逃亡を許したのはエイヴァくらいだ。


「まだ私のことは好きですか?」


「もちろんです」


 自信を持って頷く。エイヴァを諦めることなんてできない。


「ではどうして娼館に赴いているんですか!?」


「……え?」


 ふるふると怒りに震えながらエイヴァは訴えた。


「噂で聞きましたよ! アンティラス様が娼館に行ったと! 私のことが好きなのにどうして!? 私のことが好きっていうのは嘘なんですか!? それともプロのお姉さんたちはお遊びだから別って思っているんですか!?」


「エイヴァさんのことを好きなのは真実ですよ。それから彼女たちと遊ぼうと思ったことは一度もありません」


「じゃぁどうして娼館に行ったんですか!?」


「それは貴方に誘われたからですよ」


 エイヴァは「え?」と目をぱちくりさせた。


「私を遊びに誘ってくれたでしょう。アネモネさん?」


 若草色の瞳がさらに見開かれる。


「どうして分かったんですか!? 私の変身魔法は完璧なのに!?」


 アンティラスは一つ頷いてみせた。


「えぇ。エイヴァさんの変身魔法は完璧でしたよ」


 探れば魔力を使った痕跡をたいてい辿れるアンティラスが何の痕跡も辿れなかったくらいだ。だからエイヴァだと気づくのに少々(といってもものの数秒)時間がかかった。


「じゃぁどうして分かったんですか!?」


「仕草ですよ。腕を絡められた時、エスコートさせてもらった時と感触が同じでした。それから表情の使い方。エイヴァさんはあまり表情が動かないのですが、左の口角がよく上がるんですよ」


 咄嗟に左の口元を押さえるエイヴァ。


「あとは言葉の抑揚、息遣い、心臓の音なんかも決め手になりました」


 エイヴァは何度も目を瞬き、そうしてぼそりと呟いた。


「怖ぁ……」


 これに驚き焦ったのはアンティラスだ。


「え!? 怖い、ですか!?」


「いや、そうでしょうよ。貴方、普段から人を見た目で判断するんじゃなくて仕草や声の使い方とか息遣いとか心臓の音で判断しているの?」


「意識しているのではなく、自然とですかね。エイヴァさんのように変身している人は稀にいらっしゃいますので。ほとんどは魔力の感じで分かるのですが、慣れている方だと隠すのが上手くて魔力だけでは分からないので、他の方法で特定できるようになりました。最初はただの違和感なんです。なんだか身体と中身がかみ合っていないような感じがする時、注意深く観察すると分かります。ただ、その場合は一度でも会ったことがないと不可能なのですが」


「一度会ったら分かるんだ」


「そうですね」


 エイヴァはほぇ〜と感心したような声を出した。目が煌めいている。エイヴァは興味を示している時、瞳が煌めくのだ。


「すごぉ。さらっとすごい。参考にするよ。今度は臓器も変えてみるかな」


 さらっとすごいことを言っているのはエイヴァもだ。8割の魔術師は見た目だけでなく臓器まで変化させることはできない。


「でも私だと気づいていたなら言ってくれれば良かったのに」


「すみません。潜入捜査中なのかと思って、あまり詳しく聞かない方が良いかと思っていたもので」


 そういえばここなら聞いても大丈夫かとアンティラスは思った。魔力の感じから、周りには防音魔法を張ってあるようだ。


「どんな依頼で潜入捜査しているのか聞いても良いですか?」


 エイヴァは「あー」と視線をずらしてから「潜入捜査ねー」と話し始めた。


「娼館で働いている女の子でね。黒魔法で呪われたみたいなの。もう呪詛は解いてあげたんだけど、黒魔術を依頼した人物を見つけて捕まえることになって。有力候補はお店で働いている人とかお客さんでしょう? それであそこにいたというわけ」


「エイヴァさんが黒魔術を解いたのですか……さすがです」


 エイヴァが魔塔の第十四指に選ばれたきっかけの魔法、神聖力変換魔法は、世界を震撼させる大発明だった。神聖力変換魔法は十数個の魔法陣を同時進行させながら発動するもののため、使うものを選び、可能なのは一握り。故に浸透こそしていないが、それでも誰もが嫉妬するくらいの大発明だったことにかわりなかった。


「しかし、娼館にいらっしゃったら働いているものと思われてしまうのではありませんか? 貴方が他の男の目に留まるのが嫌だったので、明日もいらっしゃると伺い、身を確保させていただいたのですが」


「あぁそういうことだったの。ありがとう。でもそのあたりは大丈夫だよ。娼館の人たちには許可をもらっているし、そもそも私なんかを買う人はいないだろうから」


「そんなことありません! 貴方のように魅力的な人がいたら目に留まるに決まっています! どうか私に守らせていただけませんか? 騎士団との共同捜査ということでお願いします。騎士と一緒だと何かと都合が良いでしょう?」


「確かにそうだけど。申し出も正直ありがたいけど。でもアンティラス様は目立つからなぁ。最強騎士様が来る娼館で悪いことすると思う?」


 エイヴァの言う通りだ。おそらくエイヴァは首謀者が次の行動を起こすのを待っているのだろうが、自分がいたら警戒して行動を起こさないかもしれなかった。


「しかし貴方を危険な目にあわせるわけには……」


 かといって引き下がれないのも事実。


 2人でううんと悩んでいると。エイヴァが何か思いついたらしく「そうだ!」と手をぽんと叩いた。


「逆ならどう?」


「逆ですか?」


「そう! アンティラス様が娼館に潜伏して、私がお客さんで行くの!」


「ですが、あの娼館でお客さんを相手にしているのは女性だけでは?」


「こうすれば良いでしょう」


 エイヴァがぱちんと指を鳴らすと。


 アンティラスの視線が下がり、そうして目の前にいたエイヴァの身体が2回りくらい大きくなった。


 いや、大きくなっただけではない。顎の細い輪郭が多少なりがっしりして、丸みを帯びていた体が筋肉質に。膨らんでいた胸は凹んでいる。


 自分にも視線を落としてみると。胸には(ささやかだが)なかった膨らみが。手も足も細くなっており、身体が軽い。


 つまり。性別が変わっているのである。


「私の性別転換魔法は生殖機能以外は忠実だから」


 声も太くなっている。ということは自分の声も変わっているのだろうと思いながら、アンティラスはエイヴァに問いかけた。


「つまりどういうことですか?」


「孕んだり孕ませたりはできないけど、女体ならちゃんと濡れるし男体ならちゃんと勃つよ」


「!!」


 アンティラスは目を大きくして驚いた。


「僕がお客さんになってラスちゃんを指名してあげるからね〜」


 にっと笑いかけられてお腹の辺りがきゅんとした。


(もしや大変なことになってしまったのでは……?)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る